
これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。
Contents
前回までのあらすじ
前回は永平寺を出発して13日目、修行仲間である中野悠志さんのお寺「徳昌寺」に到着してからの出来事をお伝えしました。
※前回の記事は以下から読むことができます↓
バックナンバーは以下から読むことができます。
前回お伝えした通り、このあたりからいきなり写真と記憶が少なくなっています!
特に歩いている最中何があったかほとんど思い出せません。笑
なので少しスピードアップして、14日目に泊まった新発田市「常勝寺」、15日目に泊まった胎内市「増慶院」での出来事をお伝えしたいと思います。
14日目の目的地
さて本日の目的地は、新発田市「常勝寺」です。
出発地の徳昌寺から16kmほどなので、今までの行程と比べるとだいぶ短い距離です。
14日目 8:00〜
徳昌寺を出発して、県道312号線をまっすぐ北上、羽越本線に平行して歩きます。
人間の平均歩行距離は時速4km。
なので本日は16kmの道のりですから、単純計算で4時間でついてしまう距離です。
牛歩作戦でゆっくり休憩を取りながら歩きます。
しかし、それでも午後の2時には到着しました!
うん。
本当にこの日は何も無かった!笑
けれども、このくらいの距離が今の自分にはちょうどいいと感じたのでした。
常勝寺に到着
14日目 14:00〜
常勝寺は、永平寺時代1つ下の後輩だった栗橋一徳さんが副住職を務めるお寺です。
一徳さんは永平寺で3年ほど修行した後、永平寺で役寮と呼ばれる修行僧を指導する役目を担い、現在も永平寺で修行僧と共に修行に励んでいます。
役寮については、前々回の記事で少し触れています。↓
私が知る限りで、役寮になったのは彼が最年少ではないでしょうか?
永平寺では30名ほどいる役寮の平均年齢はおそらく55歳くらいかと思います。
一徳さんは、28歳で永平寺の役寮に就任したので、如何に若い年齢で就任したのかがわかります。
彼の修行に対する実直な姿勢、そして指導力が認められたということを物語っています。
この時は、彼が永平寺での修行を終え、まだ役寮に就任する前にお邪魔することになりました。
兎にも角にも、こうして旅をしてお寺を転々としていると、みなさん本当に立派なお寺に生まれ育ったのだと、いつも驚きを隠せません。
皆それぞれに、お寺に生まれた葛藤があったのに違いありません。
お寺の長男や後継のお坊さんの中には、他にやりたいことがあった人もいるでしょう。
それでもお寺を存続させるという使命、出家という大きな覚悟をし、修行を経て今に至ると考えると、私なんか本当に足元にも及ばないくらい、大変なプレッシャーがあったことでしょう。
やはりこうして修行を終えてから会うと、また違った見え方がしてきます。
14日目 18:00〜
なんとこの日も、一徳さんが近くの温泉に連れて行ってくれるというので、お言葉に甘えて車に揺られること20分。
到着した先は、その名も月岡温泉白玉の湯「泉慶」!
はい。
2日連続の泉慶さんにお世話になりました。笑
ちなみに、その前の日も湯田上温泉に入っているのでこれで3日連続の温泉になります。
こうも温泉日が続くと、もはや無一文の旅というより普通に旅行にきている気分です。
とはいえ、これも体が無理をしているからと、仏様が導いてくれたことなのかもしれません。
15日目の目的地
15日目 8:00〜
やはり、歩く距離が短いとその分疲れも半減し、元気いっぱいで朝目覚めました。
温泉の効果もあるかもしれませんが。笑
最後、一徳さんと記念撮影をして、お別れを告げました。
一徳さん、ご家族の皆さんその節は本当にありがとうございました!
さてさて、15日目の目的地は、胎内市「増慶院」です。
この日の予定歩行距離は、前日と同じくらいの15km。
またしても4時間ほど歩けばつく距離です。
またしても道をまっすぐ歩けばつく行程です。
いやー、本当に忍びないことにこの2日間、歩いている途中の記憶がほとんどありません。笑
おそらく景色を楽しむこともなく、下を向いてただ道をまっすぐ歩いていたのでしょう。
「上を向いて歩こう」の坂本九さんに申し訳なく思う今日この頃です。
増慶院に到着
15日目 14:00〜
増慶院は、永平寺時代4つ下の後輩だった深井大心さんが副住職を勤めるお寺です。
しかし、彼との出会いは永平寺ではなく、大学時代まで遡ります。
今は無き「苫小牧駒澤大学」に在学中、私が4年生の時に彼が1年生として入学してきました。
よく、ニューヨークヤンキースでピッチャーをつとめる田中将大ことマー君の出身校?と、言われますが、あそこは「駒澤大学付属苫小牧高等学校」通称、駒苫(コマトマ)と呼ばれる高校で、大学は「苫小牧駒澤大学」通称、苫駒(トマコマ)と呼ばれます。
※駒澤大学は曹洞宗系の大学になります。
なんとも紛らわしい!笑
それにどちらも同じ苫小牧市内にありますが、高校は北海道にあるイオングループで一番大きいと言われるイオンモール苫小牧の近くにあるのに比べ、大学は、鹿が出るような苫小牧の外れに佇んでいます。
先ほど、今は無きと言いましたが、無くなったのは苫駒(大学)であり、駒苫(高校)はまだあります。
ちなみに、裏話になりますが、曹洞宗内で「苫小牧駒澤大学」出身というと、なにかしら問題児なのでは無いかと思われる節があります。
まーあながち間違いではないのも事実。
私もそれなりに素行不良だった気がします。
また、この旅の後編で大学時代の同級生も登場するので、その時また少しお話したいと思います。
そんなこんなで、今回お世話になる増慶院の副住職、深井大心さんとは、永平寺だけではなく、そこからの繋がりがある後輩でした。
つまり、大学時代4年生の時の1年生、永平寺でも4年目の時の1年目の関係です。
今回彼のお寺に泊まるということで、どこか私の心の中で、
「本当に副住職として勤めているのかな?大丈夫かな?」
と、親心のような、家庭訪問の先生のようなお節介な感情もあったのを覚えています。
なにはともあれ、この日も午後2時頃には無事目的地である増慶院に到着しました。
続く
次回予告
【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】は、時系列に対して、中々進まないのがという特徴を兼ね備えています。
そんな中、しびれを切らしている読者もいらっしゃるかもしれません。笑
今回すこーしだけ話の進む速度をあげてみましたがいかがだったでしょうか?
次回は、15日目増慶院から、16日目の旅の途中であった出来事についてお伝えできたらと思います。
「vol.25 記憶の薄れ」をお読みいただきありがとうございました(^ ^)
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