新型コロナウイルス関連情報との向き合い方

スポンサードリンク

5月4日。

GW明けまでとされていた、政府による緊急事態宣言が5月31日まで延長されました。

4月7日の発令よりまもなく一か月。

外出自粛やテレワークの導入などの対策によって爆発的な感染拡大は回避できたようですが、

未だ特定の地域ではウイルスの蔓延が留まるところを知りません。

今後も感染拡大防止に向けた一層の努力が求められる中、

今回は、新型コロナウイルスの関連情報について久保田が思うところを書いていきます。

Contents

あふれる「情報」と「デマ」

新型コロナウイルスの世界的流行。

ウイルスが確認されて以降、

どのニュース番組においてもコロナウイルスが扱われないことはなく、

世間の関心もこの新しい脅威へと向けられています。

さらに新型コロナウイルスをめぐっては、ネットを中心に多くのデマも流れました。

昨日5月5日の北海道新聞特集記事に、主なデマの一覧が掲載されていましたのでこちらにご紹介します。

 

トイレットペーパー品薄説。

4月1日緊急事態宣言、4月2日ロックダウン説。

発熱症状のある中国人が病院から逃走説。

コロナウイルスはお湯を飲めば死滅する説。

第5世代通信移動システムでウイルスが拡散説。

 

SNSによって個人の情報の発信が容易となった現在、情報は驚くほどのスピードで広がります。

いずれかに「ああ、そういえばあったなあ」と心当たりのある方も、いらっしゃることでしょう。

また、こうしたデマが広がりやすいということは、

それだけこの未知のウイルスに対する関心が高いということの証でもあります。

新型ウイルスという未知の脅威に対し、

自分がどう行動すべきか、

ウイルスによって日本がどう変わっていくのか、

行動の規範や、将来を考えるにあたり、やはり「情報」は不可欠です。

筆者自身も、コロナウイルスに関するニュースチェックが日課となりました。

「真実」に行きつかない「事実」

コロナウイルスに関する情報が数多く手に入る中、

情報の真偽の判断を含め、

私たちそれぞれが個別に情報を判断する必要があります。

はじめに例として挙げた「デマ」はもちろんのこと、

最近は「事実」として報道されている情報にも問題がある、と感じるようになりました。

 

たとえば……

5月5日現在、米国が新型コロナウイルスの起源は中国武漢の細菌研究所であるとして、批判を強めています。

米国のこうした姿勢には政権への批判をそらすという目的もあると考えられており、

さらには中国政府の隠ぺい体質も重なって、「真実」が明らかにされることは永久にないでしょう。

ウイルス流出の「決定的な証拠」もあるという話ですが、それもどこまで信用できるものかわかりません。

 

あるいは、連日報道される日本国内(主に東京)の感染者数と死者数

夕方頃になるとニュースで速報されるケースもありますが、実はこれにも、筆者はあまり意味を感じていません。

その理由は、検査の実態がほとんど明らかにされていないからです。

自信の体調に不安を感じて検査を求めても保健所と連絡が取れない

休日には検査数自体が減少するということも言われている中で、

どういった人を対象に検査が行われているのか、

検査の総数と陽性率はどうなっているのか、

こうしたことを明らかにせずに感染者や死者の数字だけを見せられても、

感染拡大の程度をはかり知ることはできません。

極端なことを言ってしまえば、

これでわかることは身近にウイルスの脅威が「ある」か「少ない」かだけです。

 

また、先ほど目にしたニュースでは、7%増、14%増……とGW中の各地の人出増加について報道されていました。

これだけ自粛が求められている中で増加とはけしからん、

と一瞬考えたのですが、よくよく見てみるとその数字は「前日比」でした。

自粛下とはいえ日ごとに増減があるのは自然な話で、

比べるのであれば同時に平年比が提示されていなければ意味がないと思います。

例えば、前日の人出が平年比8割減だったとすると、人出は2割程度に抑えられたということになります。

当日の人出がそこから1割増加したならば、2割2分の人出となり、平年比7割8分程度の人出です。

あまりに外出する人が増えているならば大きな問題でしょうが、この程度ならば自然な増減と言えるのではないでしょうか。

 

この他にも、

条件の違う日本と外国の単純な比較や、

番組に登場する専門家ごとに異なる意見など、

報道を見ていて様々な疑問を感じます。

ときに情報に意図的なバイアスがかけられていると感じられるケースさえあります。

 

未知の脅威に対する「情報」を得ようとするのはもちろん必要なことですが、

巷にあふれる情報をただ受け入れていても、疑問は解消されず、

かえって迷いや悩み、不安の種ともなりえるのではないかと思ってしまうのです。

「正しく恐れる」ことの難しさ

日本を含めた世界が直面するコロナウイルスの危機に向き合うには「正しく恐れる」ことが必要である、と筆者は常々感じています。

「正しく恐れる」とは、

明治中期から昭和初期の物理学・地震学の権威で随筆家としても知られた、寺田寅彦氏の言葉をもとにした箴言で、

「災害やリスクについてより深い知識を得、状況を理解して対応する」という意味で引用されます(参考:ハザードラボ 寺田寅彦「正しく恐れる」とは

新型コロナウイルスに対する情報を求め、ウイルス対策を生活の一部に組み込んでいくということは、

まさに「正しく恐れる」ために必要だと思います。

しかしながら、報道やインターネットを通じてもたらされる情報の精度や確度を鑑みると、

本当に「正しく恐れる」ために役立つものは一部であると私は考えています。

 

また人間は何かの情報に触れたとき、

生物の生存本能に基づき、安全性を高めるという潜在意識のもと、

情報をネガティヴな方向に解釈してしまう、

ポジティヴな情報よりもネガティヴな情報を重視してしまう、

という傾向を持つと言われます。

これに限らず、情報を自分の都合のいいように解釈してしまうということもあるでしょう。

 

新型コロナウイルスをめぐって様々な情報が錯綜する中、

不安や恐怖を抱きながら、

たった一人のアタマで「正しく恐れる」方法を模索するのは無理ではないか、私はこのように考えます。

ただ一つ仏教的な視点から言えることがあるとするなら、自分の頭に浮かんだその考えが、感情から生まれているのか、論理的な思考から生まれているのかを分析してみることは、非常に重要です。

「新しい生活様式」へ

連日、新型コロナウイルスをめぐる情報は、

報道機関によるニュース、SNSの口コミ、噂話など、

真偽を問わずありとあらゆる方面から流れ込んできます。

その情報を飲み込んで消化する私たち自身も、決して完璧な存在ではありません。

気を抜けば、情報に囚われ、一層の混乱を招き、不安を抱いてしまうこともあるでしょう。

このような状況下で、今、私たちは、

不確実な情報に惑わされず、自らの行動を確実なものにするほかないのだと思います。

去る2020年5月4日。専門家会議の提言では、新たな感染者の数が限定的となった地域では再び感染が拡大しないよう、

長丁場に備えて「新しい生活様式」に切り替える必要があるとして具体的な実践例が示されました。

(リンク:NHK特設サイト 専門家会議「新しい生活様式」の実践例

 

今後、長く続くであろう、新型コロナウイルスと人類の戦い。

私たち一人一人の行動を今一度見直し、あらためていく必要があると強く感じます。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事