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自分自身の坐禅に対する疑問や悩みと向き合いながら、あれやこれやと書いているこちらの【坐禅(座禅)コラム】。
前回は曹洞宗の坐禅が目を閉じない理由を、自分なりに考えてみました。
今回は、現在世界に広まりつつある「イス坐禅」についてのお話です。
Contents
イス坐禅ってどんなもの?
さて、まずはまだまだ知名度の低いイス坐禅のやり方を簡単にご紹介しましょう。
やり方と言っても、通常の坐禅と異なるのは足を組むか椅子に坐るかという点だけで、「調身・調息・調心」が要であることには変わりません。
なるべく平らでキャスターのない椅子を選んで坐り、両足をついて手を組みます。
この時背もたれに寄りかかったり、背中が丸まりすぎないように、骨盤を立てて坐ることが重要です。
詳しくは曹洞宗の公式HP「曹洞禅ネット」にて公開されおりますので、ぜひご覧ください。
いす坐禅の長所
イス坐禅の長所は、なによりも坐禅が敷居高く感じられる理由の一つ「足を組む」という要素がなくなったことでしょう。
坐禅をおすすめした方が「いやあ、ぼくは体硬いから」と難色を示された経験が今まで何度もあります。
あるいはを脚を深く曲げて坐ること自体が大変な方もいらっしゃることでしょう。
床に座ったり正座をする習慣がない欧米の方々にとっても、脚を組むというのは簡単なことではないようです。
そうしたハードルをクリアできるイス坐禅は国内外で徐々に広まっていて、現在では駒澤大学での坐禅の授業や、さらには修行道場でもイスでの坐禅が認められています。
私もこれまで、講演会場やお寺での法要、高齢者福祉施設など、様々な場でイス坐禅をお伝えする機会をいただきましたが、お一人お一人がそれぞれに出来る形で坐禅をされ、一体となっている様子にはいつも感動します。
脚を組むことを前提としないイス坐禅の登場は、様々な環境や身体的特徴というハードルを越えた坐禅の実践を可能にし、現代的なかつ仏教的な方法として、坐禅の可能性を広げたと言ってよいでしょう。
いす坐禅の短所
次に、いす坐禅の短所というか難点や課題を考えていきます。
私がイス坐禅をした時の経験を元に2点挙げてみます。
①足先の冷たさ
私が初めてイス坐禅を経験したのは駒澤大学での坐禅の講義でした。
曹洞宗の大学である駒澤大学には、仏教学部では必修、他学部では選択で坐禅の講義があります。
大学構内にある立派な坐禅堂で行う坐禅の講義は、今思えばかなり本格的な形で坐禅ができる環境だったなあと思います。
しかし、当時学生だった私には脚を組んで坐る30分が苦痛で仕方がありませんでした。
そこである日、楽をしたいという邪な心でイス坐禅を選んだのです。
当時、ちゃんとしたイス坐禅を教わったわけでも、ましてや坐禅の作法すらまともに覚えていなかった私は、ただ椅子に坐っていればいいという感覚で講義に臨みました。
一応坐禅らしく背筋を伸ばして坐っていると、すぐにあることに気づきます。
足が尋常じゃなく冷たい。
その日は冬が近づいて寒くなり始めた11月、上着を羽織らないとならないような気候でした。
しかし坐禅の講義では坐禅中は空調を止め、坐禅堂には全員裸足で入るように言われます。
そこで言われた通りに裸足で足の裏を床につけて椅子に坐っていると、床の冷たさを足の裏から吸い上げているかのような猛烈な寒さに襲われるのです。
脚を組んでいる時は足首から先は畳や自分の脚に守られて、そこまで寒いという感覚はないのですが、床から直に伝わるその寒さはやがて体の中に伝わってきて、私は結局お腹を下してしまいました。
イス坐禅を坐禅堂で行う場合は通常の坐禅と全く同じようにするのではなく、靴下や履物を履くか、足元に敷物を用意するなどの工夫がないとかえって辛くなってしまう場合がありそうです。
②角度の違い
そして次は、腰と脚の位置の違いによる角度の違いです。
通常の坐禅では、坐蒲や座布団を使って、膝よりお尻を高くすることで、自然と骨盤が立つ形になります。
しかしイス坐禅の場合は、膝とお尻が水平になったり、傾斜があったり低い椅子では膝の方が高くなってしまうこともあります。
今までで一番辛かったのは、大きな講演会でとある老師がイス坐禅を説明する際のモデルとして、舞台上でイス坐禅をした時のこと。
用意されていた椅子は背もたれに向かって座面がやや斜めになっていました。
はじめは特に問題なかったのですが、数分すると体をまっすぐに保つのが難しく、背中に力を入れて根性で姿勢を整え、汗だくになるという有様でした。
このコラムをご覧の方はご存知のように、それは本来の坐禅とは程遠い、体に力が入って緊張した状態です。
通常の坐禅の状態に近づけるのであれば、座面による坐る位置の調整や、椅子のうえにクッションなどを置き、骨盤が立つような姿勢にするための工夫が必要なのかもしれません。
その状況での最適を見極める
一見簡単そうに見えるイス坐禅ですが、実際にやってみると環境や状況によっては通常の坐禅をする時とは違った不具合や難しさがあり、場合によっては体調を崩してしまうこともあります。
そこで私が今後いす坐禅を伝えるうえで課題としたいのは、その状況での最適を見極めるということです。
床や坐蒲などの設備や環境に縛られずに実践できるイス坐禅は、「調身・調息・調心」という点では通常の坐禅と同じであっても、坐る時の体の状態は同じではありません。
力の入り方や室温の感じ方など、通常の坐禅とは明らかに異なる点が確実に存在します。
さらには椅子の高さや座面の素材、隣の人との距離や周囲の音、匂い、明るさなど、会場の選択肢が広がる分、環境の違いにも幅が出てくるはずです。
つまり、通常の坐禅会では経験することのなかった環境の中では、より柔軟で適切な判断が求められるのです。
どこでも同じ文言で説明し・同じ流れで案内するのではなく、その状況に最適な形を判断しながら伝えることで、いす坐禅の良さはより一層伝わりやすくなるはずです。
手軽でも浅くないイス坐禅を目指して
近年、私の地元でも高齢化が進み、お寺の行事では座布団を出すことがなくなって、席は全て椅子になりました。
日本の住宅が洋風になっていることから考えても、今後はさらに正座ができる人が減って椅子が中心になって行くでしょう。
子どもたちの運動能力や体の柔軟性の低下も問題になっています。
そんな社会の中で、イス坐禅は親しみやすい坐禅として注目されやすくなっていくはずです。
しかし、「親しみやすいと思ってやったら辛かった!やっぱり坐禅は敷居が高い!」と思われてしまってはもったいない。
まずは私たち僧侶側が「イス坐禅=坐禅の簡略版」ではなく、両足を組む「結跏趺坐」、片足を組む「半跏趺坐」と並んで「イス」という一つの坐り方として参究していことで、手軽でありながら、坐禅の芯の部分は残したイス坐禅が広まっていくのかもしれません。