【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】vol.26 後輩と旅人

これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。

Contents

前回までのあらすじ

永平寺を出発して14日目、新発田市の「常勝寺」で一泊お世話になり、そして15日目、胎内市「増慶院」まで到着したところまでお伝えしました。

それぞれ16kmほどと短い距離でしたが心身ともに疲労が溜まってきている私にとってこの距離を歩くのも結構辛くなってきました。

※前回の記事は以下から読むことができます↓

バックナンバーは以下から読むことができます。

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】

今回は、胎内市「増慶院」に到着したところから、16日目の様子をお伝えします。

増慶院にて

15日目 14:00〜

胎内市内の中心を流れる、胎内川のほど近い場所に増慶院はあります。

前回もお伝えしましたが、ここ増慶院は大学時代と永平寺時代4つ後輩の深井大心さんが副住職を務めるお寺です。

 

永平寺で4つ後輩となると、禅活メンバーの西田くんと同期になります。

私が彼らの立場だったら永平寺時代4つ先輩を家に泊めたり、一緒に活動するなんて考えられないです。笑

今でも4つ上の先輩と会ったりすると、恐怖と緊張で脇汗がこみ上げてきます。

まさしくパブロフの犬です。

ちなみに、深井さんのご実家では大きなラブラトールレトリバーを飼っていて、私の近くにきては唸っていたので、4つ上の先輩に会わずともこの日は脇汗がこみ上げてきていました。

まさしくパブロフの犬です。笑

おそらく私は後輩からも気兼ねなく接することのできるタイプの人間かと自負しております。

ですよね?

え?
違います?笑

良く言えばフランクに接することができる人であり、悪く言えばなめられやすい人なのでしょう。

私が通っていた大学がそこまで上下関係が無い大学だったからなのかもしれませんが。

深井さんとは永平寺時代より、大学時代の方が思い出深い出来事がたくさんありました。

一緒に草野球をしたことや、スノーボードに行ったことや、カラオケをしたりなどなど・・・

私の大学時代を知る深井さんは、まさかあんなにロン毛でピアスだらけの私が、お坊さんになると思っていなかったでしょう。

※ロン毛ピアスだらけの私の過去については、触れる機会があったら触れないと思います。

また、深井さんもそれなりにチャラチャラしていたので、実際に頭を丸めて永平寺での修行を終え、実家であるお寺で師匠の元でさらに精進をしている姿がとても違和感がありました。

しかし、大学時代は将来どうなるかわからなかった2人がこうしてお坊さんをしていると言うのは、無常の世の中で成長できている証なのでしょう。

この日はそんな大学時代の思い出話に花を咲かせ、明日に備え早めの就寝となりました。

増慶院を後にして

16日目 8:00〜

2日間、16kmほどと短い行程だったことと、ここ数日暖かい屋根の下で寝られているので、少しだけ気力も体力も回復していきました。

それでも依然として、足の痛みは変わりません。

しかし、胎内市は新潟県の北部。

あと少し頑張れば山形県に突入です。

気合を入れ直し、この日村上市を目指し出発するのでした。

深井大心さん、そしてご家族の皆さまその節は本当にありがとうございました!

16日の目的地

さて、本日の目的地は「道の駅 笹川流れ」までの40kmを予定しています。

2日間、16kmほどだったのに、いきなり40kmの行程です。

本当はもっと計画的に進みたいところですが、お寺を転々としているので、そう言うわけにもいきません。

そして何より久々の野宿であり、しかも海沿いです。

前途多難。

諸々不安がある中での出発となりました。

地名ウンチクコーナー

増慶院を出発して、程なくして新潟県最北端の村上市に入りました。

はい!

ここで、【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】名物、脱線コーナーの時間がやってまりました!

いいから早く帰れよ!と、いうリスナーの声を無視して、本日は新潟県の謎についてご紹介していきます。

新潟県は主に「上越・中越・下越」と3つの地方に分かれています。

私が最初に入った、糸井川市や上越市は「上越」と呼び、柏崎市や長岡市は「中越」、そして新発田市やここ村上市は「下越」地方と呼びます。

 

引用:新潟県公式HP

 

地図で見ると上なのに下越?
下なのに上越?

あれ?なんで?と思う方もいらっしゃるかもしれません。

そんな疑問にお答えしましょう。

今から1400年以上も昔、日本が飛鳥時代だった頃すでに、北陸三県と新潟県を「越の国」と呼んでいたそうです。

その後、都があった現在の奈良から見て、この「越の国」を3つの国に分けたそうです。

現在の福井県、石川県を「越前」

富山県を「越中」

そして、新潟県を「越後」と呼んでいました。

つまり都から見て、手前の福井県、石川県を「越前」、その次の富山県を「越中」、そして遠くにある新潟県を「越後」と定めたのです。

その後、越後を地域分けするときに、(前・中・後)に習って、都に近い方から(上・中・下)に振り分け「上越地方」、次に「中越」、そして最も遠い地域を「下越」とし、現在でもそのように呼んでいるそうです。

なるほど!

地名って調べてみると歴史がわかって面白い発見ができますね!

以上。

知っている人は知っている。

知らない人は知らない。

地名ウンチクコーナーでした!

すれ違う旅人

16日目 12:00〜

この日も、昨日に引き続き羽越本線と並行して北上します。

羽越本線とは山形県まで伸びている在来線。

出発して5時間ほど、村上駅を過ぎて程なくすると、海が見えてきました!

久々の海だー!!!

なんか景色が変わると歩いてきた実感が湧くのでとても感動します!
マップで見ると、どうやらここから山形までは一本道のようです。

しばらく歩いていると、目の前から1台の自転車がこちらに向かってきます。

遠目から見ても、その後ろにはリヤカーのような、何かを引っ張っているのがわかります。

向こうが緩やかな上り坂だったので、ゆっくりゆっくりとこちらに近づいてきます。

近くまで来ると、そのリヤカーには何やら「日本一周」の文字が!

「あ、旅人だ!」

しかも、パッと見年齢が近いことがわかります。

どうしよう。話しかけたい!
でも、めちゃめちゃ息切らしてるし、とても辛そう・・・
ここはやめとこう。
と、話しかけたい衝動を抑えながら、相手の様子を伺い我慢することにしました。
向こうも私の姿に気づき旅人とわかったのでしょう。
私も、疲労困憊の体を引きずりながら。
向こうは、重そうなリヤカーを自転車で引きながら。
お互い息を切らせながらも、目を合わせ「こんにちはー」と一言。

 

そのまま、この旅人とはすれ違っただけで、私はそのまま北に向かって歩き続けたのでした。

この旅人と後に再会することなど、露ほども知らずに。

続く

次回予告

え?この人とまた再会することになるの?

と、ドラマのエンディングのような終わり方でしたが、次回はこの旅人との再会についてお伝えしたいと思います。

つまり次回も蛇足です!笑
なるべくコンパクトにまとめますのでお付き合いいただけたらと思います。

vol.26 後輩と旅人を読んでいただきありがとうございました(^^)

続きはこちら↓

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