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僧侶の視点から世間のあらゆるものをレビューする【僧侶的よろずレビュー】。
前回は「おおきくなるっていうことは」という絵本をご紹介しました。
今回は、中国で行われた「一人っ子政策」の実態に迫ったドキュメンタリー映画「一人っ子の国/One Child Nation(原題)」をご紹介します。
日本人が意外と知らない、一人っ子政策の実態と当時の惨状が収められた作品ですので、ショッキングな描写もあります。
こちらのレビューも、その点をご了承いただけた方のみご覧ください。
Contents
あらすじ
この映画は、中国生まれでアメリカの大学を卒業し、映画制作を行っている女性監督ワン・ナンフーさんが手持ちのビデオカメラ一台で撮影した作品です。
そのきっかけは、アメリカで結婚して子どもが生まれ、母親(父は他界)や親戚に孫の顔を見せに中国へ帰ったことでした。
そこで、話は監督自身が生まれた時の話になり、微笑ましい話題が出てくるのかと思いきや、親戚たちは口を揃えて言うのは、
「男の子じゃなくて残念だった。」
という言葉。
しかも、ワン監督の名前は漢字で書くと「王男栿」。
名前に込められた意味は「男の大黒柱がほしかった」。
なぜそんな名前をつけるのか、そんなに男の子が欲しかったなら、百歩譲って次に望みを託して、女の子は女の子で大切に育てればいいじゃないか。
そう思ってしまうところですが、実はその頃に中国で行われていたのが、一人っ子政策。
爆発的な人口増加による食糧危機を防ぐために中国政府が行った「各家庭に子どもは一人まで」という政策です。
ワン監督が1985年生まれで、一人っ子政策が実施されたのは1979年〜2015年の36年間。
監督はアメリカでの留学と結婚を経て、改めて客観的に中国を見た時、監督は自身が一人っ子政策の実態について知らなかったことに気付きカメラを取ります。
そして、公安に見つかれば拘束を免れない状況で、監督はカメラを携え、一人っ子政策の実態に迫るのが、この作品です。
Becoming a mother affected the way I see things, it motivated me to explore what really happened during the One-Child Policy. Watch @OneChildNation and find out how generations of parents and children were forever shaped by this social experiment. https://t.co/cA7G6oUlul pic.twitter.com/1GHpdrkePi
— Nanfu Wang (@wangnanfu) January 23, 2019
一人っ子政策の実態
私は、この作品を観るまで、一人っ子政策は社会の教科書で見たことがなく、人口が多い中国特有の政策で、一人っ子だったら国から支援や保障があって二人以上はそれがない、くらいのものだと思っていました。
しかし、この作品を通して知ったその実態は、想像を絶するものでした。
「一人っ子にする」政策
そこまで政策の実態を知らないまま観始めた私は、この作品によって一人っ子政策とは国家主導で各家庭の子どもを「一人にする」政策であることがわかってきました。
どうすればそんなことが可能になるのでしょうか?
答えは簡単。
二人目を身ごもった人を説得、あるいは拘束して強制的に中絶してしまうのです。
しかも、その中絶の対象は妊娠何ヶ月目でも関係ありません。
作品中に登場する産婆さんは、その手で5万人の出生児や胎児を殺したと証言します。
そしてさらに、不法投棄や産業廃棄物に関する問題意識をもった写真家が様々なゴミ捨て場を撮影していると、医療廃棄物の袋に詰められて捨てられた、大量の出生後の赤ん坊の死体を発見します。
仮に隠れて生んだとしても、気づかれれば家に人が押し入ってきてさらっていてっしまう。
それほどまでの強制力をもって行われた「各家庭の子どもを一人にする政策」が、一人っ子政策なのです。
一人っ子と中国の思想
そして、この政策は中国の思想とも相性が最悪でした。
強制的に命が奪われる政策に相性も何もないのですが、中国だからこそ、より多くの赤ん坊が犠牲になったと言えるでしょう。
中国では、古くから「男子が家を継ぐ」ということが大変重んじられてきました。
仏教が入ってきた頃、出家というものが反発にあったのも、男子が出家してしまうと家が絶えてしまうからです。
この考え方は少からず日本にもありますが、中国はその比ではありません。
ワン監督が「男の大黒柱がほしかった」という意味で王男栿と名付けられたことを思い出せばお分かりになるはずです。
一人しか生んではいけないという状況下で、女の子が生まれた。
家族や親戚にとって、それは子どもが生まれた喜びを上回るほどの落胆だったのです。
ただし、ワン監督が生まれた田舎の農村では、人手が必要であることから、一人目が生まれた5年後にお金を払えば、もう一人生むことが許されたそうです。
それによってワン監督には弟がいるのですが、親戚の口から衝撃的な事実が明かされます。
実は弟が生まれる前に、女の子が生まれたが、捨てたというのです。
男の子じゃなかったから捨てる、そんな耳を疑うようなことが、実はワン監督の家族だけでなく、2015年までいたるところで行われていたそうです。
そして、道端に捨てられた赤ん坊は、死んでしまうこともあれば、拾われて外国の子どものいない家庭に買われていたという、もはや国内では収まらない規模へと問題は広がっていきます。
作品内では、捨て子だった中国人の女の子がアメリカで幸せに暮らしていて、自分の出自を知り、姉妹とFacebookで再会する様子も収められています。
一人っ子政策は、中国に根付いた「家族」という価値観の中で、問題の裾野が大きく広がっていったのです。
(本編より)
国家と命
そしてこの作品の中で、最も私の背筋が凍ったのは、赤ん坊がゴミとして捨てられていたことでも、男の子が生まれるまで子どもを捨てた家族に対してではありません。
最も恐ろしく感じたことは、多くの人が当時のことを誇りに思っている、ということです。
政策が施行された当初、中国では歌、劇、ポスターや標語、後にはテレビなども使って一人っ子が推奨されました。
さらに、隠れて二人目を産もうとしている人を見つけて通報すれば、褒賞や勲章がもらえました。
冒頭で触れた、5万人を手にかけたという産婆さんの家には勲章が溢れていました。
誰もが正しいことと信じて、一人っ子政策の中を生きていたのです。
そして、そうして国家に従って生きたことが、紛れもない正義なのです。
一昨年ウイグル自治区に行った時、街のいたるところに中国の国民としての団結を呼びかける文字が書かれていました。
日常生活の中で政治的なメッセージを目にすることが多くはない日本から考えると、それは異様なものでしたが、そこでは当たり前でした。
そうした、国の政策や方針の中で、人にとっての命の重みはここまで変わってしまうということ、それがこの作品に対して私が抱いた一番強い印象です。
今、これからをどう生きるか
当時を知る人々の多くが後悔をしていないと書きましたが、作品の中でそれを大きく悔やんでいる人が登場します。
それはさきほど登場した産婆さんです。
赤ん坊を取り上げたくて就いた仕事なのに、5万もの命を奪ったいうことを大きく後悔し、現在は贖罪の意味も込めて不妊治療に力を入れているそうです。
国家主導とはいえ、過去を過ちと認めて悔い、これからの生き方に投影していくことは、中国に限らず重要なことです。
そして人として生きる「正しさ」をどこに置くのか、それが私たち問われる課題とも言えるでしょう。
中国では一人っ子政策の末、お年寄りを支える若者が少なくなり、女子を捨てて男子のみを取り上げた結果、結婚相手がいない男性が非常に多くなってしまったそうです。
そして一人っ子政策が進められた当時、街中に書かれた政策推奨の標語は、現在こう書き換えられているようです。
「一人は少ない 二人がいい」
(本編より)
まとめ
今回は、執筆しながら思い出して憂鬱な気分になるほど、観ていて辛くなる場面の多い映画「一人っ子の国」を取り上げました。
皆様はどう感じられたでしょうか?
私はこの映画は「中国は怖い」を感じる映画ではないと感じました。
国という大きな枠組みの中でいとも簡単に変わってしまう命の重みについて考える映画、というのが個人的な感想と印象です。
今、こうした状況下で「感染列島」という映画が見直されていますが、私はこの作品もそこに分類されるのではないか、と考えています。
ショッキングなシーンも多いため、今回はいつものような形ではオススメはしません。
可能な方のみ、ご覧ください。
参考記事:町山智浩『一人っ子の国(One Child Nation)』を語る