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今年も8月。
いつの間にか1年のうちの3分の2が過ぎようとしています。
今年はろくに外出せずにブログと動画撮影ばかりしていたので、これ!という記憶に乏しい上半期になりました。
つまりはですね、ブログでの話題が品薄ということです。
連載をしている亮道さんはともかく、私と智照さんはもう減量に失敗して最後の一滴まで体の水分を出している柔道選手ばりのギリギリ感です。
あぁ、昨年の今頃は広島で一人旅して、記事4本書けたのに。
旅にでも出たいなあ。
でも、普段東京にいる人間が遠出なんかしたら、自粛警察という方々のお世話になってしまうかもしれないし…。
そうだ!今日は自粛警察に関する記事を書こう!(唐突)
批判的なものは色んなところで言い尽くされていると思うので、現代の日本人の自粛警察的性格と、仏教の戒の理解についてのお話です!
Contents
そもそも戒ってなんだ?
まずはじめに、仏教の戒について。
日本では戒律という言葉で浸透していて、「お坊さんが守る仏教的規則」というような認識があるかと思います。
ところが、実はこの戒と律は別物ので、それぞれ異なる意味があるんです。
戒
戒というのは、簡単に言えば「仏教徒として生きる実践目標」のようなものです。
実は出家する時に受けるのはこの戒で、これによって仏教徒として生きていく指針を得るのです。
現在「肉を食べるということ」で取り上げている不殺生戒はまさにこれで、「殺してはいけない」という禁止事項ではなく「生かしきっていこう」という実践の指針になっているわけです。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
律
一方、律はどのようなものかというと、「みんなで穏やかに修行をするための生活規則」のようなものです。
これは、実際の生活の中で、修行僧がやってしまった出来事に応じて随時定められていったもので、「やってしまったら仏教徒として良くない」あるいは「他の修行僧にとっての迷惑になる」ということが含まれています。
以前ご紹介した食事作法も、定められた律の一つということになります。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
戒と律の違い
と、ここまで戒と律の意味をそれぞれご紹介しましたが、わかるようでわからないですよね。
そこでざっくり、どう違うかとというと
戒→達成していくことで仏教徒的にプラス
律→破ると仏教徒的にマイナス
ということです。
はい、結局わかりづらい!笑
ここで重要になるのは、戒というものは積極的に実践しながら生きていくもので、受け身になって破らないようにビクビクするものではない、ということなんです。
自粛は戒か律か
私は、コロナ禍にあって外出している人を過剰に責める「自粛警察」と呼ばれる人が登場した背景には、自粛を戒ととるか律ととるかの違いがあると考えています。
今回、非常事態宣言に伴って出されたのは、「自粛の要請」という非常に主体が曖昧なものでした。
「外に出るな!」という命令でもなく、かといって自分達で「控えよう!」と考えたものでもない。
「自発的に外に出るのはやめようと思ってくれませんか?」というものだったような気がします。
そうすると、世間には
「感染せずに健康でいるために外出は控えよう」という戒的な捉え方をする人と、
「みんなー!外出ちゃだめなんだってよー!だから守ろうねー!」という律的な捉え方をする人が現れるのです。
そして今回、自粛警察と呼ばれたのは、この律的な捉え方をした方々が多いのではないかと思います。
日本人と律の相性
実はこの、自粛を律と捉えてしまうのは「自粛警察」になった方々が特別だったのではなく、日本人の気質として潜在的にあるものなのではないか、と私は思うのです。
日本は島国であり、四季にも恵まれたことから、人々は自然の変化に合わせて生活する知恵を編み出してきました。
そうした性格は社会にも表れていて、自分より大きな存在の示す方向に合わせて団結しながら生きるということが比較的得意な民族であるように思います。
だからこそ、戒のような積極性・主体性を要する「実践目標」よりも、律のような「規則」と言われた方がずっと受け入れやすいのかもしれません。
ところが、この律は戒という志が前提としてあるからこそ仏教の機能を果たすものです。
しかし一人一人に志がなく、規則が全てになってしまうと、全体主義の恐ろしい社会になってしまいます。
戒としての自粛
私は、「withコロナ」と呼ばれる今後の社会では、自粛は「みんなが健康で安心して生きられますように」と願い、積極的に実践する戒として広がって欲しいと思っています。
当然、そこには様々な補助や環境が必要にもなってくるので、簡単なことではないでしょう。
しかし、まだまだ長く続きそうなこの状況では、「受け身の自粛」ではなく「積極的自粛」を模索していく仏教の戒的な考え方が、今後重要になってくると思うのです。
私たち禅活もワークショップやイベントの一切が開催できなくなったからこそ、YouTubeでの配信やインスタライブを始めることができました。
そんな「自粛によってできなくなったこと」にではなく「自粛だからできること」に目を向ける「攻めの自粛©️伊集院光」をしていきたいと思っています。