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インターネット・ミーム。

いわゆるインターネットから生まれた流行り・文化についてはいつも禅活のサブカルマスターこと久保田が考察していますが、今回は私がとあるミームについて考えます。

今回は取り上げるのは、Twitterで生まれ、いわゆる「バズり」によって有名になった「100日後に死ぬワニ」です。

斬新な切り口で一大ムーブメントとなったこの作品が映し出した、現代人の心について考えます。

100日後に死ぬワニとは?

「100日後に死ぬワニ」というのは漫画家・イラストレーターであるきくちゆうきさんがTwitterで仕掛けた100日限定で連載された4コマ漫画です。

100日後に死を迎える主人公、ワニくんの何気ない日常を描きながら、残りの日数がカウントダウンされていくというもので、「死ぬ」という暗いワードとは裏腹にポップな画風と内容で、読者を惹きつけました。


次第に「100日後に死ぬ〜」というユーザー名や、このワニくんの最後を予想して漫画を描く人も現れるようになり、99日目にはネットニュースで「明日最終日」という記事が書かれるまでになりました。

一体この漫画のどんなところが、これほどまでに人を惹きつけたのでしょうか。

100日後という設定

「100日後に死ぬワニ」がここまで人気になったのは「死にそうにないけど、100日後に死ぬ」という設定にあると思います。

ワニくんは決して危ない目にあったり病を患うこともなく、ごく普通の若者のような生活をしています。

さらに、彼自身はまだまだ完結しない漫画「ONE PIECE」の最後を楽しみにしている様子なども描かれています。

のんびりとしたワニくんの日常生活を描いた漫画に、これだけの読者がついたのは、そんな平凡な彼が100日後に死ぬということがわかっていたからでしょう。

サザエさんよりものんびりとした、大きな起承転結もない内容が「100日後の死」というゴールが設定されているだけで、「これが死への伏線になっているのかな」とか「その頃にはもう生きていないのに」という、考察の材料になったりエモーショナルな気持ちを引き起こすのです。

また、12月12日から毎日カウントダウンしていき、3月20日に世界中の読者全員で最期を目の当たりにするというある種の一体感も作用したのかもしれません。

そして、現実世界ではいつ、どこで、どうやって訪れるかわからない死が、漫画では100日後に約束されていて、読者を「最後まで見届けずにはいられない」という心境にさせたのです。

最期がわかっているということ

実は、私はこの作品というかコンセプトが好きではありませんでした。

最後を知った今でも嫌いではなくても好きかどうかはわかりません。

その理由は、どんな内容や作風であれ、私は死をゴールにしたものが苦手だからです。

「1リットルの涙」「世界の中心で愛をさけぶ」「恋空」などなど…。

日本ではこれまで、死を伴った愛や友情の物語がいくつものブームを作ってきましたが、私はそうしたドラマ・映画・小説の類に触れたことがありません。

人が死ぬ作品の一切というわけではなく、原因が病気であれ事故であれ戦争であれ、死にドラマ性を持たせて人の関心を引こうとする、感動させようとする魂胆が、どうにも受け付けないのです。

しかし、日本に限らずそうした「感動」の保証は人を惹きつける力を持っています。

それはなぜか。

私たちは誰も死んだことがないからです。

死という現象の本質

仏教では、四苦八苦という人間が生涯抱える8つの苦を説きます。

8つというのは

・生まれること(生苦しょうく)
・老いること(老苦ろうく)
・病を患うこと(病苦びょうく)
・死ぬこと(死苦しく)

・愛するものと別れること(愛別離苦あいべつりく)
・恨み憎むものと出会う事(怨憎会苦おんぞうえく)
・求めるものを得られないこと(求不得苦ぐふとくく)
・物事を感じ、思うこと(五蘊盛苦ごうんじょうく)

のことで、前の4つで四苦、全部合わせて八苦です。

ここでいう「苦」はよく「苦しみ」と捉えられがちですが、中国で「苦」と翻訳された元のインドの言葉では「ドゥッカ」と言い、「思い通りにならない」という意味があります。

つまり「愛別離苦」を「愛するものと別れることは苦しい」と解釈してしまうと、あるあるにもならないような非常に意味の浅いものになってしまいます。

しかし、「愛するものと別れることは思い通りにならない」と解釈した時、「思い通りにしようとしていた自分」のという存在に気付くのです。

そして死というものは、この苦の中で唯一、人間が生きているうちに経験できないものです。

ましてや死んだら痛いのか、楽なのか、どんな世界なのか、誰も知りません。

さらにはそれがいつ自分に来るのかさえ、誰にもわからないのです。

これだけ情報や口コミがある時代に、死にはそうしたものが一切ありません。

しかしそんな得体の知れないものだからこそ、人はドラマ性や美しさを求めたくなるのかもしれません。

死とは、親から生まれた生命が機能を停止するという現象です。

本来はそれ以上でも以下でもありません。

そこに、その人の人生と自分との関係性を重ねることで、他者の死を悼み、悲しむのです。

100日目に浮き彫りにされたもの

「100日後に死ぬワニ」はそんな思い通りにならない、いつやってくるかもわからない死が淡々と予定通りに近づいてくる、言ってしまえば趣味の悪い面白さを持つ企画でした。

そして、読者たちはどれが伏線になっていて、どんな風にワニくんが死んでしまうのかを考えながら楽しんでいました。

しかしその最期は、ここには載せませんが含みを持たせた、様々な解釈ができる描かれ方をしていました。

99日間読んできた読者は納得がいかなかったかもしれません。

実際にTwitter上でも散見された感想でしたが、言ってしまえば、あっけなかったのです。

しかし、それが死なのです。

ピタゴラスイッチのように一つ一つの要因が積み重なって、100日間の伏線を回収して起こるドラマチックなものではないんです。

99日間で予想したり、考察したりして、読者が一時的に分かったつもりになったワニくんの最期が、あえて読者の腑に落ちない形で描かれたことで、むしろリアルなものになったように私は感じています。

そしてそこに見られた感想や考察の数々を見ていて、私は死によって何かを感じたい現代人の心を見たような気がしました。

人の死を感動話にしたがる人は、僧侶の世界にもたくさんいます。

現代人がどこか劇的な、印象に残る最期を求めるのは、医療や科学が発達した上、人の死に触れる場面がほとんどなくなったからなのでしょうか。

それとも医療や科学が発達するほど、死というものの得体の知れなさが増していき、恐怖が大きくなったことの裏返しなのでしょうか。

私にはわかりません。

ただ、「100日後に死ぬワニ」は死という現象に対してドラマチックさや感動といった付加価値を抱きたがる現代人の心を浮き彫りにしたと、私は感じました。

 

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