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今年の3月20日は春のお彼岸の中日でした。
禅活の久保田も、地元北海道の滝上町に帰り、お彼岸の法要をつとめてまいりました。
毎年お寺で行われる法要は、お正月、お彼岸、お盆、花祭り、などありますが、
久保田は子どもの頃からお彼岸が楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。
その理由は……そう!
ぼたもち!(or おはぎ)
「お彼岸が来ればお供えのぼたもちを食べられるぞ!わーい!」
という、単純な理由です。
今回はお彼岸にちなんで、久保田がぼたもちによって「貪り」の愚かさを思い知ったというお話をいたします。
Contents
一人暮らしの「魔」
一人暮らし。
幼い頃から自分の部屋を持たず、また中学・高校と寮生活を送ってきた久保田にとって、これほど憧れたものはありませんでした。
なんでも自由にできる自分だけのスペース。
それはまるで遥かなる黄金郷のように、若き久保田の目には映っていました。
時は流れ、久保田も大学に進学して……
ねんがんの、ひとりぐらしをてにいれたぞ!
と、一人の自由を獲得するに至りました。
しかし一人であるということは、自由である反面、少しでも気を抜けば、あっという間に生活が崩壊してしまうという危険もはらんでいます。
そう、久保田は……
与えられた自由の中で、夜更かしや飲みすぎ、運動不足など、数々の悪習慣を身に付けてしまったのです。
食にまつわる悪習慣
そして数々の悪習慣の中で、食にまつわる悪習慣が私にとって最も深刻なものとなりました。
ひとことで言えば、バカ食い。
歯止めをかける者が居ないというのは、恐ろしいもの。
もともとふくよかであった私の腹はさらに大きくなってしまっていたのです。
やめられない、やめる気もない。
衣服や家電にさしたる興味もない久保田の家計はどんどん食材へとつぎ込まれていきました。
そこに栄養バランスとか、ヘルシーとかいう概念はありません。
その時に食べたいと思ったものを食べたいように食べる生活。
さすがに、まずいよな。
と、思いつつも、その習慣はなかなか改善されませんでした。
そして、久保田の食べすぎ習慣は次なるステージへと突入していくことになります。
食べすぎの次なるステージ
「もう、それくらいにしておきなさい!」
と、たしなめる人がいない、ということに気が付きどんどんエスカレートする久保田のバカ食い。
その究極型が……
好きだったけど、おなかいっぱいは食べられなかったものを自分で作り、飽きるまで食べるという、
愚かの極みとしか言いようのない所業です。
ただでさえ好きなものに背徳感も加わって、たまらない味わいがありました。
ある時は、ホットケーキミックスとソーセージを買ってきて、フレンチドッグ(アメリカンドッグ)を大量に作り……
またある時は、洋ナシ酒、バナナ酒、リンゴ酒など果実酒を漬け込み……
カレーには豚バラブロックを何本も投入し、さながら豚の角煮のカレー風味のような装いにし……
その時の気分に任せて、まさに「貪り」としか言いようのない行いを積み重ねました。
「貪り」は仏教の戒める根源的な煩悩の一つですが……
そこに自分から、エイヤ!と、喜び勇んで飛び込んで行ってしまったわけです。
そんな毎日大暴れな生活をする中で、とうとう私はぼたもちのバカ食いに手を出すことになりました。
ぼたもち暴れ
その切っ掛けとなったのが、まんが日本昔ばなしの『狼と狐』を鑑賞したこと。
そのあらすじはコチラ
あらすじ
腹を空かせた狼と狐は民家に忍び込んでぼたもちを食べる。
石臼で玄関が開かないことを分かっていた狐はぼたもちを民家の中で食わず外へと持ち出す。
一方狼は狐の忠告を無視してただひたすらぼたもちを食う。やがてぼたもちの食いすぎが原因で下を向けないほど腹の皮が突っ張った狼が物音を立てて寝ていた住民を起こしてしまう。
狐はいつでも逃げられるよう準備していたため狭い格子をすり抜け自分が風呂敷に包んだぼたもちを持って逃げる。しかし狼は大きく膨れ上がった腹が格子につっかえり逃げ遅れて住民から棒でぶたれる。
最終的に狼は民家の扉を体当たりで突き破り山に帰る。
(引用元:まんが日本昔ばなし~データベース)
このお話で山と積まれたぼたもちが美味しそうで美味しそうで……
またオオカミの食べっぷりの嬉しそうなことと言ったら!
……
ようし、自分も大量のぼたもちを作って食べまくってやろう。
このお話の結末でオオカミがどうなったか、なんて知ったこっちゃありません。
そうと決まれば善は急げ(絶対に善ではない)。
近くのスーパーでもち米と小豆を買い込み、大量のぼたもちづくりに取り掛かりました。
まずは小豆からあんこを作り、
翌日もち米とうるち米を1:1で炊いて、潰す。
手のひらサイズのご飯をあんこでくるんでいくと、みるみるうちにぼたもちが山のように積みあがりました。
「こりゃ、完全に一人で食べる量じゃないな!」
「オラ、わくわくしてきちまったぞ!」
うず高く積まれたぼたもちからは、もはや威圧感すら漂っています。
自分がこれからそれを食べることを思うと、ぼたもちがまるで黒ダイヤの輝きを放っているかのように思えました。
ぼたもちはそんなに食べられない
大量のぼたもちを意気揚々と食べ始めた久保田。
しかし、5~6個食べたあたりで、早くもおなかが膨れてきました。
ぼたもちの山は減る気配すらありません。
あれ?こんなに食べれないものなのか?
と、思いつつも、ひとつ、またひとつと食べ進めていき、それが10個を超えたあたりでしょうか。
「もう、ダメだあ!まさかぼたもちがこんなに重いなんて!」
とうとうギブアップしてしまいました。
皿を見ればまだぼたもちは20個以上も残っています。
「どうすんだよ、これ……」
先ほどまで輝きを伴って見えたぼたもちの山も、今となっては土くれにしか思えません。
無駄にするのも忍びないということで、ラップをかけて冷蔵庫に放り込みましたが……
そこからが真の悪夢の始まりでした。
毎日ぼたもち生活
それからというもの、久保田はぼたもちを食べ続けました。
朝、昼、晩。
毎食、1~2個ずつぼたもちを食べ続けていくと、どんなに好きでも嫌気がさしてきます。
まして、相手は激アマで重いぼたもち。
久保田が自らの所業を嘆き、深く反省するのに、そう時間はかかりませんでした。
「おれは、ばかだ」
時間がたてばたつほど味の落ちていくぼたもちに、言いようのない罪悪感が沸き上がってきます。
「欲に任せて、好き放題食べて」
「美味しくないなんて思いながら、食べているなんて」
「大好きなぼたもちに対してとんでもないことをしてしまった」
欲望に身を任せ、好き放題やってしまった自分が情けなく、恥ずかしく、誇張や脚色ではなく涙がこぼれました。
食べられる量と消費できる量
それから、なるべく無駄にするような食べ方は控えようと思いました。
自分の食べられる量以上は食べないと決めて、
バカ食いをやめたその結果、体重増加も落ち着きました。
反省してめでたし、めでたし……となれば良かったのですが、この話には続きがあります。
ぼたもちのバカ食いから、10年余り。
相変わらず食べられる量以上は食べないという決まりを守ってはいますが……
年齢とともに、エネルギーの代謝は落ちていきます。
しかし不思議と食べられる量は変わっていません。
気づけば自分の食べる量は、消費できるエネルギー量を上回り、これまでと同じ食生活ではどんどん体重が増えるようになってしまっていたのです。
貪りへと転じた食生活
自分に見合った量以上、度を越えた量を食べてしまう。
これも食欲を満たすために食べようとする「貪り」の一つでしょう。
ぼたもちのバカ食いは「貪り」と半ば自覚しながら行ってしまったことに比べ、
今回のそれは、当たり前にやっていた食生活がいつの間にか「貪り」へと転じてしまっていたのだから余計にタチが悪い。
ひとつの正解と思っていたことでも、状況の変化でいともたやすく誤りとなるのだ……
再びつき始めた腹の肉を眺めつつ。
思えば、昔は砂糖と米を使ったぼたもちは高級品で、お彼岸にはそれをお供えして、御先祖様と分け合って食べるということに喜びや美味しさがあったはずです。
単に食欲を満たすためでなく、味も気持ちも分かち合って「足るを知る」ことが身心の健康には重要だったのです。
今一度、ぼたもちのバカ食いによって得た教訓を思い出し、今の自分に合った食事を心がけていこうと思いを新たにしました。
そして、更新停止状態の久保田養生記もそろそろ復活させます。(今回はいつまで続くかな?)