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曹洞宗僧侶の立場から肉食を捉え直すこちらの連載。

今シリーズでは、肉食を曹洞禅の食の教えから考えることで、
曹洞宗が掲げる「人権・平和・環境」の取り組みを網羅するものになる、ということについてお話ししています。

今回は、この連載開始のきっかけであり、私が食に関する活動と研究をするきっかけともなった、
肉食と人権問題についてのお話です

そもそも肉食忌避はいつから?

日本では、肉食をタブー視してきた歴史があります。

これは仏教伝来以降のものと思われがちなのですが、実はそんなことはありません

仏教が伝来したといわれるよりずっと前の日本の様子を、
3世紀末に記録したとされる中国の歴史書『魏志ぎし』の「倭人伝わじんでん」にはこんなことが書かれています。

その死には棺あるも槨なく、土を封じて冢を作る。始め死するや停喪十余日、時に当たりて肉を食わず、喪主哭泣し、他人就いて歌舞飲酒す。已に葬れば、挙家水中に詣りて澡よく浴し、以て練沐如くす。

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要するに当時の日本人は人が亡くなると肉食を断ったと書かれているのです。

他にも、渡航の無事を祈るために船に乗る「持衰じすい」も肉食と飲酒を断ったと書かれています。

ここから分かるのは、日本人は
・宗教的行為(場所)から肉食を遠ざけた
・肉食そのものは古くから行われていた
ということです。

この肉食文化はあるけれど宗教的行為や場所としてはNGという感覚が、
形を変えて今も残り続けているのだと、私は捉えています。

「肉」と関わる仕事への差別

そして、そうした肉食に対する忌避感を強めたのが仏教でした。

日本の仏教受容の始まりは、仏教の中でも密教と呼ばれる、祈祷を中心とするものでした。

国家としては、僧侶の祈祷による宗教的な力によって、国を護り繁栄させて欲しいという願いがありました。

そんな国家的な宗教行為には、当然肉食はタブーで、
まだ正式な戒律が伝わる以前から、国家として僧侶に肉食を禁止する決まりまで出されました。

また、後に日本に伝わった戒律も、中国で成立した肉食を禁止するものであったことから、
仏教は肉食への忌避感をより強いものとしていきます。

そんな仏教が貴族へ、民衆へと伝わるようになると、問題になるのが肉を生産したり加工したりする職業です。

現代では、マグロの解体ショーはお寿司屋さんや市場のパフォーマンスとして大変人気がありますが、
実は同じ様な習慣が10世紀初め頃にあったそうです。

それは、宴の場でのキジの解体ショーでした。

これがおもてなしとして親しまれていたのが、徐々に廃れていきます。

その理由は、仏教が広がるにつれ動物を捕らえ、肉にしていく過程が、罪業として広く認識されるようになったからです。

罪業の隔離

しかし、動物を捕らえ、肉へと加工する過程、いわゆる猟(漁)やと畜解体が罪業と認識されたからといって、
肉食自体がやめられたわけではありませんでした。

それどころか、日常や宴の場では肉はご馳走として重宝され続ける一方で、
宗教行為や場所と関係する前後には肉食を断つ「精進そうじ」という習慣が生まれます。

肉を生産・調理するところまでが殺生であり、
食べる事自体はそこのタブーに触れないという価値感が形成されいくのです。

その結果、食肉加工や狩猟・漁撈に携わる人は罪を背負う存在として扱われるようになり、
その存在そのものが社会的に忌避されるようになります

こうした職業の方々は時代を下っていくと、
穢多えた」や「非人」と呼ばれ、社会的に差別を受けることになります。

差別を受けた職業・身分というのは肉に関係するものだけではありませんが、
死んだ牛馬の解体などを行う地域は特に町から遠ざけられ、
地域そのものがそうした差別にさらされる「被差別部落」となっていく
のです。

差別がもたらしたもの

こうした差別がいかに愚かであるかは、現代人であれば一目瞭然でしょう。

と畜解体や猟(漁)をしてくれる人がいるから、食卓があるというのは、小学生でもわかることです。

科学のなかった時代には、宗教的な忌避感だけでなく、疫病への恐怖などもあったのかもしれません。

しかし、それがなぜ差別になってしまったのか。

それは、差別によって安心する人が一定数いたからではないでしょうか。

鎌倉時代以降、仏教の一部の宗派ではと畜や猟(漁)を行う人は、地獄へ堕ちると説くようになります。

ただしそれは、その従事者に説かれたものではないと私は捉えています。

むしろ、と畜解体や猟(漁)に携わらない人にほど意味があったのではないかと、
あくまでも個人的には思うのです。

「あんな悪い事してる人は地獄へ堕ちるけど、あなたたちは大丈夫ですよ」というニュアンスが、
そこに携わらない人々を安心させたのではないでしょうか。

もちろん、地獄を説いたことで人が正しく生きようとしたという面はあったでしょうし、それ自体を否定はしません。

しかし、罪業の例として挙げられたことで、食肉に関わる人々は仕事としては必要とされながら、
人としては差別される事となったのです。

この、自分よりも下の人を作ることで安心するという、人間の心の愚かな部分は、
あらゆる差別や人権問題と関連しています。

次回は、そうした差別や人権問題に対して、曹洞禅の食の教えがどう関わる事ができるかについて考察します。

 

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