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僧侶の立場から肉食を考えるこの企画。
はじめの3回では食肉加工場見学の経験と、そこから見えきた僧侶としての課題を書きました。
そして国と仏教と肉食について考えるべく、前回までインド・中国仏教における肉食について触れました。
今回はいよいよ日本仏教と肉食についてのお話。
実は今回が一番悩みました。
それは宗教・政治・文化という様々な要因が混ざり合い、しかも時代時代で細かく変化をしながら日本の肉食は現代に続いているからです。
そこで今回は、日本の肉食を考える原点として、初期の日本仏教と社会、そして肉食に対する考え方についてのお話です。
文章量の関係で前後編の二部に分かれますが、前編となる今回は日本仏教の特徴、そして仏教伝来以前から存在した神道のとある概念について触れてみます。
Contents
日本仏教の特徴
日本仏教と肉食について考えるには、日本仏教の特徴を把握しておく必要があります。
今回は特に飛鳥〜平安時代、日本に伝わり、浸透していった頃の仏教についてです。
6世紀、推古天皇が国を治め、聖徳太子が活躍したとされる飛鳥時代の日本に、インドから中国を経由し、現在の朝鮮半島である百済から仏教は伝えられました。
伝えられたといっても、この時は僧侶がやってきて教えを説いたわけではなく、百済の聖明王から仏像や経典が贈られただけでした。
この時伝わった経典の一つ、『金光明経』というお経に、「国が仏教を護れば安泰する」と説かれていたのが、日本が仏教を受容するきっかけだったのです。
お釈迦様がおられたインドでも、仏教が説く生き方が人を導き、国を導き、国家を豊かにすると言われ、実際に信仰に篤い国王も存在しました。
そしてそれから1000年という時間、そして日本までのおよそ6000kmという距離を経る過程で、仏教は仏道修行がもつ「神秘性」に対する信仰を生みだします。
これは仏教の中でも「密教」という系統に分けられ、日本では真言宗と天台宗がそこに分類されます。
しかし、日本の仏教諸宗派はこの密教をベースにしているため、どの宗派も少なからず密教の影響を受けていると言えるでしょう。
禅宗に分類される曹洞宗でもご祈祷が行われるのもその一例です。
つまり、仏像や経典を守り、広めることによって得られる「神秘的なパワー」、そしてそのパワーによる護国(鎮護国家)、それが初期の日本仏教の目的であり、大きな特徴なのです。
③日本の「浄と穢」
また、仏教というのは、その土地に根付いていた信仰の影響を受けながら、国ごとに異なる発展を遂げて浸透してきました。
それは日本も例外ではありません。
仏教が伝わった時、すでに日本には神道という信仰の土台がありました。
神話をベースに、八百万の神に対する信仰である神道は政治の基盤であり、神事や神主は朝廷の直轄の公務員でもありました。
そんな神道への信仰という土台の上に、仏教の持つ護国の力を重ねるという形で日本仏教の信仰はスタートしたのです。
そこで、神道が日本仏教と社会に与えた重要な概念である浄らかさと穢れ、「浄と穢」についてご紹介します。
求められた「浄らかさ」
神道では、血や性、病や死といったものを「穢れ」として遠ざけます。
この「浄と穢」の概念から、神の使いである巫女が純潔を保つことを求められたり、女人禁制の寺社仏閣が存在するのです。(女性の場合は月経が血と関連したため)
先日ご紹介した広島県の宮島でお葬式や出産を行うことができないのもそのためでした。(参照記事)
この「浄と穢」という概念は、ただ単に清潔か不潔かという話ではありません。
これは四季があり、島国でもあることで天災・疫病・飢饉など、様々な災いに苦しめられてきた日本にとっての納得の仕方であり、予防でもあったと考えることができます。
例えば生き物の血を穢れとして遠ざける理由を考えてみましょう。
現代では病が菌やウイルスで起こるというのは常識です。
しかし、まだ菌やウイルスという存在を知らなかった時代、出処のわからない病の原因を死や血というものに見出したのかもしれません。
あるいは地震や干ばつ、台風といった天災の原因がわからなかった時代、その災いの原因は死者の祟り、動物の祟りとしたのかもしれません。
こうして考えてみると、以前触れた「バチ」と同様に、穢れとはただの宗教的概念ではなく、当時の日本人には理解の及ばない、防ぎようのない災いや不幸を、なんとか納得して飲み込むための生きていく為の知恵としての面が見えてくるのです。
そしてなにより、自然や、生死という、当時では到底理解の及ばない物に対する恐怖、これが根底にあったことを忘れてはならないでしょう。
後編へ
以上が、日本仏教と社会、そして肉食を考える上でまず必要な基礎の部分です。
仏教の伝来は社会と肉食文化にどのような影響を与えたのか。
そして神道とはどのように関係し合ったのか。
仏教、神道、社会。
歴史の全てを網羅することはできませんが、今私がお伝えできる限りのことをお伝えします。
後編へ続く