【坐禅(座禅)コラム#17】告知について考えること

坐禅について考えたことを書いてきたこちらのコラム。

久しぶりに書きたい内容があると思ったら、前回とかなり内容が被っていることに気づきました。

前回が坐禅をする上で効果やメリットを語るべきか?という点について書いています。

今回はその続編という形で、坐禅会という場を設け、それを告知する上でのお話です。

とある坐禅会のお話

先日、都内のシェアオフィスで利用者向けの坐禅会をしたいというお問い合わせをいただきました。

担当者さんと打ち合わせを重ね、お昼休みの開催ということを考慮し、
結果的に坐禅会ではなく食事作法のワークショップを行うことになりました。

宣伝文句の難しさ

そして、その告知をするにあたって先方が気になるのは打ち出し方です。

利用者さんの業種的には「瞑想」「リラックス」「集中力がつく」など、
いくつかの使いたいワードがあるようでした。

これは当然のことで、催しにはフックとなるものが重要です。

関心を持ってもらえる宣伝文句の有無は、イベントの命運を分けるともいえるでしょう。

しかし、前回触れたように、効果やメリットを前面に押し出すことは、
ある意味では感じ方に制限をかけることにもつながります。

そしてなにより「無所得、無所悟」こそが、他の分野にはないある種の強みでもあります。

そこで今回はわがままを言って、「こういうことを目指す」というニュアンスは入れずに告知をお願いしました。

当日の様子

そして迎えたワークショップ当日。

参加者はオフィスの利用者さん限定で、正確な人数は当日までわかりませんでした。

しかし蓋を開けてみれば、昼休みの忙しい合間をぬって約15名がご参加くださいました。

ここで驚いたのが皆さんの関心の高さと視点の多様さでした。

それぞれの業種や趣味などと関連させながら、食事のことや坐禅のこと、
曹洞宗の教えについてなど、様々な質問をいただきました。

ここに、ワークショップのゴールや目的を設定しなかったことの意義がありました。

マーケティングにしないことの良さ

一般社会で、何か催し物をしたり商品を売り出す際には、誰に届けてどう感じてもらうか、
それを誘導していくための宣伝文句やアピールポイントが必要になります。

それは、どの目で見ても同じように感じさせるための工夫と言ってもいいでしょう。

一方で、坐禅会や禅のワークショップにおいては、
それぞれの視点でそれぞれの感じ方をしてもらうことにこそ大きな意義があります。

特に曹洞宗では「無所得・無所悟」と言いますが、
何も得ようせず悟ろうともしないことにこそ、現代社会には新鮮な気づきがあるのかもしれません。

後日、担当者さんとワークショップについて振り返ると、
イベントでゴールや目的を設定しなかったことの新鮮さと、
反応の多さについての驚きが返ってきました。

個人的に、禅に関心を持つ方の中で、仕事や成績に対しての志が高い方ほど、
何かを得ようとすることに疲れていると気付いていない方が多い
という印象があります。

そう考えると、坐禅会や禅に関する催しをする場合、
技術の習得や目的意識をもつことより、
まずは自由に感じてもらうことが重要なのかもしれません。

内容が響かなかったらどうしよう、というこちらの心配をよそに、
人はそれぞれの人生に照らしながら実に様々なことを感じたり、
気付いたりしてくれます。

確かにマーケティングの手法や戦略に則って禅を打ち出すことも、
もしかすると社会に根差した布教教化活動と言えるかもしれません。

しかし私は、そうした市場経済にはない価値感や視点こそ、
現代社会における仏教や禅の魅力だと思っています。

YouTubeやSNSでの布教活動をしていると、
ついついその場でのお作法に則ってしまうこともありますが、
本来持っている強みを活かす形を模索していきたいですね!

 

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