【坐禅(座禅)コラム#16】効果やメリットを語るべき?

ずいぶん久しぶりとなったこちらの坐禅コラム。

坐禅をしたりお伝えしながら感じたことや見つけた課題を書いております。

今回は、坐禅をお伝えする中で感じてきた
坐禅の「効果」や「メリット」という言葉の扱いについて考えてみます。

坐禅する人、イロイロ

東京で活動させていただいた昨年度までの6年間で、
ありがたいことに様々な場で、様々な方と坐禅をする機会をいただきました。

禅活で主催した各坐禅会をはじめ、イベント会場でのいす坐禅や、
大学で100人近い学生と坐禅をする機会もありました。

またYouTubeでは今や人気YouTuberの芳賀セブンさん、
格闘家の矢地祐介選手朴光哲選手
先日もある企業の社長さんとも一緒に坐禅をさせていただきました。

その中で毎回大きな学びがあるのは、
人によってそれぞれに坐禅に対する視点や感想が異なるということです。

時には、私がなかなかしっくりくる言葉を見つけられずにいたことを、
あっさり言語化する方もいらっしゃいました。

異なる立場の方が初めて坐禅に触れた時の言葉は、
いつも私に刺激と発見をくれました。

効果とメリットを語るべき?

そうした、異なる立場で現代社会を生きる方々に坐禅を伝える時にいつも迷うのが、
坐禅の効果やメリットを語るべきか、ということです。

曹洞宗の坐禅は目標や成功を求めるものではないということは、
過去に書いた通りです。

しかし、人に何かをオススメするにはどうしても魅力が必要なものです。

特に大学の授業や研修などで坐禅をすることになった方には、
「なぜ坐禅をするのか」は非常に重要なポイントとなるのです。

そこで、仮に個人が「結果として」体感する爽快感やリラックス効果はあったとしても、
これを目的にするととやはり曹洞宗の坐禅とは離れていってしまいます。

このジレンマがなく、明確に目的を打ち出すことで世界中で関心を集めたのが、
マインドフルネスであったと、私は考えています。

マインドフルネスストレス低減法という名称は、
必要な方が効果を求めて手を伸ばしやすい、非常に明確なものといえるでしょう。

それならばやはりここは方便として、効果やメリットを打ち出していくべきなのでしょうか?

大切なのはタイミング?

個人的には、やはり坐禅に対して感じることは人それぞれでいいし、
その感じたことにこそ重要な気づきがあると思っているので、
効果やメリットを打ち出すべきではないと思います。

とはいえ!やはり私も坐禅が現代人に与えうる影響については、
可能性や希望があるからこそ伝える活動をしているわけです。

目的や結果を追わないこと、
成功失敗、良し悪しの判断から離れる、
ということを体現・体感できるのは坐禅の素晴らしい魅力であると私は思います。

しかし、それすらも一歩間違えると効果やメリットになり、
いつしか目的や結果として追い求めることに…となってしまうのが難しいところ。

そこで重要になるのが、言及するタイミングです。

私は説明や案内の中では、坐禅中や坐禅後の身心の感覚・状態には言及せず
坐禅が終わったらまずは各々の感覚を思い返したり、共有したりします

そのあとに初めて、一つの可能性として、坐禅がもたらしうるものに言及をします。

すると、自分の体験・体感とすり合わせながら、各々が自分の人生経験や感覚を通して、
自身の言葉で気づきや感想を口にしてくださることが多々ありました。

やはり、関心を持ってもらう宣伝のような形で効果やメリットを打ち出すのではなく、
身心一如を旨とする曹洞宗においては、まずは体験と体感が重要なのではないでしょうか。

坐禅を伝えたいという熱意があるほど、方便として効果やメリットは必要な気もしてしまいますが、
様々な方と坐禅をさせていただく中で、お一人お一人の人生というフィルターを通して、
私自身が坐禅を教わっていたのかもしれません。

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