人生は「親ガチャ」どころか「全部ガチャ」

親ガチャーー。

最近SNSを中心に広がり、ニュース番組で取り上げられて火がついたネットスラングです。

子どもは親が選べないという現実をスマホゲームなどのガチャに例えて、
親ガチャに外れた」といった使われ方をします。

この言葉には同調する人もいれば「なんてひどい言葉なんだ!」と激しく人もおり、賛否両論でした。

私はこの一連の出来事に対して、この言葉が取り沙汰された当初から「そんな騒ぐことか?」というのが正直な感想です。

むしろ、ガチャという言葉は人生を表現するにはずいぶん柔らかい言葉であるようにすら感じました

今回は、親ガチャという言葉ではとても収まらない人生の大変さについてのお話です。

Contents

親ガチャという言葉

親ガチャという言葉は、親に恵まれなかったことを自嘲する意味で使われるようになった、いわゆるネットスラング

スマホやPCなどのゲームでは、キャラクターやアイテムはガチャを引き、
ランダムで手に入るという仕様のものが多くあります。

そのガチャはランダムとはいえ、アカウントによって当たりを引きやすいものもあることから、
最初のガチャが外れた時点でアカウントを消して作り直す、「リセマラ」と呼ばれる方法もあるようです。

こうした運によってその後のゲーム攻略の難易度が変わってしまうところも含めて、
生まれた環境や家庭を「親ガチャ」という言葉で表現したのです。

そして文脈としては主に「親ガチャに外れた」という使い方をします。

つまり、親に恵まれなかったという意味です。

これだけ聞くと、「なんてひどい言葉だ!」と思う方もいらっしゃるでしょう。

「子は親を選んで生まれてくる」とお考えの方にとっては衝撃的な言葉でしょう。

しかしこの背景にはネグレクトや虐待を被ったり、
経済的に恵まれず健康や教育の面で苦労をした、あるいは現在進行形の方の生き辛さも含まれているのです。

それ故に、その方の辿ってきた人生によっては反発するか共感するかが分かれたことで、賛否両論ありました。

仏教的には「全部ガチャ」

この話題には多くの仏教徒の方が反応をしておられて、その視点は宗派やお立場によって様々でした。

私の僧侶としての見解は、仏教からすれば親どころか全部ガチャだと思います。

常用語にもなっている仏教語に四苦八苦しくはっくという言葉があります。

四苦八苦というのは4つの苦+8つの苦ということではなく、人生の要素を4つに分析するか8つに分析するかの違いです。

四苦というのは、生苦しょうく老苦ろうく病苦びょうく死苦しくの4つの苦。
八苦はさらにそれを細分化して、上の4つの苦に愛別離苦あいべつりく怨憎会苦おんぞうえく求不得苦ぐふとくく五蘊盛苦ごうんじょうく
を加えた8つの苦のことをいいます。

それぞれの意味は以下の通り。

生…生まれること
老…老いること
病…病を患うこと
死…死ぬこと
愛別離…愛着のあるものと別離すること
怨憎会…怨み憎むものと出会うこと
求不得…求めるものを得られないこと
五蘊盛…自分を構成するものが盛んにはたらくこと

ここで意味を解説するにあたって「苦」という字を除いたのには理由があります

それはこの苦という言葉は単なる「苦しみ」という意味ではないからです。

仏教語のほとんどはインドの古い言葉を中国語に翻訳したものです。

苦という字は現代でも意味が通じてしまうため字面で理解してしまいがちですが、
元のインドの言葉では「ドゥッカ」といいました。

「ドゥッカ」には「不満足な/思い通りにならない」という意味があります。

つまり、感覚として苦しいというのではなく、事実として思い通りにならないという解釈ができるのです。

そこで先ほどの八苦の「苦」の部分を”苦しい”ではなく”思い通りにならない”という意味で考えみましょう。

生まれることは思い通りにならない、老いることは思い通りにならない、病を患うことは思い通りにならない…。

生まれることが苦しいか、老いることが苦しいかには個人差があっても、
それがコントロールできないことはすべての人に共通した事実です。

私たちの人生は、どの親の元にどの兄弟の元に、親戚の元に、地域に、年代に、性別に生まれるか、
生まれる時点ですべてがランダムの「全部ガチャ」なのです

そして仏教ではこの現実を「一切皆苦いっさいかいく」と説いています。

リセマラができないゲーム

そして、そんな「全部ガチャ」で生まれると、どんなにそのアカウントが不遇だとわかってもリセマラが利かないのが、
この人生というゲームの難しいところです。

その上どんな初期設定だとしても、その後の老い方も患う病も死も、
別れも出会いも、成功も失敗も、その感じ方も思い通りにならないままプレイしていかなければなりません。

しかもそのガチャを引くという意思があったわけでもないのに…。

なんて残酷なゲームでしょうか。

だったら生まれない方がいいとすら思えてしまうかもしれません。

しかし仏教では、そんな超難関な無理ゲーだからこそ、「自分さえよければ」という思いを離れ、
他者と共に生きることで初めて安らかな心を得られると説いています。

親ガチャに始まったゲームをどうプレイしていくかの攻略法が仏教と言うこともできるでしょう。

まとめ

仏教では、苦しみ悩みの原因は「思い描く理想」「思い通りにならない現実」とのギャップにあると捉えます。

自分ばかりなんでこんな目に、という思いから解放されるには、
そもそもすべて思い通りにならない世界に放り出された、という現実に気づく必要があります。

そこで「思い通りにしようとしていた自分」に気づいたところから、仏道は始まります。

そうした、苦である生を受けても続いていく人生を表現した言葉とするなら、
「親ガチャ」という言葉も頭ごなしに否定できないような気がしました。

ただ、最終的には誰もが「あのガチャを引いてよかった」と思える社会になることを願っています。

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