【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】vol.38 最終話

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これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。

Contents

前回までのあらすじ

永平寺を出発して23日目。

奥州市の安養寺から、ゴールである花巻市の歓喜寺を目指し出発しました。

残り11kmほどのところにあるコンビニで一休みしたところで左足首に歩けないほどの激痛が走りました。

前回の記事は以下から読むことができます。

バックナンバーは以下から読むことができます。

【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】

長らくお待たせしました。

ついに!vol.38となる今回が最終章となります!(拍手)

それではご覧ください!

やさしさの半分×6

23日目 12:00〜

少し休んでも左足の痛みが治ることはありません。

刻一刻と時間だけが流れていきます。

あとちょっとなんだから、と気合を入れますが、それでも左足に力が入りません。

ここまで自分の精神力と体が反比例した経験は初めてです。

もしかしたらここで動けないままかもしれない。

永平寺を出発した初日に、激しい腹痛に見舞われたことを思い出します。

「ちょっときついかもな・・・

いや!あの薬を飲めばもしかしたら痛みが治るかもしれない!」

と、閃いたものそれは・・・

そう!

半分は優しさでできてるで有名の「バファリン」です!

常備薬として持っていたものの、一度も飲まなかったため、バックの奥底に眠っていたのを思い出しました。

そこで私は何を思ったのか、6錠一気飲み。笑

もはやこの時の精神状態は覚えていませんが、いっぱい飲めば早くよく効くと思ったのでしょう。

とりあえず一か八か、その優しさに賭けて少し様子を見たのでした。

30分ほど休んだら、さっきより痛みが引いていることに気がつきました。

「よし!これだったら歩ける!」

鎮痛剤の効果なのか、プラシーボ効果なのかよくわかりませんが、ギリギリ歩けるくらいの痛みに治りました。

本当に最後の最後の気力を振り絞って立ち上がり、ゴールを目指し歩きはじめました。

みちのく三大さくら名所

23日目 13:00〜

足を引きずりながら少し歩くと、みちのく三大さくら名所の1つである北上展勝地が見えてきました。

ここは岩手県の中央を流れる、北上川沿い2kmに渡って桜並木道になっている場所であり、ちょうど桜が満開になる時期がゴールデンウィークということもあり、この時期は多くの人で賑わっています。

この時期は閑散としていますが、赤く色づいて哀愁漂うソメイヨシノは、今の私の気持ちを映し出してくれているようでした。

先ほどのセブンイレブンでは、ZARDの「負けないで」が脳内リフレインされていましたが、展勝地から谷村新司の「サライ」に変わりました!笑

皆さんも是非「サライ」を頭の中で歌いながら、私のゴールを見届けてくれたらと思います。

花巻入り、そして・・・

23日目 14:00〜

展勝地のすぐ横を流れる広大な北上川を超え、一歩一歩ゴールへ近づきます。

私がこの旅を行うきっかけとなったのはvol.1プロローグでも綴っていますが、それは不安恐怖払拭でした。

これから僧侶の道を歩むに当たって、修行からすぐ世間一般の生活に戻ることに対しての不安や恐怖がありました。

そこで、私が考えたのが無一文で永平寺を出発して、人のご縁をつないで歩いて帰るという選択でした。

この旅では、修行以上に辛い思いや孤独もあり、何度も挫折しかけましたが、多くの人々のご縁と支えによって私はここまで歩んでくることができました。

これも、私が1人旅する青年だからという以上に、僧侶であるということ、そしてこのお袈裟を身につけているからこそ、無一文でもここまで生かされてきたのだと感じずにはいられません。

この旅の一つ一つの出来事によって、当初抱いていた不安と恐怖が払拭され、修行僧からこれから一生涯僧侶として歩む決意が固まってきたように思います。

23日目 15:00〜

午後3時頃、ついに私の生まれ故郷、花巻市に入りました!

私の実家は、花巻市と北上市の境にあるため、ゴールまで目と鼻の先です。

もうすでに足の感覚がなくなり、棒のようになっていますが、ラストスパートをかけます。

 

小さい時から見慣れた景色、見慣れた風景・・・

まさしく

「まぶた〜とじーれば〜、

浮かぶ〜景色が〜♪

迷いなが〜ら(本当に迷った。笑)

いつか帰る〜(帰ってきました!)

愛の故郷〜♪」

と、いうサライの歌が頭の中でどんどん大きくなってきた頃、ついに遠くに私の実家が見えてきました!

この半径200mは何もない、小さな山?小さな丘?の麓に佇むのが私が生まれ育った歓喜寺です。

遠くで家族が手を振って私のゴールを今か今かと待っているのが見えます。

ゴールまで残り50m。

家族が見守る中、おそらくさっき作ったであろう、新聞紙で作られたゴールテープを切り無事・・・

到着ーーーーー!!!!

感謝感激雨あられ!

お寺の名前通り、歓喜の渦に包まれます!

そしてまず最初、師匠である父に

「ただいま帰山いたしました。(※お寺に帰ってきました)

と、報告すると、

「ご苦労様でした。」

父は合掌して、一言だけ。

あれ?なんか素っ気無いな。

と、思っていると、目元には少しひかるものが。

父は、私が選択することに対して批判したり否定することはこれまで一度もありませんでした。

大学の進路も、僧侶になる時も、何をするにしても、

「わかった。」と一言だけでした。

放任主義なのかなと思った時期もありました。

しかし、こうして旅を終えて帰ってきたときの父の表情を見て、おそらく一番心配してくれて、そして私の選択を常に信じてくれて、支えてくれたのが父だったのだと思いました。

我がまま気まま4人兄弟の末っ子が僧侶の道を志し、4年8ヶ月の修行を終え、永平寺から無一文で歩いて帰ってこれたことは、父をはじめ家族の支えがあって成し遂げたことは間違いありません。

修行で離れていた時間が長い分、そしてこうしてご縁をつないで旅をしたからこそ、改めて家族の存在の大きさとその有り難さに気づけたのでした。

そして到着するやいなや、真っ直ぐそのまま本堂に向かいます。

五体投地の礼拝をし、般若心経をお唱えして御本尊様に無事永平寺から帰ってきたことのご報告します。

後ろから見ると、完全に体が傾いているのがわかります。笑

永平寺を出発して、23日目の2015年11月3日(火)、午後4時頃。

私は無事、岩手県花巻市円通山歓喜寺に到着することができました。

総歩行距離714km。

お寺の宿泊、13回。

野宿、7回。

民宿、1回。

托鉢の合計はあまり覚えていませんが、残金はそんなに残っていなかったと思います。

後日談

実家に到着して泥のように眠れたか・・・

と、いうと実は全く逆で全然眠れませんでした。笑

興奮もあったかと思いますが、何より足がジンジン痛んで全然眠れませんでした。

翌日、以前からお世話になっている治療院に赴きました。

こんにちは〜ご無沙汰しております〜
実はかくかくしかじかで歩いて帰ってきまして、足が痛いんですよね〜
と、先生に見せると、

いやー、歩いただけでこんなに酷くなった足初めて見るよ!

まー、何がどう酷いのかはよくわかりませんが、とにかくアイシングして3日間は絶対安静とのこと。

これ以上、長距離走ったり、歩いたりしたら将来的にどうなるかわからないから、もう無茶なことはしないようにと念を押されました。笑

おそらく地下足袋で歩いたことが1番の失敗だったのかもしれません。

今後は、地下足袋ではなくちゃんとしたウォーキングシューズでまた旅をしたいと思います。

え?笑

永平寺から無一文で歩いて帰るもん。

これにて・・・

〜完〜

あとがき

当、禅活ブログが立ち上がってから、禅活メンバーの西田くんからはブログに記事を書いてくださいよー!と再三お願いをされていました。

しかし、元々文章を書く、執筆をするということが大の苦手だった私は「うーん」「そのうちねー」などと逃げておりました。笑

それでも、そんな逃げもいつまでも通用するわけがなく、考えに考えた挙句、人に読んでもらえるレベルかわからないけれども、とりあえず永平寺から歩いて帰ったことを、備忘録として残しておこうと思いつきました。

テーマは「私が読んで楽しい旅ブログ」と、いうことで途中映画の内容や漫画のワンシーンなどを引用して、自分がプッと笑える内容を綴っていました。

あれだけ文章が書くのが苦手だった私ですが、書き始めるとあれよあれよと内容が伸びていって、気づけば23日間の旅を3000字×38回の超連載企画となってしまいました。

何より、私の執筆の活力となったのは、読んでくれる皆様がいたから、そして温かいメッセージをいただけたからに他なりません。

稚拙な文章で、読みづらいところも多々あったかと思いますが、ここまで読んでいただき本当に感謝申し上げます。

そして改めて、この執筆の機会を与えて、そしていつも校正をしてくれた禅活メンバー西田しんこうさん、久保田ちしょーさんに御礼申し上げます。

ありがとう!

それでは皆様今後とも、当禅活ブログをよろしくお願いいたします。

永平寺から無一文で歩いて帰るもん。をお読みいただきありがとうございました(^^)

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