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今回は時代の変化に取り残されつつある36歳久保田の悲哀を記事にいたします。

禅活メンバーからの苦言

「久保田さん、そろそろ携帯を変えてくださいよ……」

禅活メンバーからこのような苦言を呈されるのはもう何度目であろうか。

私久保田が使う携帯は、3年前に購入した格安のそれ。

データ容量が小さく、速度も遅い。

実に不便である。

「はぁ…(溜息)。久保田さんのせいでlineの会議通話ができないんですよ……」

そう。

データ容量があまりに少なすぎるせいでアプリのアップデートができない私の携帯は、lineの会議通話を利用できないのだ。

 

「うん……わかった、変えるよ、そろそろ変える」

 

……と、言いつつ、私は未だに携帯の機種変更をしていない

仕方がないから変えようか、と機種を調べると……

「ゲーッ27,000円!?

価格を見て「今日のところは勘弁しておいてやろう」と、購入を見送ってしまうのである。

 

もし私の携帯が普段の通話もできない、メールも送れないほどの状態であるなら、迷うことなく私は携帯を新調していたであろう。

だが、それらは充分に機能している

たしかに、遅かったり、新しいアプリを入れたりできないのは、不便ではある。

しかし、そのことで不自由をしているという感覚まったくないのだ。

「とはいえ、そろそろ変えないと悪いよな……」

そんなことを考えていた時に、7年ほど前の父親とのやり取りを思い出した。

携帯が招いた口喧嘩

スマホが普及して、Lineなどのアプリが当たり前に使われるようになったころ、何気ない会話の中で私は父に携帯の機種変更について聞いてみた

「その携帯だいぶ古いけど、スマホにしないの?」

「俺はスマホなんかに変える気はない!」

なんと怒声が返ってきた。

「こんなものがあるから今の世の中はダメになっているんだ」

会話のきっかけに軽く機種変更を勧めてみただけなのに、この言い草

 

スマホが人類の堕落の象徴だとでも言わんばかりの剣幕に、私もムキになってしまった。

「本当だね、文明なんて一切なければよかったのにね!」

新しいものに否定的な父親を目いっぱい皮肉るつもりで言い返した。

こうなればあとはどっちの言い分が正しいとかの問題ではない。

しばらく不毛な言い合いを続けたのち、どちらからともなくその場を去ってこのやり取りは終わった。

同じ道を歩いている

この不毛な口喧嘩の中で、印象に残ったやり取りがある。

「必要なくてもさ、周りがみんなlineで連絡を取っている以上、変えないと迷惑になるんだよ」

「連絡しやすいということは、いつだって束縛されるってことだ」

「未だにメールで連絡してくるのなんて親父くらいなもんだよ。lineなら履歴だって見られるし、家族で連絡を取り合うにも便利なのに。」

「そんなに頻繁に連絡をする必要がどこにある」

………

まったくもって話にならん頑固おやじだ!

と、この時は怒りを覚えたものだが、今になって父親がかたくなにスマホを拒んだ理由がよくわかる

ヘタにアプリを入れれば余計な通知が増え、興味もないコンテンツをこれでもかと披露してくる。

通知を切るのもいちいち手間である。

一人でゆっくりしたいときでも「暇?」と、聞かれれば遊びに行かねばならない。

情報の押し売りも、通信による束縛もいい加減うんざりだ。

 

携帯からは何種類かの音が鳴るが、どれが何を伝えているのかもはや気にしなくなった。

そもそも、基本的にはマナーモードかサイレント、もしくは電源を切っている。

このような私は、まさに昔の父親の姿そのものではないか。

変化についていけなくなった自分

思えば、携帯に限らず、新しいものへの興味というものが本当に湧かなくなった

もともと流行を追いかけるようなタイプではなかったが、それでも新しいゲーム機は買っていたし、定期購読している週刊誌も何冊かあった。

それが、今は、ゼロである。

部屋にテレビもゲームもなければ、週刊誌も読まない。

気が付けば周りはiphoneとmacばかりで、アンドロイドとwindowsユーザーはすっかり少数派になってしまった。

意識して拒んでいるというわけではないので、取り残されているというのが妥当なのだろう。

機械であれば操作方法や注意事項など、新しく覚えねばならないものが億劫になった。

 

これまでに培ってきたものだけでなんとかしようとしているうちに、恐るべきスピードで進む情報や技術の「革新」についていけなくなったのかもしれない。

しかし、果たしてこのような態度でこの混迷の現代を生きぬけるのだろうか……

変わりゆくものを受け入れる態度

新しいやり方、新しい発想。

私が生まれてからの30年で世界は驚くほどの変容を遂げたように思う。

幼い頃、夢に見た様々な技術が、いま現実のものとなっている

仏教が説く諸行無常は、このような常に移ろいゆく世界の様相を言い表した言葉である。

変わりゆく世界の中でしっかりと地に足をつけて生きていくには、自分自身も変わっていかねばならないのだろう。

インドで生まれた仏教は、時代の変化や伝わった土地の文化の違いの中で、変わることによって残ってきた。

しかし、変わりゆく中にあって残すべきことは残してきたことも事実。

変化に翻弄されてもならないし、かといって無視することもできない

変えていくべきこと、変えてはならないこと、そうしたことを見極めながら生きていかねばならないのだろう。

 

ところで……

やっぱり携帯は変えなきゃダメですかね……?

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