久保田養生記④~依存~

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お待たせいたしました!

久々の久保田養生記の更新です!

4回目となる今回は社会派成分多めでお送りいたします!

Contents

久々ということで……

まずは経過を振り返るところから。

生活改善を志した当初の決意は、控えめに言っても堅かった。

ひと月経ってもそれは変わらなかった。

しかし、二か月、三か月と経つにつれ、次第に決意は揺らぎ……

四か月経つ頃にはこのような状態……!

そして……ああ!

あろうことか!

ついに、破局の引き金が引かれてしまったのである!

・・・

・・

 

 

 

 

 

 

 

 

……人は、弱い。

 

諸行無常の理のなかにあって、一時の決意など砂上の楼閣がごとし。

気づけば、もとの木阿弥。

後悔先に立たず。

そう。

久保田の生活改善は……

完全に……停止した……。

烙印

私は何度もダイエットに成功してきたが、それ以上に失敗も重ねてきた。

今回も道半ばで終えることになってしまい、読者諸兄には申し訳ない気持ちでいっぱいである。

そして生活改善に失敗したという事実

それは人が思う以上に当人を苛む。

「自分はダメな奴だ。」

「宣言したこともできない、どうしようもない奴だ。」

「どうせ何をやったってダメなんだ。」

「こんな自分は人から信頼もされないし、軽蔑されているに違いない。」

失われた自信は、自己嫌悪を呼び起こし、

自己嫌悪に自己嫌悪を重ね、生活はまた乱れていく

もう一度、もう一度、と諦めずに挑戦するが、その度に失敗する。

そして、いつしか、失敗することまでが、習慣になってしまうのである。

依存という枷

人は誰しも、何かに依って生きている。

度が過ぎれば依存と言われ、病的であると診断されれば依存症である。

ギャンブル依存症、薬物依存症、アルコール依存症などはよく知られているし、その危険性については常に啓蒙活動が行われている。

一方で、買い物依存症や恋愛依存症など、適度ならば問題ない行為においても依存は起こりうる

何かに、過度に依ってしまうという危険性は、誰もが持っているのである。

過去の養生記で「大暴れ」の話をした。

幼いころから食べるのが大好きで、つらいこと、苦しいことを、食欲を解放することで癒してきた久保田は……しかるべき診断を受ければ食物依存症と言われるかもしれない

癒しの記憶が、解放の経験が、私を暴食の世界に捕らえて離さないのである。

違法薬物所持のニュースに思う

依存症と言えば、最近は違法薬物所持による有名人の逮捕者が相次いでいる。

ピエール瀧氏。田代まさし氏。沢尻エリカさん。國母選手。

かつて、薬物使用者に対する世間の目は、非常に冷ややかであった。

「人間やめますか、薬物やめますか」

薬物使用者はもはや人間ではない、とまで言い切る啓蒙活動さえ存在したのである。

しかし私には彼らを笑うことができない。

薬物の恐ろしさを知ってなお、手を出してしまう。

それはまさしく人間の弱さがゆえである。

私だって、友達に悪い奴がいて、仏教を知らなくて、世の中に絶望していたら手を出していたかもしれない。

植木等が「わかっちゃいるけどやめられない」と歌ったように。(スーダラ節)

「依存」という問題は私たちの生活とごく近いところにあるというのに、どうして笑うことができようか。

田代まさしよ、スターたれ

田代まさし氏は今回で5度目の逮捕だそうだ。

社会復帰できたかと思えば、またクスリに手を出してしまう。

しかも今回は、経験者として薬物の危険性を訴える活動に携わっていながらの逮捕である。

失望した人はさぞかし多いことだろう。

「出てきたところで、どうせまたやるんでしょう」

と、あきらめて、興味も関心も持たない人も多いかもしれない。

だが。

名誉も、家庭も、お金も、信頼もすべて失って。

それでもなお薬物の誘惑を振り切ろうと立ち上がる彼は、まさしく人間の弱さに真っ向から立ち向かっていると言うことはできないだろうか。

仏教の「苦」は「思い通りにならない」ことを言う

自分の意志すらも「思い通りにならない」なかで、必死に戦おうとする田代まさし氏。

いつしか、彼が薬物の誘惑を断ち切り、もう一度スターとして我々の前に現れることを、ファンのひとりとして切に願う。

再起

そして。

田代まさし氏の再起を願う一人として。

私も生活改善をあきらめるわけにはいかない!(薬物依存症と同じレベルで語ることはできないかもしれないが)

くぼちゃんはやめへんで~!

次回の久保田養生記にご期待ください!

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