禅活の西遊記 〜シルクロードを訪ねて〜vol.2

スポンサードリンク

禅活のメンバーがシルクロードの仏跡を巡った旅行を振り返るこのシリーズ。

前回、Episode.1ではいよいよ西域への入り口、敦煌とんこうへと到着しました。

今回は敦煌の仏跡を訪れた2日目の様子をお伝えします。

Contents

敦煌について

敦煌は中国甘粛かんしゅく省にある、かつてシルクロードのオアシスとして栄えた都市です。

中国と西域の文化の合流地点でもあったことから、言語は中国語ですが食文化や建造物には日本人が頭に浮かべるいわゆる「中国っぽさ」とは異なる部分が見受けられます。

何より敦煌には、それなくして現在の中国仏教史を語ることができない石窟(岩山に掘られた仏教史跡)があり、これが旅の始まりにして今回の旅の目玉でもあります。

朝食〜敦煌博物館・西千仏洞〜

まずは出発前にホテルのバイキングで朝食。なんとこちらでは目の前で打ってくれた牛肉麺がいただけます。あっさりとしたスープにラー油とパクチーを入れて。これがとても美味しい。

おいしい朝食をいただいた後はじめに向かったのは敦煌博物館です。

ここでは敦煌の史跡の資料や出土品が展示されています。

その中でも展示中心となっているのはやはり、冒頭で触れた中国仏教史研究の歴史を変えた仏跡、「莫高窟ばくこうくつ」です。

この莫高窟の壁画や仏像のレプリカが展示されているのですが、なぜ現地に行くのにこの博物館で見てしまうのか。

それは現地の保存状態が悪い&ほとんどが撮影禁止&見学不可のものが多いからです。

その理由には後ほど触れますが、まずは博物館に展示されているものをご紹介。

文献や

仏像や

亀。

そして莫高窟の特別窟を再現したもの!

などなど、仏教的なものはもちろん、当時の暮らしの様子などが伺える貴重な資料を見ることができました。

西千仏洞

敦煌博物館を後にした一行はバスに揺られること約1時間。

いつの間にか建物も人気もない荒野にやってきました。

ここにあるのは西千仏洞という石窟です。

先に言ってしまうと、この旅で訪れる仏跡のほとんどは石窟です。

西千仏洞は敦煌三大石窟の一つで、北朝代後期から西夏代に至る16の窟が現存しています。

窟の保護の関係から、見学できる窟は限られていますが、翡翠色が印象的な色鮮やかな仏画や、藁を骨組みにした仏像など、西域独特の仏教美術を垣間見ることができます。

そいてこの辺りで大変なのが乾燥。

バスを降りて一度普通に瞬きをしただけでコンタクトが取れてしまうほどの乾燥だったので目薬で保湿をしながら見学しました。

そしてこの格好が基本となります。

西千仏洞を始め、敦煌というエリアは、シルクロードと中国の接点であり、ゴビのオアシスでした。

それはつまり西域と中国との国境でもあり、そのために侵略を受けた際はまず初めに奪われるエリアでした。

そんな位置にあるため、歴史の中で忘れられた遺跡もありました。

そうした理由で仏像や壁画の保護が遅れ、偶像崇拝を禁ずるイスラム教の教えによって壊されてしまった仏像や壁画もたくさんあります

他にも生活に困った人々によって金箔などが剥がされてしまったものもあります。

そんなことを念頭において見学すると、決して保存状態が良いとは言えない石窟は、国や文化、時の流れの交差点であったことを、肌で感じることができました。

昼食

西千仏洞を後にした一行が次に向かったのはお待ちかねの昼食。

屋内か屋外の席を選べたので、葡萄棚に囲まれた屋外の席をチョイス。

料理はコースが決まっているようで、おとなしく待ちます。すると…。

ドン!

ドドン!

ドドドン!

中華が攻めてきたぞおおおお!!!!

これがめちゃくちゃ美味しいんです!!

日本で食べるような中華とはまた少し違った、スパイスの効いた味と新鮮な野菜がとても美味しくて、来る皿来る皿あっという間に平らげてしまいました!

同行した旅行会社の神宮寺さん曰く、「こんなによく食べる人たちは初めて」とのこと。

確かにお年を召した老師方には少し重いかもしれませんが、食べ盛りの20代〜30代が集まった私たちには最高の昼食でした!

デザートに出できたスイカはスターウォーズのデス・スターみたいな形でした。

スター・ウォーズ公式HPより

ただ、まさかこの料理が一週間ずっと続くとは、この時誰も思いませんでした…

陽関

午後からは、敦煌と西域をつないでいた関所を巡ります。

まず最初に訪れたのは陽関

ここは唐の詩人王翰おうかんが詠んだ詩が有名な敦煌の主要な関所となった場所です。

まず入場ゲートを入り、奥へ進みます。

ほう、これが陽関か、と思ったらさらに乗り物で移動。

砂漠の中を進んでいくと、見えてきたのが陽関の跡地です。

 

そしてここで詩人王翰が詠んだとされる詩がこちらです。

 

葡萄の美酒夜光の杯

飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す

酔ひて沙場に臥す君笑ふこと莫かれ

古来征戦幾人か回る

 

この地域名産の干しぶどうをつまみながら、同じく名産の夜光杯にお酒を注ぐ。飲もうとしたところにどこからともなく馬に乗って琵琶を弾く音が聞こえる。酔っ払って砂の上に倒れても、どうか笑わないでほしい。今まで戦争に行った人がどれだけ帰ってこれただろうか。

 

当時の国境であるこの陽関から見える砂漠は、おそらく自分が戦い、倒れることになる場所だろう。

そう思いながら杯を傾けたというこの詩は、時を経て風化したこの陽関の景色と重なって人の世の儚さを感じさせてくれました。

*一般的には「葡萄酒を夜光杯に注ぎ」と訳しますが、現地ガイドの張さんさん曰く「この地域では葡萄酒は造られておらず、干しぶどうが名産なので”干しぶどうをつまみながらお酒を飲む”という描写がふさわしいのではないか」とのことでしたので、今回は記事の性質上、この訳をとりました。

 

漢長城・玉門関

その後訪れたのは漢長城跡玉門関

漢長城は砂と植物を材料にして造られた壁ですが、風化はどんどん進んでいるようでした。

それでも二千年以上残るこの城壁はこの土地で暮らした人々の知恵と労力の結晶といえます。

玉門関は名産の夜光杯の材料である「玉(ぎょく)」が運ばれた関門であり、シルクロードと中国の接点となる場所です。

西遊記の三蔵法師もここから西域へ出発しただろうと言われた場所でかなり大きな門が残っています。

ここで何気なく買った1つ5元のアイス。

後から聞いたら乳製品や氷にはあまり手を出さない方がいいとのこと。

おいしかったけど。

 

と、こんな感じでこの日の遺跡巡りは終了。ホテルへの帰路につきます。

 

夕食&夜市

ホテルに戻るとほどなくして晩ごはん。

ちなみにこの旅程の晩ごはん、全て回るテーブルでした。

実はこの回転テーブルは日本発祥だそうです、それが定着してるってすごいですね!

夜のメニューはこんな感じ。

うどんを短く切ったようなもののナポリタンのようなもの

鶏肉とじゃがいものカレー煮

にんにくの芽の炒め物

 

この西域の旅全体を通してですが、野菜がすごくおいしかったです

味が濃くてみずみずしく、野菜はとにかく毎日もりもり食べていました。

ちなみにイスラム文化圏でもあるため、お肉は鶏肉と羊肉が中心です。

晩ごはんの後は自由時間。

私西田は本田さんと二人で夜市に繰り出しました。

道路沿いの商人からライチを買ったり

露店でハンコを作ったり数珠を買ったりして、最後は名物のシシカバブをいただきました。

こうして今もオアシスの名残りのある敦煌の活気を感じ、二日目を終えたのでした。

 

Episode.3へ続く

 

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事