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これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。
Contents
前回までのあらすじ
11日目
前回は江戸時代の曹洞宗の禅僧、良寛さんゆかりの土地を歩いた深澤亮道。
ちょっとだけ脱線して良寛さんについて綴りました。
※前回の記事は以下から読むことができます。↓
バックナンバーは以下から読むことができます↓
今回は、11日目野宿先である「大河津分水さくら公園」から、12日目の目的地である「東龍寺」までの道のりをお送りします。
大河津分水さくら公園
11日目 pm6:00〜
この日の野宿先は「大河津分水さくら公園」。
ここは新潟県のほぼ中央に位置する、燕市にある公園です。
名前にも入っている通り、ここは「水を分ける」役割がある重要な場所なのです。
なんの水を分けるのか!?
それは日本一長い河川として有名な「信濃川」です!
この大河川と広大な越後平野は古くから農耕に適した土地ではありましたが、しばしば水害に悩まされてきた土地でもあったのです。
そこで、明治時代に信濃川を分岐させる水路を日本海まで作ったポイントがここだったのです。
当時「東洋一の大工事」と称されたほど、困難を極めた工事で、多くの時間と人手を要しましたが、昭和2年についに完成。
分水路ができる以前は度重なる水害のため、不味くて鳥さえ食べない米と言われたそうですが、完成してからは水害が起きることもなくなりました。
この工事がなかったらおそらく、日本一の米どころ、そしてブランド米のコシヒカリは生まれなかったでしょう!
そんな重大な拠点となったいたとは露知らず。
日本海側の道の駅に比べて、風もなく人も少ない公園で眠りにつくのでした。
本日の目的地
12日目 am6:30〜
顔に滴る雫によって目を覚まされました。
いや、覚まされたというより、定期的に顔にポタポタと垂れる水滴によって、熟睡することなく朝を迎えたのでした。
理由は、地面の湿気です。
前にも紹介したのですが、私が野宿で使用していたのでは一般的なテントではなく、ツェルトと呼ばれる簡易テントで寝ていたので、下部は紐で止めているだけの状態です。
そして芝生の上で寝たので、おそらく体温によって温められた地面の湿気が、ツェルトの表面に蒸発し雫となって落ちて来ていたのです。
雫が滴るという、一晩中顔の周りに蚊が飛んでいるレベルの不快度を感じた一夜でした。
さて、本日の目的地は、南蒲原郡田上町にある名刹「東龍寺」です。
大河津さくら公園がある燕市を出発して、三条市、加茂市を通り、28km先の道のりを歩きます。
本日の道のりは長からず、短からずといったおそらくこれくらいがちょうどいい距離なのでしょう。
おおよそ6時間ほど歩けば到着する予定です。
公園のトイレで洗面をし、身支度を整え7時頃に出発しました。
良寛さん托鉢中?
12日目 am7:00〜
永平寺を出発して12日でおよそ350kmほど歩きました。
だいたい東京から名古屋くらいまでの距離でしょうか。
(そう考えるとそんなに歩いていないかも・・・)
日に日に足の痛みは増し、疲れは溜まってきていますが、それでも大きなトラブルもなく、着実に前に前に歩き続けてきました。
そしてついに、ここがようやく中間地点!
気合いを入れ直し、元気にこの日も出発です!
大河津さくら公園を出発して、すぐのところにあった看板が目に止まりました。
ジャジャン!
「良寛さん托鉢中 ゆっくり走ってぇー!」
おぉ!
まさに前回お伝えした通り、良寛さんゆかりの土地ならではの看板です!
ただ、これ伝わる人どれくらいいるのかな?笑
良寛さんを知らない人が見たら、なんのこと?と思うでしょう。
もちろん、托鉢中とは言えども、良寛さんは江戸時代の禅僧であり、すでに亡くなっているのは言うまでもありません。
しかし、もしかして今でもこの地で托鉢をして生活をしているかもしれない、と良寛さんに対する想いを寄せる人々がここに看板を建てたのでしょう。
そう考えると、伝わるとか、意味がある無しではなく、なんとも心温まる風景に思えてきます。
ま、良寛さんじゃなく亮道は現にこうして托鉢をして歩いているので、「ゆっくり走ってぇー!」と切実に願うのでした。
(いや、本当に猛スピードで走る車怖いですからね・・・)
燕三条と金属加工業
本日は、分水ポイントより分かれた信濃川沿いを歩くルートになります。
またまた余談ですが、ここ燕市・三条市を合わせた燕三条は、日本が世界に誇る金属加工業の町としても有名です。
皆さんも一度は、大手雑貨店などで、鏡のように反射する食器類を目にしたことがあるのではないでしょうか?
包丁やステンレス製の食器などなど、ここ燕三条では作れないものがないと言われるくらい、物作りが盛んな町なのです。
その理由としては、先程もお伝えしましたが、ここ信濃川の度重なる氾濫があったからです。
水害に犯されたこの土地では、農業が根付くことなく、その打開策として、江戸時代に和釘作り、金属加工業が始まったそうです。
しかし、「大河津分水」の工事完成以来、信濃川が氾濫することなく、現在では広大な越後平野の米どころとしても有名になり、そして伝統文化の金属加工業も今尚盛んに行われています。
あ!
いつも、脱線してばっかりですみません。
ただ、こうして歩いて帰った土地の歴史や文化を知れることも、旅を振り返ることで成せることなのかなと感じておりますので、悪しからず。
さて、戻りましょう。
新潟名物とファイト一発!
12日目 pm12:00〜
出発してから5時間ほど、およそ18kmくらいでしょうか。
順調に歩みを進め、お昼の12時には加茂市に入りました。
あと、10kmほどで目的地なので、おそらくあと2時間半ほどで到着する予定です。
信濃川の河川敷沿いを軽快に歩いていた時のこと。
私の行く先に、一台の軽自動車がハザードランプを点滅させ停車しています。
その脇には初老の男性が立ちすくみ、こちらを見ています。
ずっと凝視しているので、怖いなー怖いなー(稲川淳二風)と心の中に思いながら、私の行く手に立っているその男性の近くまできました。
そうしたところ・・・
「あの、これ、もしよかったらどうぞ!」
と、言い残し私にビニール袋を私、すぐさま去って行きました!
手渡されたビニール袋の中には・・・
出ました!
新潟名物「柿の種」と、ファイト一発でおなじみ「リポビタンD 」!
実は今までお伝えしていませんでしたが、これまでもお昼ご飯を自分で買うということはほとんどなく、食べてもおにぎり1つとかで歩き続けてきました。
理由は言うまでもなく、所持金がそこまでないからです。笑
お腹は空きますが、慣れれば割と食べなくても歩けるものです。
新潟に入り、駅で托鉢をしたりすることもなく、ただひたすら歩いていたため、人と触れ合うことも話しかけられることも少なくなってきたので、久しぶりに人からお布施をいただいた気がします。
金額の大小、物の多少ではなく、こうして歩いていると全てが有り難く感じます。
いつもなら、すぐに食べ終わってしまう柿の種を一粒一粒丁寧にいただき、ワシのマーク「リポビタンD」を飲み、気持ちだけケイン・コスギになりきり、ファイトいっぱーつ!
残り10kmの道のりを歩くのでした。
続く
次回予告
土地の説明が多めになってしまいましたが、この日も順調に歩みを進めた、深澤亮道。
あと少しで、目的地である「東龍寺」に到着します。
次回は、東龍寺での出来事をお伝えできたらと思います。
「vol.21 ファイト一発!」をお読みいただきありがとうございました(^ ^)
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