ラッパーのジェネレーションギャップから学んだこと

日頃からよく日本語ラップを聴く私。
これ!というアーティストの縛りはあまりありませんが、最近はSummitというレーベルから出る音源がストライクゾーンに入りやすく、PUNPEE氏やVaVa氏などは良く聴いています。

今年7月に同世代のラッパーBIM(25)氏が出したアルバム「The Beam」はこの夏のイチオシでした。

特にこの「BUDDY feat.PUNPEE」は、一番近しい友人に感じる劣等感やジレンマのようななんとも言えない感情が表現されていて、なんだかとても懐かしい気持ちを思い出しました。

そんなアルバム「The Beam」についてベテランラッパーであるDABO氏がインタビューをしている動画がアップされました。

そこでDABO(43)氏がとても興味深いことを言っています。

 

BIMに限んないけど、今のヤングたちは「これは俺の世代では曲にしないな」っていう感情とかをぴょいって曲にするから、なんかこう、すげー逆につえーなって思ったりするんだよね。〈筆者書き起こし〉

私はこの言葉にハッとするものがありました。

ひと昔前の日本語ラップはもちろんかっこよさや憧れのような感情はあっても、共感は抱けずにいました。

例えばZEEBRA氏やDABO氏のようなベテランラッパーの魂の叫びとも言えるようなリリックには色褪せないかっこよさがあります。

ところが共感し、納得し繰り返し聴いてしまうのはBIM氏のような自然体の自分を謳ったラッパーの曲なのです。

もちろんこれはただの好みではあります。

しかし、ここから感じ取れることは、時代の変化と共に言葉に表され、共感される感情も変化してきている、ということです。

僧侶の世界でも、法話(説法)の形としてこれが望ましいとされてきたスタイルがあります。

僧侶は立派な人格者で、人の見本となるような存在でなくてはならない。

そんな一般的なイメージに自分たちをなんとかあてはめようと必死になっていることがあります。

しかし、こうした時代の変化の中で、私たちの世代では僧侶自身が誰よりも悩み、失敗し、反省しているという姿が表現されてもいいのではないか、そんなことを思うのです。

私を知る友人たちはきっと、ただただ僧侶として綺麗なことを言う私より、相変わらずおっちょこちょいで、詰めが甘くて優柔不断な私がどうにかこうにか仏道を歩んでいる中で口から出てくる言葉にこそ共感してくれると思うから。

厳しい環境に置かれてこなかったと言われてきたゆとり世代の私。

しかし、育つ時代の中で当然価値観や考え方は変わってくるのだから、僧侶だってその上に立って生きていいじゃないか、25歳と43歳という世代の違う二人のラッパーの対談はそんなことを思わせてくれました。

 

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