布施を受け取れなかった僧侶の話

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お布施。

法要の後に受け渡される現金をイメージする方が多いかもしれません。

都会における金額の相場の高騰(本来、相場なんてものはないですが)や、宗教関連の不祥事、宗教法人の免税の妥当性などから、しばしば問題視されるお布施。

しかし本来、布施とは手に対して思い遣りを形にして施すことを言います。

数年前に亡くなった祖父が、

「昔はお布施が大根1本や、ニンジン2本という家が少なくなかった。」

と言っていたのを覚えています。

社会が貧しくてなかなか出せるものがなくても、それでもお寺に何かをしてくれようとした。

そのありがたい心こそが、まさに布施の心です。

そして、どうぞ受け取ってください、と善意によって施されたものを受け取らない、ということは基本的にあり得ません

そのようにわかっているにもかかわらず、つい先日差し出された布施を受け取れないということが、私の身に起きまし

今回は、その時のエピソードを紹介しながら、布施について考えてみたいと思います。

Contents

僧侶in電車

私はよく首都圏のお寺のお手伝いをしています。

その日もいつものように、外出用の衣に着替えて家を出ました。

ツルツル頭と僧侶姿で電車に乗ると、大抵の人は異形の姿に驚くのでしょう。

一斉に視線が集まり、そして程なく目をそらされます。

「そりゃ、驚くよねえ」

私自身、街で奇抜なコスプレをしている方に出会うと、驚くとともに何だか恥ずかしくてつい目をそらしてしまいます。

(まあ、こちらはコスプレではないのですが(笑))

そして、やや混んでいる電車でつり革を掴みながら、中吊り広告を眺めていた時のことです。

思いもよらぬ出来事が起こりました。

僧侶、席を譲られそうになる

ポンポン、と肩を叩かれそちらを振り向くと、なんとも気持ちいい笑みを浮かべた青年の姿。

はて、何事かあらん、と思うやいなや、

「どうぞ!お座りください!」

と、大きな声で、優先席を指さして私に席を譲ろうとしてくれました。

想定外の事態!

なるほど、そういえばスリランカなどの仏教国では公共交通に僧侶専用の座席があると聞いたことがある。

いやいや、待て待て、ここは日本だ。

え、なんで、なんで譲ろうとしてくれるの?

私が僧侶だから!?

いや、嬉しいけど!気持ちは本当にありがたいけど!

ちょっと待って欲しい。

そこそこ混んでいる車両で優先席に腰掛けるむくつけき僧侶。

どう考えても印象が悪すぎますよ!

葛藤の末……

満面の笑みを浮かべる青年を前に、私が発した言葉は、

「いえ、私は大丈夫ですから……どうぞ座っていてください」

というものでした。

それから電車はますます混みあってきて、かの青年はいかにも席を譲りたそうにしています。

(いえ、大丈夫ですから。本当にお気になさらないで…。)

と目線で伝える私。

言いようのない居心地の悪さを感じながら、電車に揺られること数分。

降車駅に到着し、青年に「どうもありがとう」と伝えながら、電車を降りました。

降車後の後悔

なんだか、変な感じになっちゃったなあ。

そんな思いを抱いて、道すがら、電車の出来事を思い返します。

あそこで座るべきだったのか。座っていたらどうなっていたのか。

心優しい青年とお坊さんの、心温まる一幕となりえたのか。

それとも青年に席を譲らせている悪逆非道の鬼僧侶と映るのか。

もやもやした気持ちは、なかなか晴れません。

しかし、たった一つはっきりしていることは、あの青年の心遣いは受け取られなかったということです。

そう気づいたとき、僧侶としての体面を気にして、席を辞退した自分が恥ずかしくなりました。

無財の七施

読んで字のごとく、お金や財産を持たずとも人に施すことのできる七種類の布施が、無財むざい七施しちせです。

その中には、

和顔施わがんせ」…人ににこやかに接する

床座施しょうざせ」…人に席を譲る

という、まさにあの青年が私にしてくれようとしたことも含まれています。

そして布施によって生まれる功徳は、それが贈られ、受け取られることではじめて成就じょうじゅします。

私はあの時、すぐに青年にお礼を言って席に座るべきだったのでしょう。

そして次の駅に着いたとき、もしくはその次の駅で席を必要とする他の方に譲ればよかったのです。

そうすることで、それぞれの布施は成就され、あと腐れなく電車を降りることができたはずでした。

謙虚という防御

日本の美徳の一つに、謙虚というものがあります。

何事も控えめに、出しゃばらない。

確かに素晴らしい心がけですが、その反面、行き過ぎると卑屈になってしまったり、かえって失礼ともなりかねません。

周りを気遣うがゆえの謙虚さが、いつしか自分の体裁を保つためのものになってしまっては本末転倒です。

私の場合も、謙虚であろうとする心が、謙虚であれば問題ないだろう、という事なかれ主義すり替わってしまっていたように思います。

次に席を譲られたら、笑顔で受け取ります(*^-^*)/

 

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