スポンサードリンク

今回から不定期で精進料理のコラムを書いてみようと思います。

精進料理のこと、食べ物のことなど色々触れつつ、ミニコーナーも設ける予定です。

第一回となる今回はタイトルの通り、スーパーの見切り品が実はお布施で、それを活かすのってすごく精進料理として理に適っているんじゃないかというお話です。

仏教と肉食を考える連載、「肉を食べるということ」も合わせてご覧ください。

無駄を出さないという精進料理の知恵

禅活-zenkatsu-として最も活動歴の長いものが、精進料理と食作法への取り組みです。

敷居が高く、非日常的な体験になってしまう精進料理や禅の食作法を、いかに一般の食卓に活かせるか、それが一番のテーマでした。

しかし、活動を重ねる中で、気づけば「肉魚を使わないのにこんなにおいしい!」が売りになってしまっている現状にいつも引っかかっていました。

精進料理を仏教の視点から考えるなら「何を」使うかだけでなく「どのように手に入れた物をどう使うか」が重要になってきます。

どれだけ動物性食品を使っていなくても、食材が無駄にされていては意味がありません。

野菜を使っていようとヘタや皮を無駄にしていれば仏教的精進料理とはいえないですし、逆に骨の髄まで活かしきっていれば、肉を使っていても仏教的的精進料理と言えるのではないかと、私は考えています。

どんな食材であろうと、手間を惜しまず最後まで余すところなく活かしきること、これが僧侶の視点からみる精進料理の知恵です。

そしてこの知恵というのは、社会的に見ればフードロスの削減という大きな役割を担うことにも繋がります

そこで私は、フードロスの削減に貢献しつつ、仏教の教えにも適った精進料理の活かし方がないか、そんなことを考えるようになりました。

見切り品の可能性

そこでまず、世間にあるフードロスを色々見てみました。

食堂の隣のテーブルで残された食べ物、回転寿司で延々と回り続けて乾いたお寿司、オードブルなどで飾りとして盛られたレタスやパセリなどの野菜。

この食べ物が行く先は廃棄であることは容易に想像ができます。

しかし、それに憤ったところで何ができるわけでもないのが現実でした。

そんなもどかしさを抱えながらスーパーで買い物をしていた時、目に入ったのが「見切り品」の棚でした。

ご存知の通り、見切り品とは野菜や果物などの生鮮食品で「少し変色や傷みが始まっているんで、その日のうちに食べてくださいね、その代わりにお安くしますんで。」というもの。

いわば食べ物を無駄にしたくないお店の想いなわけです。

当然、利益を出そうという思惑がないわけではありませんが、まだまだ食べられるけど廃棄の直前まできている食材であるのなら、これを無駄にしては男が廃る、いや僧侶が廃ります。

こうして私は「見切り品」に目をつけ、仏教的な捉え方を考えてみたのです。

お布施の定義

以前、お釈迦様がおられた時代、インドの仏教徒が食事を得る方法は托鉢たくはつ、つまり一般家庭からの寄付のみであったということをご紹介しました。

現在でも上座部じょうざぶ仏教と呼ばれる、タイやミャンマーなど、東南アジアの仏教では僧侶は財産を持たず、食事は托鉢で得ています。

本来、生産や経済の関わらないことを含めて「出家」としていた地域では、社会の風習とリンクすることで、僧侶の食事は自然と仏教に沿ったものになっていくわけです。

こうした一般家庭から僧侶に寄進される食事、これが布施の原型です。

日本では、お布施=お金というイメージが根強くあります。

しかしもとの意味は、分け与え、施す心のことを「布施」と言いました

ですから、古い仏典には、お布施は食事、飲み物、お香、時には住居まで、様々な形で僧侶に施されます。

そして、布施とは在家(一般)の人から僧侶に施されるだけではありません。

実は 説法であったり、日本であれば葬儀や供養などの法要は僧侶からの布施なのです。

曹洞宗のお経である『修証義』の四章「発願利生」では、布施についてこんな風に書かれています。

但彼が報謝を貪らず自らが力をわかつなり、

(布施とは)その人が見返りにばかり目がくらむことなく、自分の労力を費やすこと。

舟を置き橋を渡すも布施の壇度なり

川に舟を浮かべたり、橋をかけることも布施の行いである。

治生産業固より布施に非ざること無

土地を治めることも生産することも、元から布施でないものはないのである。

※下段は西田私訳

見返りを求めず、自分の能力や時間を削って人に分け与えていること、そしてそうしたあらゆる仕事とは、元々全て布施という行いであるというのです。

しかしそれを布施でなくしてしまうのは、利益や名誉に目がくらんで起こる、相手に対して不誠実な心です。

ちゃんと布施の心をもってした丁寧な仕事には、自然と相応の利益という布施が返ってくるというのが本来の在り方だったわけです。

見切り品精進料理、始めます!

そう考えた時、お店として無料にするわけにはいかないが、食べ物を無駄にしたくないという思いは、布施という風に受け取っても差し支えないはずです!

そしてその布施を受け取り、代金支払いという布施をして、食材が無駄にならないように工夫して調理をする…。

これって完全に布施の世界なのではないでしょうか!?

実は最近、自炊をすると記事を書く前に眠くなってしまうので、ファミレスで食事と執筆という習慣がついていました。

もちろん外食が悪いわけではありませんが、どうも調子が悪く、記事も思うように書けません。

気づけば部屋の掃除も食事も、少しおろそかにしていました。

そこで、このタイミングで体に優しく、体調を調えるような食事を作って食べるのって、すごくいい循環を生むのでは…と思い至った次第です。

ということで今後、独身一人暮らしの27歳僧侶の見切り品精進料理を企画化し、皆さんにご報告したいと思います!

次回はそのルールや意味をより明確にし、最初の料理レポートを公開します。

お楽しみに!

 

 

 

 

 

おすすめの記事