故人に授戒する意味を考える

昨今、コロナ禍も相まってお葬式は縮小傾向にあり、
この先通夜・葬儀・告別式がそれぞれの意味を忘れられてしまうのでは?
という心配を抱くことがあります。

その中でお通夜はお釈迦様の般涅槃の再現、告別式は民間のお別れ式という
説明も理解もしやすい意味があるためおのずと必要性を説くことも
そこまで難しくはありません。

ところが葬儀、特に故人に戒を授けるということの意味については
私自身がなかなか納得のいく説明をしきれずにいました。

しかし実際に供養に関わるようになって見えてきた、
故人への授戒の意味について、今回はお話しします。

Contents

授戒とは?

そもそも授戒とは何かということについて簡単にお話ししておきましょう。

授戒とは字の通り「戒を授ける」という仏教の儀式です。

戒というのは、一般的には「戒律」という言葉で認識され、
信仰の上での規則やルールと理解されていることが多いと思います。

実は世間でイメージされる上記のような意味は「戒律」の「律」の部分を指します。

律とは、円滑な修行生活の妨げになることを禁じたもので、
修行僧の間で問題が起こるとその都度お釈迦様が定めていきました。

持ち物や食べ物のこと、性欲に関することなど、
一つ一つの事例に沿って定められたので、
その内容は多岐に渡ります。

こうしたルールや規範的な意味をもつ「律」に対して、
「戒」は「誓い」というは方が意味合いは近いかもしれません。

ですので、戒を授かるというのは師匠によって「規則を与えられるというより」は
師匠の前で「誓いを立てる」こととイメージしていただいてもいいでしょう。

仏教徒として生きる、あるいは出家をするスタートが、この授戒なのです。

故人が出家する?

そこで問題になるのが、「故人に戒を授ける」ということの意味です。

亡くなった方は戒を授けられ、その証である「戒名」が授与されます。

生きている間に授戒会で戒を授かる分には、
今日から仏教徒として生きていくんだ!と気合の一つも入れることができます。

しかし、亡くなった方に戒を授けるとなると、
結局は葬儀というのは目に見えない世界の不思議な話になってしまうのでしょうか?

たびたびお話ししているように、私はこの見えない世界の話がどうも得意ではありません。

「見えてはいないけど、こうなっているんですよ」という話は、
これから先はなかなか支持されないでしょう。

では、この故人への授戒を、だれもが納得できる形で受け止める方法ないのでしょうか?

懺悔の重要性

そこで重要になってくるのが懺悔です。

懺悔は戒を受ける前に必ず行う、過去の過ちに対する反省です。

自分の過去の至らぬ部分は、貪り、怒り、それによって周りが見えなくなり、
身と言葉と心に行為として現れてしまった。
その全てを今悔い改めます。

という意味の「懺悔文」を葬儀では授戒の前にお唱えします。

これは一つは故人に変わってのお唱えです。

しかし、これは遺族も同時に懺悔しているのではないか、と最近思うのです。

人は生きていれば大小様々に短所があったりぶつかったりするものです。

故人との関係だって、極端に言えばせいせいしたという方や、
恨みを抱いている方もいるかもしれません。

そんな中で、故人と遺された人が同時に懺悔をし、
詫びるべきところや改めるべきところを悔いるという段階を経ることは
生前の関係の精算として非常に重要なことになります。

生前の良くなかった点にもしっかりと目を向けることで、
故人の長所はお手本に、短所は反面教師とする受け止め方が見えてきます。

死んだら何もできない

そうして懺悔を経て授戒をするわけですが、
ここで重要になってくるのが、
人は死んだら善行も悪行も重ねられない、ということです。

懺悔して過ちを悔い改め、戒を受けた故人は、
今後はもう悪行を行を重ねることのできない存在になります。

一方で、遺された私たちの人生は続きます。

その中で長い時間をかけてでも、故人を恨みや憎しみの対象ではなく、
学びの対象とすることが、少なくとも曹洞宗の葬儀なのだと思います。

簡単なことではありませんが、
やはり仏教は生きている人間がどう歩んでいくか、
というところに集約されるのです。

まとめ

「そんなの死んだ人の勝ち逃げじゃん」と思われても仕方ないと思います。

しかし、「故人が生きている間にできなかった生き方をしてみせよう」
という気概で臨む供養の姿勢もあるのではないか、と最近特に思うのです。

人は誰もが未完成のまま人生を終えていきます。

至らなかった点を懺悔と戒が補い、
遺された人はそこから自らを省みる。

生きている人間を主役として、葬儀をみた時、
故人に戒を授けることにはこのような意味もあるのかもしれないな、
と最近考えるようになり、書いてみました。

戒という儀式が遺族と故人の関係を精算し、
関係を結び直す役目を果たしていくと考えれば、
目に見えない話ではなくなるのかもしれません。

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