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これは2016年に私、深澤亮道と愉快な仲間たちが、インド・ネパールにあるお釈迦様の聖地を巡った旅の記録である。
Contents
前回のあらすじ
前回は、仏教教団の始まりとして、お釈迦様が5人の弟子たちに最初に行った説法のお話をさせていただきました。
前回の記事はこちら↓
これまでの記事はこちら↓
今回は、サールナートから、お釈迦様がお悟りを開かれた地:ブッダガヤへ移動し、その街並みなどをお伝えします!
そんなに遠いの?笑
さてさて、サールナート観光を終えた私たちが次に目指すのは、お釈迦様がお悟りを開かれた場所「ブッダガヤ」です!
4大聖地の中でも1番有名であり、仏教徒にとっても1番大切な場所と言っていいかもしれません!
しかし・・・
前回もお話しましたが、ブッダガヤとサールナート(バラナシ)は、直線距離で250kmもあります。
しかし当時の私は、お悟りを開かれたブッダガヤから、最初の説法の地サールナートまで、こんなに離れていると思っていなかったんです!
なんとなーくすぐ着くかと思い、バンに乗り込んだ私ですが、走れど走れど到着しません!笑
順調に走行しているかなーと思ったら突然・・・
バンッ!
大きな音とともに車は路肩へ急停車しました。
何事かと思って車を降りて見ると、大きな音の正体はパンクでした。
パンクと言っても、穴が少し空いている程度ではなく、完全なる破裂です。笑
こんなタイヤのパンクの仕方初めて見ました。
何はともあれ、バラナシを出発して8時間かけて、ブッダガヤへと到着しました。
ブッダガヤの物乞い
ブッダガヤに到着して、私の目に飛び込んできたのは「物乞い」の人たちです。
これまでの聖地にも全くいないわけではありませんでしたが、ここは非にならないくらいです。
足や手が以上に細かったり、反対方向に折れ曲がっていたり、または無かったりする方。
乳児を連れて、地べたに座っている女性。
日本ではまず見かけることのない光景です。
日本から行く人のほとんどが、その衝撃的な光景をみて、なんとか救えないか、何かできることはないか、と考えてしまうことでしょう。
しかし、現地のガイドさんからは事前に「お金を渡さないように!」と厳重に注意されていました。
今、こうして物乞いをしている人たちの多くは、闇組織によって物乞いをさせられている人たちが少なからずいるそうです。
または、古くから残るカーストやジャーティ、ヴァルナと呼ばれる、血統身分制度、職業制度のしきたりで物乞いのほうが暮らしていける身分の人たちが多くいるそうなのです。
しかし観光客がお金を渡せば、物乞いは永遠に続いてしまうので、絶対にお金を渡さないようにと念を押されるわけです。
今まで、日本で住んできた倫理・道徳というのはなんだったんだろうと思わされます。
お釈迦様自身、人間の絶対平等を説いたはずなのに、仏教の聖地でこのような無慈悲な現状があるということは、とても悲しいことのように思います。
ガンジス川があるバラナシでもそうでしたが、インドに来てからは本当に衝撃の連続です。
マハーボディーテンプルー(大菩提寺)
お釈迦様は約2500年前にこの地にあった菩提樹の下で坐禅を組まれ、お悟りを開かれました。
お悟りを開かれた人のことを「ブッダ」といい、ガヤと言うのはここの地名です。
つまり「ブッダガヤ」とは、ガヤと言う場所でお釈迦様がお悟りを開かれたから「ブッダガヤ」と呼ばれるようになったのです。
そして、ブッダガヤの菩提樹があった場所に、現在は「マハボディーテンプル(大菩提寺)」があります。
たびたび登場しますが、紀元前3世紀頃にインドで最初の統一王朝を作ったアショーカ王は、仏教を大変篤く信仰し、お釈迦様の聖地を巡礼して回りました。
そして、当然のごとくここブッダガヤも訪れ、その時にここマハボディー寺院の基礎を作られたそうです。
現在は中心に52メートルの三角錐の塔が聳え立っていますが、この形になったのは紀元後7世紀と言われています。
ブッダガヤに到着した私たちは、そのまま聖地である「マハボディー寺院」に向かうことにしました。
私たちが参拝に訪れた人も多くの人で賑わっていましたが、多い時で数千人という仏教徒が参拝に来るそうです。
中心に聳え立つ塔の中心には、金ピカのお釈迦様が鎮座しています。
中心のお釈迦様に手を合わせたあと、マハボディー寺院を右回りに参拝します。
この右回りに歩くと言うのは、インドでは古くから仏像やお墓などに対する敬礼作法の一つとして行われていました。
日本で行われる法要などでも行道と言って、本堂の中をお坊さんが読経しながら右回りに歩く作法がありますが、これはインドから続く風習が伝わっているわけです。
なので、マハボディー寺院をはじめ仏教聖地では基本的に、参拝者がぐるぐると右回りに手を合わせたり、お経を読みながら歩いています。
7代目菩提樹
そして、マハボディー寺院にはとても大切な場所があります。
それが菩提樹です!
先ほども述べたように、お釈迦様は菩提樹の下でお悟りを開かれたとされていますが、その場所がマハボディー寺院の真裏にあります。
「これがお悟りの樹かー!」
と、感慨深く手を合わせていましたが、ガイドさんから
「これは当時のものではなく、現在ので7代目になります。」
え!?そりゃそうか!笑
縄文杉みたいに樹齢1000年を超える木の方が珍しいですもんね。
ただし、現在生えている菩提樹は、当時の菩提樹の子孫だと言われており、木の下では多くの参拝者が手を合わせていました。
特に菩提樹の葉っぱは尊ばれており、仏教徒にとっては世界一神聖な葉っぱと言えるのではないでしょうか?
落ちてくると誰かがすぐに取ってしまうので、ほうきではかなくても葉っぱ1枚落ちていませんが、この葉っぱで商売をしている人たちもいるので、欲しければ買うこともできます。
まー、本当に菩提樹の葉っぱかどうかはわかりませんが。
悟りを開かれてから
さて、菩提樹の下でお釈迦様はお悟りを開かれたあと、この場所に7週間留まり、7日間毎場所を変えて坐禅瞑想を続けられたそうです。
私たちもその場所を一つずつ見て回ることにしました。
この時、ふと私の中で疑問が湧きました。
道元禅師が書かれた『正法眼蔵』「発菩提心の巻」では次のような一文が登場します。
お釈迦様いわく、明けの明星(金星)が現れた時、私と大地、生きとし生けるものは同時に悟りを開いた。(私訳)
つまり、悟りを開かれた時に金星を見たと言う訳ですね。
なので、ガイドさんに
「明けの明星が出たのはどの方角ですか?」
と、尋ねたら
「そんなエピソードは知りません。」
と、即答されました。
日本に帰ってから、調べてみると、曹洞宗を初め禅宗に伝わるエピソードのようで、お釈迦様が実際にそのようにお悟りを開かれたかどうかはわかっていないそうです。
こうして現地に行かなければ、知らないまま信じていたこともたくさんあるので、こうしことも実際に足を赴いたからならではの学びですね。
マハボディー寺院の周りでは、坐禅瞑想をしている人、礼拝行をしている人、お経を唱えている人、お説法を聞いている人。
ここでは、一人一人のお釈迦様に対する篤い信仰が、静寂の中営まれていました。
一通り見てまわったあと、マハボディー寺院の芝生で私たちも坐禅をしてお釈迦様のお悟りを追慕しました。
次回予告
今回は、実際にお悟りを開かれた場所を見て回りましたが、次回はその時の様子なんかを仏典を元にお送りしたいと思います。
vol.14ブッダガヤをお読みいただきありがとうございました。