【釈迦をたずねて三千里】 vol.13 仏教教団の始まり

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これは2016年に私、深澤亮道と愉快な仲間たちが、インド・ネパールにあるお釈迦様の聖地を巡った旅の記録である。

Contents

前回のあらすじ

前回は、ガンジス川で泳いだ森山さん、そしてバラナシの観光とお釈迦様の最初の説法の地,サールナートに辿り着いたところまでお送りしました。

前回の記事はこちら↓

これまでの記事はこちら↓

釈迦をたずねて三千里

今回は、お釈迦様が最初に何を説いたのか?説法の内容やエピソードなんかをお送りします!

お悟りをひらいた後・・・

時系列は逆になりますが、お釈迦様はブッダガヤでお悟りを開かれた後に、こちらのサールナートへ来て説法することになります。

ブッダガヤはこれからいきますので、その時にお悟りの時の様子やエピソードはお伝えします!

さて、ブッダガヤでお悟りを開かれたお釈迦様は、最初の説法を誰にしようかと考えました。

最初に頭に浮かんだのは、これまでお釈迦様が悟りを開く前に修行をしていた時の2人の師(アーラーラー仙、ウッダカ仙)に説法を試みようとしましたが、すでにこの世を去っていて説法をすることができませんでした。

次に頭に浮かんだのが、一緒に苦行をしていた5人の仲間です。

この5人の苦行仲間が今どこにいるかと透視したところ、バラナシのサールナートにいることがわかりました。

画して、お釈迦様はブッダガヤからサールナートを目指し出発をするのでした・・・

と、仏伝には書かれています。

今まで、なんとなーくブッダガヤって近いのかなーってぼんやりと思っていました。

しかし、ここサールナートを観光した後にブッダガヤに行くのですが、行ってびっくり!

なんとブッダガヤとサールナートって直線距離で200kmもあるんです!

実際の歩行距離は300kmほどでしょうか?

私も、過去に福井県の永平寺から、岩手まで歩いて帰ったことがあるのでわかるのですが・・・

200kmって結構な距離です!笑

もちろんこの時代歩くのが当たり前だったので、苦とも思わないんでしょうが、

200km先の人を透視する能力も凄いですが、お釈迦様の行動力恐るべし!

もしいなかったらどうしていたのだろうか・・・

仏教が始まっていなかったのだろうか・・・

などといろいろ考えてしまいます。

なにはともあれ、お釈迦様は無事にブッダガヤからサールナートへの長旅を終え、5人の仲間を見つけるのでした。

5人の比丘

さて、5人の仲間を見つけたお釈迦様はすぐにお悟りされた真理を説法しようとするのですが、この5人の比丘(出家者のこと)はどう迎えたかと言いますと・・・

おい!向こうからシッダールタが来るぜ。
あいつは苦行を放棄して堕落してしまった奴だ。
シカトだ、シカト!
と、言ったとか言わなかったとか。
後に詳しく記述しますが、確かにお釈迦様は苦行を棄てられて、菩提樹の下で静かにゆったりと坐禅瞑想をされ、そうした後に覚ることができたのですが、それを見ていた5人の仲間たちは苦行を棄てたダメなやつとレッテルを貼ってしまったのです。
なので、この時もお釈迦様が来られたときは、5人で無視しようと話を合わせていました。
しかし、無視しようと決めつけていた5人の比丘ですが、近づいて来るにしたがって、その聖なる姿に惹きつけられるように、ひとりでに立ち上がり、お釈迦様の説法を聞くとになります。
これを「初転法輪」といい「初めて法輪を転じる」という意味になります。
法輪とは「お釈迦様の教え」を意味する暗喩で、法輪を転じるとは、その教えを車輪を転がすように広めていくこと、つまりお釈迦様がお悟りを開かれて初めて5人の比丘に語ったということを「初転法輪」というのです。

初転法輪の内容

お釈迦様は初転法輪で次のようなお話をされました。

なんじらは、まさに知るべきである。世には二つの極端がある。(中略)
1つには、もろもろのよくに愛著することである(中略)
2つめは、自ら苦しめることである。(中略)
私はこの2つの極端をすてて、中道をさとった。(中略)
すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つの正しい道がそれである。(中略)
さらにここに4つの真理がある。
曰く、苦の真理、苦の集の真理、苦の滅の真理、苦の滅への道の真理がそれである。(中略)
かように、わたしは、未だかつて聞かざる真理によって、眼を開き、智を発し、明を生じ、正覚に至ったのである。

相応部第五集大篇第二品「初転法輪品」増谷文雄訳
これがいわゆる「四諦八正道」です。
これがお釈迦様が説かれた重要な真理であり、思想であり、また仏教の基本方針ともいえます。
「諦」というのは、「真理」という意味なので、「四諦」とは4つの真理ということになります。
つまり「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」であり、八正道とはその真理を実践するための8つの道です。

苦諦

苦とは、人が生きていく中での思い通りにならない事実であり、その最たるものは老病死といいます。

また、そのほかにも愛するものの別れ、憎むものと会うこと、求めても手に入らないこと、総じて思い通りにならないことの苦を挙げ、「生老病死」の4つ苦と、そのほかの4つの苦を合わせて「四苦八苦」という熟語になっています。

集諦

集諦とは、その苦の原因について述べた真理です。苦の原因の大元は、自分の心から湧き出てくる煩悩という要素です。

充足を求め、あくなき渇愛が止めどなく湧いてくることを集諦と言います。

滅諦

しかし、そのとめどなく湧いてくる欲望や煩悩も、消すことができます

道諦

その実践の道こそが、正しく見る(正見)、正しく考える(正思)、正しく語る(正語)、正しく行う(正業)、正しく生活する(正命)、正しく努力する(正精進)、正しく気づく(正念)、正しく座る(正定)の8つの正しい道であり、仏教徒はこの4つを真理として胸に刻み、修行していく必要があるのです。

仏教教団の誕生

お釈迦様は5人の比丘に「四諦八正道」の他にも様々な説法を行っていきます。

そして、5人の比丘はひとり、またひとりと真理に目覚めていき、お釈迦様の弟子となっていきました。

「四諦八正道」のみを聞いて、5人の比丘は悟りを開き弟子になっていったのではなく、数日か数週間か。

恐らく長い時間をかけて説法をしていたのでしょう。

その証拠に、お釈迦様が説法をしている時に、5人の比丘でローテーションして托鉢をして食事をいただく様子が記述されています。

つまりこの記述によって、集団協力をしていくシステムこそが仏教教団の基本的方針ということがわかるのです。

トップダウン組織ではなく、みんなで助け合ってということですね。

そして5人が初めてお釈迦様の弟子になったところから、次々と弟子が増えていき、あっという間に1000人を超える教団になったそうです。笑

なにはともあれ、こうしてここサールナートでお釈迦様が初めて5人の比丘に説法を行ったところから、仏教がスタートすることになりました。

続く

次回予告

さてさて、今回はお釈迦様の最初の説法について綴りました!

いかがだったでしょうか?

お釈迦様はここから45年間、布教伝道の旅を続けますが、一貫して「四諦八正道」を説いています!

ここで語られた内容は本当に重要なことなので、是非覚えておいてください!

次回は、逆ルートにはなりますがお釈迦様のお悟りを開かれた地「ブッダガヤ」を目指して出発します。

乞うご期待!

vol. 13 「仏教教団の始まり」をお読みいただきありがとうございました(^^)

 

 

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