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仏教信仰の基本といえば三宝への帰依です。

三宝とは仏宝・法宝・僧宝の3つの総称で、帰依というのは帰投依伏、全てを放棄してお任せする、というような意味です。

つまりは、三宝への帰依、帰依三宝というのは、三宝にすべてお任せしきって、拠り所として生きていくということになるわけです。

しかし、この帰依三宝、意味はわかるけどちょっと説明や理解に行き詰まる感じがしたことはありませんか?

今回は、僧侶の方にもぜひご確認いただきたい、曹洞宗の帰依三宝のお話です。

三宝の捉え方の違和感

さて、まずは帰依をする前に三宝とはなんぞや?ということになります。

おそらく、仏教書やウィキペディアにはこう書かれているでしょう。

仏…歴史上実在した仏としてのお釈迦様
法…お釈迦様が説かれた教え
僧…お釈迦様の弟子(その集団)

確かに、これを敬い、これに沿った生き方をするということでも、一応の説明はつくような気がします。

ところがどうでしょう?

お釈迦さまの御命日、涅槃会を思い起こしてみると、その死が迫ることを悲しむお弟子さんに、お釈迦さまは「肉体ではなく教えを拠り所としなさい」ということを説かれています。

それなのに、2500年後の弟子である私たちがお釈迦さまという「人」に信仰をよせるのは違和感がないでしょうか?

三宝に三種の功徳あり

道元禅師が戒の捉え方を説かれた内容を記した『教授戒文』と呼ばれる書物があります。

こちらは曹洞宗にのみ伝わるもので、古くは僧侶が修行を積み、師匠の教えを嗣ぐ際に伝授されるものだったそうですが、現在は授戒会など、出家在家を問わず初めて戒を受ける方に説かれることもあります。

ここで説かれる曹洞宗で受ける16の戒のうち、初めの3つが、三宝への帰依を誓う三帰戒です。

そこではじめに、三宝とは何か?が説かれるのですが、こんな風にあります。

「三宝に三種の功徳あり。謂わゆる一体三宝現前三宝住持三宝なり」

『教授戒文提唱』橋本恵光

つまり三宝には3つの功徳、少し噛み砕くと捉え方があるという意味なのですが、要するに三宝と一口に言っても3つの捉え方がある、ということです。

実は、先ほど登場した三宝の捉え方は、ここでいう現前三宝にあたります

そして、住持三宝というのは、仏像や仏塔など、仏様の姿をかたどったものを仏宝、教えを記したものを法宝、それらを大切に守り信仰する人を僧宝といいます。

今回のお話でより重要になってくるのは、一つめの「一体三宝」です。

実際の文章を見てみましょう。

一体三宝の意味

先ほど触れた現前三宝・住持三宝は、想像に難くなかったはずです。

ただし、この一体三宝は曹洞宗の、道元禅師の教えの特徴が色濃く出ているので、少し戸惑う方もいらっしゃるかもしれません。

まずはじめに、一体三宝としての仏宝とはなにか、という部分です。

阿耨多羅三藐三菩提を仏宝と称為い

『教授戒文提唱』橋本恵光

はい、必殺技のような8文字が登場しました。

阿耨多羅三藐三菩提、これは『般若心経』にも登場しますが、これはインドの古い言葉の音写で、この上ないさとりを意味し、お釈迦様のおさとりのことです。

つまり、ここでいう仏法とはお釈迦さまという人ではなく、そのおさとりそのものということになるのです。

三宝についてご存知の方は、「それって法宝じゃないの?」となるでしょう。

そこで法宝についての部分を見てみましょう。

清浄にして塵を離くするは乃ち法宝

『教授戒文提唱』橋本恵光

こちらは参考にしている橋本恵光老師の独自の訓読になりますが、非常に納得がいくものなのでそのまま掲載させていただきます。

これは橋本老師曰く、「塵を離れる」とするとまだ塵があることになる、ところが法宝の上では塵そのものが存在しなくなる、ということで「塵を離くする」とされたそうです。

ではこの法宝が具体的にどういうものかというと、仏宝へ至る道、つまり修行なのです。

そして最後に僧宝、これが重要です。

和合の功徳は是僧宝なり

『教授戒文提唱』橋本恵光

和合というのは、牛乳と水が混ざり合うように、どちらかが個性を損なうこともなく、一つに重なる・混ざり合うこといいます。

そして、ここでいう和合の功徳とは、僧侶が仲良くするという意味ではなく、ここまで出てきた仏宝と法宝、この二つが合わさった実践者・学ぶ人を僧宝というのです。

人生に重ねる三宝

ということは、一体三宝とは「仏&法&僧」ではなく「仏+法=僧」という方がより近いイメージになります。

ただ、ここで曹洞宗の坐禅や修行の捉え方が重要になります。

坐禅も修行も、さとりに至る手段ではなく、それを行うこと自体がさとりであって、さとりはその行いの上にしかないというのが曹洞宗の教えです。

つまり、修行があってはじめてさとりがあり、さとりの上には修行がなくてはならない、そして実践する人がいなければ現れることはなく、さとりと修行が伝わらなければ実践のしようがない。

ということで、全てが一つに合わさっていてどれが欠けてもいけないという意味で「仏=法=僧」となっているのが一体三宝といえるでしょう。

そして、最も重要なことは、私たち自身が人生の上で仏宝と法宝を和合させた僧宝でなければならない、ということです。

さらには自分自身が仏・法の和合した僧宝であると同時に、同じく仏道を実践している人・学ぶ人も同様に敬い、帰依するという在り方が、一体三宝への帰依なのです。

まとめ

こうした、一体三宝への帰依を前提として、すれば現前三宝・住持三宝も話が通じやすくなるはずです。

なぜなら、生き方として一体三宝への帰依がなければ、歴史上のお釈迦様にも仏像にも帰依のしようがないからです。

いきなり歴史上の人物に帰依しろと言われても納得できないように、仏道を歩んで初めてその尊さが見えてくるものです。

せっかく生き方として選ぶなら、ちゃんと納得した上で、心から帰依したいものですね!

 

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