東日本大震災から10年~私たちにできる供養

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明日は東日本大震災の発災日です。

あれから10年が過ぎました。

東北地方を襲った震災は私たちから多くのものを奪っていきました。

あの大災害が私たちに与えた影響はあまりに大きいものでした。

実際に現地で被災された方々は言わずもがな。

東北から離れた地方に暮らす人々であっても、報道によって数々の悲惨な現実を見せつけられました。

あの災害が日本に住む多くの人の心に深い傷を与えたことは紛れもない事実です。

 

今回は久保田が震災当日を振り返り、あの災害について思うところを述べていきます。

(※今回の記事は震災にかかわる描写を伴います。お気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれません。出来る限りの注意を払って書いておりますが、不安のある方はブラウザバックをお願いいたします。)

Contents

発災当日

当時、私は北海道札幌市に住んでいました。

まさに震災が起きたあの時、私は震災が発生した事実にまったく気が付きませんでした。

札幌市も震度4程度で揺れたようですが、丁度その時買い物のためにイヤホンをつけて地下街を歩いていたためか、揺れを感じなかったのです。

発災の事実に気が付いたのは、駅前の家電量販店に赴いた時です。

テレビ売り場に普段ではあり得ないほどの人だかりができていました。

私はそれを見て、

「何かスポーツの大きな大会でもあるのかな?」

「こんなに集まっていたら、通行の邪魔じゃないか……」

と、思いました。

そんな思いも束の間、私はことの重大さに驚きます。

かつてないほどの警報と、震度表示。

予定していた買い物を取りやめ、慌ててアパートに帰宅しました。

家に帰ってテレビをつけ、固唾を飲んで報道を見守ります。

 

画面に映る、想像を絶する惨状。

震災が自分自身の知らないうちに起きていたこともあり、初めはどこか現実感がなく、テレビの映像も何かの冗談かのように思えたのですが、少しずつこれが現実に起きていることなのだと実感できるようになりました。

画面を見ながら、私は当時仲良くしていた、宮城県出身のA君の安否が気にかかりました。

「そういえばAは宮城出身だと言っていた……」

思わず電話を掛けようとして、そこで思いとどまりました。

もし被災していたら私の電話になど出る暇もないはず。

また、他の人からの連絡も殺到していることだろうと考えたためです。

そこで同じ札幌に住んでいた高校からの友人に電話を掛けました。

その友人とは9.11の同時多発テロを同じテレビで視聴していたことがありました。

今にして思えば、無意識のうちに9.11の時の恐ろしさを共にした人に連絡することで、少しでも不安や恐怖をやわらげようとしたのでしょう。

友人は言いました。

「テレビ見てる?実はこっちも丁度電話しようと思ってたんだ。」

「大変なことになってるな」

「うん」

そこで大したことを話せたわけではありませんが、誰かに話すことで少しだけ気持ちが落ち着いたような気がしました。

 

また、何かに縋るように、震災に関わる情報を得ようとしたことは今でも強烈に覚えています。

どこでどのような被害が出ているのか。

どれくらいの人が避難できているのか。

それを知れば少しは気持ちが落ち着くかもしれないと思えたからでしょう。

しかし、刻々と状況が変化する中、いくら調べても自分の気持ちは乱れてゆくばかりでした。

当初テレビの報道では200名~300名が死亡、と伝えられました。

あれだけの大災害。被害はさらに大きなものであろうと予想はしながらも、

「どうかこれ以上亡くなっていないでくれ……」

このように願っていました。

ご存じのように、その願いが叶うことはありませんでした。

 

圧倒的に無力な自分を感じました。

地震も、津波も、火事も、原発も……

恐るべき事態が進行していくのを、テレビの前に座ってただ観ていることしかできない自分がいました。

また正直に言えば、その災害が自分のところで発生したわけではないことに安堵していた自分もいました。

自分の無力さや汚さと向き合わざるを得ず。

その他にも、様々な感情が巻き起こり、頭の中は混乱していく一方でした。

震災から数日。私は何とか情報を集めて事態を把握し、冷静さを取り戻そうとし続けていました。

そんな中、私はインターネットを通じて、一枚の写真に出会います。

祈りの意味を考えるようになった

それは、震災後、壊滅した街を歩く一人の僧侶の写真でした。

3月の東北。

まだ気温も低く、雪が降る中、寒さをこらえながら読経する僧侶の姿。

画像はこちらのサイトからダウンロードし、ボカシを入れてあります

それを見て、私は涙が止まらなくなりました。

思えばそれが、東日本大震災が発災してから初めて流した涙だったような気がします。

抑えつけていた様々な感情がそこで爆発したのです。

誰かのために祈る、という行いがこれほど尊く思えたことはありませんでした。

この僧侶の祈りは間違いなく、乱れに乱れた私の心を救ったのです。

実のところ私はお寺に生まれはしたものの、そこまで宗教の力、祈りの力、というものをあまり信じておりませんでした。

宗教は人間の持つ知識や伝統、あるいは哲学、科学や学問の力で取り換えがきくものではないかと思ってすらいました。

しかしそんな考えは、

震災の被災者を思い、ひたすらに祈る僧侶の姿を映した一枚の写真によって、いとも簡単にひっくり返されたのです。

それからというもの、私は宗教の意味、供養の意味をそれまでよりも深く考えるようになりました。

その結果、私は僧侶として生きて、生まれたお寺を継ぐことを選びました。

そのような決心をした背景には、東日本大震災と一人の僧侶の写真によって人間の祈りが持つ力を信じられるようになったということもあると思っています。

震災から年数を重ねて行くうち

その後、僧侶としての道を歩み始め、様々な形で、震災の追悼供養をつとめてきました。

 

よく私の師匠は、

「供養は亡くなった人のためだけに行うものじゃない、むしろ生きている人のために行うものなんだ」

と、言っていました。

震災の供養をつとめるたびに、自分自身の経験と重なり合って、この言葉の意味が重みを増してきているように思います。

東日本大震災という未曽有の災害にあって揺れ動いた自分の心。

それを救った祈りの力。

手を合わせ、誰かのために祈る、という行いを肯定できるようになったのは、間違いなくこの震災がきっかけでした。

 

あれから10年が経ちました。

沢山の人の苦労があって少しずつ復興も進み、日本に住む人たちそれぞれが震災を受け止めて、前に進んできています。

とはいえ、失われたものがそのままの形で戻ってくることはなく、未だに多くの人が震災から立ち直れずにいることも現実です。

あの震災に対して、自分が出来ることはなにか。

そう考えたときに、私は2つのことを思い浮かべました。

1つは、震災に対しての追悼供養を行うこと。

もう1つは、震災の記憶を風化させないことです。

禅活はオンラインで追悼供養を行います

明日3月11日、禅活では震災の発災時刻に合わせて有志の僧侶を募り、新型コロナウイルス感染対策を図った上でYouTubeライブにて追悼供養を行います。

今年はコロナウイルスの影響で供養に行けないという方も多かろうと思います。

是非ご覧いただき、亡くなった方々への祈りを共にしたく存じます。

配信ページ

時刻は、

14:30 坐禅

14:46 黙祷・法要開始

法要は30分から40分程度を予定しています。

またアーカイブにも残す予定でおりますので、当日その時刻にご覧になれないという方も、後で視聴することが可能です。

おわりに

多くのいのちが失われたあの日に何が起きたか。

なぜ自分が生かされているのか。

震災はいのちに対する問いを、すべての日本人に投げかけました。

勿論、震災のことは思い出したくもない、忘れたいという方もいらっしゃることでしょう。

しかし私はあの震災のことを忘れてはならないと思います。

それは後世に残す教訓のためでもあり、

亡くなられた方々への供養のためでもあり、

自分が生きているいのちが、どれほど掛け替えのないものであるかを忘れないためでもあります。

YouTubeチャンネルの方には、禅活の亮道が宮城県普門寺のご住職に震災当時のお話を伺うという内容の動画を上げました。

もしご興味を抱かれた方がいらっしゃいましたら、こちらもご覧いただけると幸いです。

 

最後に、Yahoo!Japanで行われている寄付の取り組みについてご紹介し、本記事を終えます。

明日、3月11日、Yahoo!Japanの検索エンジンで、

「3.11」

と検索をすると、一人当たり10円が被災地に寄付されます。

インターネットで検索し、被災地について思いを寄せることも一つの供養の形になるかと思います。

詳細はこちらのページ「search for 3.11 検索は、チカラになる。」をご覧ください。

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