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5月になると街やネットショッピング中の宣伝で思い出すのが母の日。

私は実家を出た大学生くらいから、いつもギリギリに気づいては母と祖母にささやかながらお花などを送っています。

今年も母の日の二日前に気づいて慌てて用意しました。

しかし、なんでこう毎年ギリギリになるんだろう、母の日って何日だ?

と思って調べてみたら、5月の第2日曜日だったんですね。

なるほど、それは日づけで記憶できないわけだ、と納得したついでに由来を調べてみると、起源はアメリカにあるそうな。

母の日は世界各国にあり由来もさまざまですが、日本の母の日はアメリカから伝わった風習です。
1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女「アンナ・ジャービス」が母の死をきっかけに、
「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけたのが始まりとされています。
この働きかけがアメリカ全土に広まり、1914年には当時の大統領「ウィルソン」が、5月の第二日曜日を「母の日」と制定し、国民の祝日となりました。
また、アンナの母親が好きだった白いカーネーションを追悼式の祭壇に飾ったことから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを飾るようになり、現在のように「母の日にはカーネーションを贈る」習慣が生まれたと言われています。

こんな背景があったんですね。
「生きているうちに感謝を伝える」って簡単なようでなかなか難しいものですよね。
近しい人なら尚のこと。

未熟な私にはまだどうも照れ臭いので、このコラムに日頃の感謝を込めたいと思います。
そんなわけで、今日は母との思い出を一つ。

頭の傷の話

母にまつわる話で特に思い出深いのが、私の頭の傷に関する話です。

お会いしたことのある方はご存知かと思いますが、私の左の側頭部には大きな傷があります。

この傷を見た初対面の方からは「喧嘩でもしたの?」と警戒されたり怖がられることもしばしば。

その原因は本当にくだらないものでした。

あれは大学2年生の8月。

当時の私は、どちらかというと勉強よりもブレイクダンスの方に力を注いでいました。

ただ、お盆には実家のお寺の手伝いをしていたので、8月になると帰省していました。

13日のお迎えから始まって棚経を終え、ようやく16日の送りを迎えてひと段落した夜

当時、永平寺で修行僧の指導にあたっていた父は16日の昼過ぎには永平寺と戻っていきました。

私がダンスをしていることを嫌がっていた父がいなくなったということで、私は羽を伸ばして地元にあるダンスの練習場所に行くことにしました。

練習場所で

ダンス仲間に挨拶をして練習を始めると、夜とはいえかなり蒸し暑く、すぐに汗だくになりました。

そこで、私はふざけてこの動画と同じことをしようとしました。

これは「バックスピン」という背中で回る技で、汗だくでやると普段の倍以上回ります。

周りの仲間を笑わせるおふざけのつもりでした。

私は上半身裸になり、バックスピンの体制に入ります。

しかし、こういった回転する技は上の動画のようにしっかりと軸が取れていないと、移動してしまうんです。

汗によって普段ではできない速さで回る私は案の定、自分で気づかぬうちに壁の方に寄っていきます。

「危ない!!」

という声を聞いた瞬間にゴン!という衝撃が走りました。

真夜中の搬送

次の瞬間、気づくと私のズボンの左脚側は真っ赤に染まっていました。

周りでは練習場所にいた仲間がみんなで止血をしたり、周りについた血を拭いていました。

そして「救急車呼んで!」という声を聞きながら私に頭をよぎったのは両親のことでした。

出かける前に「お盆が終わったからって浮かれてると怪我するよ」と言っていた母に何を言われるだろう。

そんなことを考えていると、救急車が到着。

実家の電話番号を聞かれ、母へと連絡がいきました。

病院では医療用のホチキスで8針縫われ、傷の処置自体はあっという間に済みましたが、その晩は入院することになりました。

病室のベットで冷静になると、自分の軽率さや仲間に迷惑をかけたこと、そして5日後に控えたダンスの大会のことなど、本当に色々なことに対する後悔や不安が押し寄せてきました。

するとそこで病室の入り口のドアが開き、母が入ってきました。

その時の私は、安心よりも「何を言われるだろう」という不安が勝っていました。

「よかった、お盆の送りだから連れていかれちゃうんじゃないかと思った。」

母の口から出たのは叱責ではありませんでした。

昔から、お盆は亡くなった方の霊が行き来すると信じられており、水辺で遊ぶと事故が起きやすいと思われてきました。

海に囲まれた離島出身の母は、その不安が人一倍強かったのかもしれません。

私が母の車で出てしまったが故にタクシーで病院にくることになったことも、咎められませんでした。

忠告したにもかかわらず、悪ふざけで怪我をして搬送された息子をただただ心配してくれたのです。

傷から学んだ優しさの定義

結局、私は脳の異常などもなく、翌日の朝には退院することができ、一週間後には抜糸?できました。(大会にもホチキス付けたまま出ました。)

その出来事自体も母は父に黙っておいてくれて、事なき?を得ました。(結局年末の保険の通知でバレました)

私はあの時、忠告を聞かずに案の定怪我をして、医療費とタクシー代までかけさせたことを怒られると思っていました。

しかしただただ心配してかけつけ、無事に安堵してくれた母の姿に、嬉しいような申し訳ないような、なんとも言えない気持ちになりました。

そして、もうこんな風に心配をかけてはいけないなと、心から思ったのです。

この時私は、本当の優しさというものに触れたのかもしれません。

人の「優しさ」は他の漢字では表すことができません。

それは「人」「憂」と書いてはじめて、本当の「優しさ」になるからです。

自分の損得や余計な計らいは捨てて、人の痛みを自分のことのように心を痛め、それが癒えるように全てを尽くす…。

心配性で面倒臭いと思う事もあった母の「優しさ」に触れて、私は自らの軽率さを心から悔いることができたのです。

仏教では、人間には人生で受ける4つの恩があるといいます。

その一つが父母の恩

生まれてから一人前になるまで、あらゆる面で大変な思いをしながら育ててくれたその恩に、仏教徒は報いなければなりません。

これまで私がかけてきた心配や苦労は、計り知れないものがあると思います。

しかし、今ようやく僧侶としてヨチヨチと歩み始めたことで、その恩に報いる旅が始まったのです。

頭の傷はいまだに髪を剃る時に邪魔になりますが、私に優しさとは何かを教えてくれ、それに報いたいと思わせてくれたのでした。

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