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	<title>禅 - 禅活-zenkatsu-</title>
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	<title>禅 - 禅活-zenkatsu-</title>
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		<title>『今を生きるための般若心経の話』のハナシ~前編~</title>
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		<dc:creator><![CDATA[深澤亮道]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 21 Sep 2021 15:00:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[坐禅]]></category>
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		<category><![CDATA[禅]]></category>
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<p>毎週月曜日９時から、インスタライブで行っているオンライン坐禅会！<br />
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<p>坐禅が終わった後、１５〜２０分ほど「私のおすすめの本の紹介」というコーナーを設けて、一般の方にも親しみやすい仏教書を大体１冊４回くらいに分けて、これまで６冊ほど紹介してきました。</p>
<p>そこで今『今を生きるための般若心経の話』（三心寺住職 奥村正博）という本を紹介していて、最初はさらっと解説する予定だったのですが・・・・</p>
<p>本書に沿って話していたら、結局「般若心経」の解説になってきてしまいました！笑</p>
<p>せっかくなので改めてブログで般若心経の解説をしていくので、その世界を味わっていただけたらと思います！</p>
<h2>三心寺住職　奥村正博老師</h2>
<p>著者の奥村老師は、アメリカ、<strong>インディアナ州のブルーミントンに「三心寺」</strong>というお寺を建てて、海外の方に仏教や禅の布教活動をされている曹洞宗の僧侶です。</p>
<p>私も永平寺修行中に海外研鑽僧としてアメリカに行った際、３週間ほどお世話になりました。</p>
<p>お寺と言っても皆さんがイメージするお寺ではなく、普通の一軒家の地下が坐禅堂兼本堂になっており、坐禅会や勉強会が開かれるといつも多くの参禅者が訪れます。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/IMG_1609-min-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-7439" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/IMG_1609-min-225x300.jpg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/IMG_1609-min-768x1024.jpg 768w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /> <img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/IMG_1630-min-225x300.jpg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-7440" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/IMG_1630-min-225x300.jpg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/IMG_1630-min-768x1024.jpg 768w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /></p>
<p>これまでも道元禅師の著書や曹洞宗関係の書物の英訳を多数出版してきたばかりではなく、多くのお弟子さんを輩出しており、海外において曹洞禅の布教活動において多大な功績を残しております。<br />
ただ、如何せん日本語の本が無いので、日本人は奥村老師の仏教観に触れることがあまりなかったように思います。</p>
<p>しかし、ある日たまたま近くの書店に立ち寄った時に、この奥村老師の本を目にして迷わず購入しました。</p>
<p>本書は<strong>１９８９年から１９９０年に、キリスト教と仏教を学ぶ「東西の会」において行った般若心経の講義の記録を、日本語訳した内容</strong>となっています。</p>
<p>それでは、これから本書の内容をなぞりながら般若心経の解説をしていきたいと思います。</p>
<h2>般若心経の歴史的背景</h2>
<p>約２５００年前、現在のインドでお釈迦様はこの世の真理に目覚めて以来、４５年に渡って布教伝道を続けました。</p>
<p>お釈迦様の教えは多くの弟子たちに伝わっていきますが、当時はそれを文字に書き表すという習慣がありませんでした。</p>
<p>そのため、お釈迦様の死後、残された弟子たちの間で教えをめぐって様々な疑問が行ってくるため、その度に弟子たちで集まりお釈迦様の教えに一貫性を持たせようとしました。</p>
<p>しかし、<strong>お釈迦様の死後１００年経つ頃には、教えをめぐって教団が真っ二つに分かれてしまいます</strong>。</p>
<p>これを根本分裂と言い、<span class="sc_marker red">「お釈迦様の教えとはちょっと違うけれども、大方あっているからこれも仏教でしょ」というフランクな「大衆部」</span>グループと、<span class="sc_marker blue">「お釈迦様の教えを厳格に守ることこそが仏教である」という「上座部」</span>グループに分かれました。</p>
<p>なぜお釈迦様の教えを緩い解釈にしたかというと、お釈迦様の厳格な教えを守れるのは出家した一部のお坊さんだけであり、一般の人も苦しみから救われるために、教えを再解釈し直して伝える必要がありました。</p>
<p>その他にも様々な時代背景、民族や戦争、貧困といった問題を打破するためにも、こうした新たな流れが生まれていったと考えられます。</p>
<p>その後大衆部は<span class="sc_marker red">「大乗仏教」と名乗り、シルクロードを通って中国、日本へと渡り（北伝）</span>、<span class="sc_marker blue">「上座部仏教」は、スリランカ、タイ、ミャンマー、ラオスなどへと渡っていきました（南伝）</span>。</p>
<p>そして、大乗仏教を発展させた人物として欠かせないのが<span style="font-size: 14pt;"><strong>龍樹（150頃~250頃）の仏教僧</strong></span>です。</p>
<p>彼は、お釈迦様が説かれた「縁起」「無常」「無我」を「空の哲学」として洗練させ、『般若経』をまとめあげます。</p>
<p>しかし『般若経』は膨大な量があり、とてもじゃ無いけれども、全てを読んで理解するには難解な書物でした。</p>
<p>この<strong>『般若経』を２６２文字に凝縮した経典が「般若心経」</strong>なのです。</p>
<p>般若心経は作者不明ですが、西遊記の三蔵法師のモデルとなった「玄奘三蔵」がサンスクリット語から漢字に翻訳して、中国から日本に渡ってとても親しみのあるお経へとなっていきました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/11_ph001-208x300.jpg" alt="" width="208" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-7441" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/11_ph001-208x300.jpg 208w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/11_ph001.jpg 640w" sizes="(max-width: 208px) 100vw, 208px" /></p>
<h2>般若の智慧</h2>
<p>般若心経は正式名称は「摩訶般若波羅蜜多心経」と言います。</p>
<p><strong>「摩訶」は、大いなるとか偉大</strong>なという意味。</p>
<p><strong>「般若」は、智慧</strong>という意味。</p>
<p><strong>「波羅蜜多」は、完成とか彼岸（悟り）に到る</strong>という意味。</p>
<p><strong>「心」は、要点をまとめたとか核心をついた</strong>という意味。</p>
<p>つまり、直訳しますと、<span style="font-size: 14pt;"><strong>「<span style="color: #ff0000;">大きなる智慧の彼岸に到る要点をまとめた教え</span>」</strong></span>となります。</p>
<h3>智慧</h3>
<p>般若を漢字に直しますと、「智慧」という意味ですが、これだけでなるほどな！と思う人は少ないでしょう。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「智慧」とは別名「無分別智（むふんべっち）」とも呼ばれます</strong></span>。</p>
<p>私たちが生きている中で勉強したり他者から色々聞いたりして記憶の中に蓄積されていくのが「知識」や「知恵」だと思います。</p>
<p>これを<span style="font-size: 14pt;"><strong>「分別智（ふんべっち）」と言い、分別・分類・区別することを指します</strong></span>。</p>
<p>これは<span style="color: #ff0000;">赤い色</span>であるというのも、これは<span class="sc_marker red">文字である</span>というのも「赤」や「文字」というのは知識によって分別されていきます。</p>
<p>もちろん目に見えるものだけでなく、音や香り、味、触感、５感から受ける信号は全て脳内で変換され、「これは〇〇である」と認識されます。</p>
<p>「わかった」という言葉が「分かった」と書くように、私たちの理解できるものは全て「分別智」によるものです。</p>
<p>しかし、仏教では主観と客観、自分と他者など本来分かれているように見えるものは、２つではないというのですが、これを「無分別」と言います。</p>
<p>しかし、そういう分別智はだめだから無分別でなければならないと思うのもまた分別していることになります。</p>
<p>そこで奥村老師は、次のように言われます。</p>
<blockquote><p><strong>分別の手放し、分別の自己否定としてしか、無分別ということは無いわけです。</strong><br />
<strong>だから、坐禅そのものが般若ということになる。</strong><br />
<strong>自分が無分別の境地になったとか、あの時自分は無分別の智慧で真実が見えたとか、そうことはありえない。４９頁</strong></p></blockquote>
<p>無分別では言葉で表現することができないので、坐禅でしか智慧を行ずることはできない、<span class="sc_marker red"><strong>すなわち坐禅を行じていることがすでに無分別の境地なのです</strong></span>。</p>
<p>なので、坐禅に良い悪いはありません。</p>
<p>もし坐禅に良し悪しがあったら「分別」になってしまう。</p>
<p>５分でも１０分でも３０分でも坐禅は坐禅であり、これが無分別の行なのです。</p>
<h2>般若心経全文</h2>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/shakyou_text-1024x600.jpg" alt="" width="1024" height="600" class="alignnone wp-image-7437 size-large" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/shakyou_text-1024x600.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/shakyou_text-300x176.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/shakyou_text-768x450.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/09/shakyou_text.jpg 1050w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></p>
<h2>観自在菩薩〜<span>亦復如是</span></h2>
<blockquote><p><strong>（原文）<br />
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)。</strong><br />
<strong>行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみたじ）。</strong><br />
<strong>照見五蘊皆空（しょうけんごうんかいくう）。</strong><br />
<strong>度一切苦厄（どいっさいくやく）。<br />
<span>舍利子（しゃりし）<br />
</span></strong><strong><span>色不異空 空不異色(しきふいくう くうふいしき）<br />
色即是空 空即是色（しきそくぜくう くうそくぜしき）<br />
受想行識 （じゅそうぎょうしき）<br />
亦復如是（やくぶにょぜ）</span><br />
</strong></p></blockquote>
<blockquote><p><strong>（私訳）<br />
観自在菩薩が、</strong><br />
<strong>深遠なる「智慧の修行」をしていた時、</strong><br />
<strong>この世のあらゆる存在や現象が「空」であることを悟り</strong><br />
<strong>すべての苦悩から解放された。<br />
</strong></p>
<p><strong>舎利子よ、<br />
</strong><strong>色は空に異ならず、空は色に異ならない。<br />
</strong><strong>色はこれすなわち空、空はこれすなわち色である。<br />
</strong><strong>感じる、想う、判断、認識、これらも全て空である。</strong><strong></strong></p></blockquote>
<h3>観自在菩薩と舎利子</h3>
<p>「観自在菩薩」とは、いわゆる観音さん、<strong>「観世音菩薩」と同じ菩薩</strong>です。</p>
<p>観自在とは、<span class="sc_marker red"><strong>「人々の苦難（の音）を観ずること自在なるもの」</strong></span>を言います。</p>
<p>つまり、私たち生きとし生けるもの全ての悩み苦しみの声姿を聞いてくださるのです。</p>
<p>菩薩とは、大乗仏教でとても重要な役割を担っています。</p>
<p>お釈迦様をはじめとする仏様は、真理に目覚め悟っている存在ですが、菩薩とは、<span class="sc_marker red"><strong>本当は悟りに到ることはできるけれどもまだ私たちと同じ苦しみの娑婆世界に残り、私たちと共に歩んでくださる存在のこと</strong></span>を言います。</p>
<p>観音様の他にも、地蔵菩薩や文殊菩薩、普賢菩薩など様々な菩薩がいますが、菩薩というのは悟ってはいないけれども私たちを救ってくれる存在です。</p>
<p>大乗仏教の大きなポイントとしては、仏様だけではなく、菩薩様への信仰もあるところです。</p>
<p>そして、菩薩は架空の存在だけでなく、私たちの身近にもいるかもしれません。</p>
<p>他者の苦しみに耳を傾け、他者を救うために発願し、行動する人も菩薩と言います。</p>
<p>もちろん自分自身も菩薩になることができるのです。</p>
<p>この点が、苦しんでいる人々皆助け合って悟りの世界に到ろうと精進することが、大乗仏教の特徴であり、菩薩の存在意義なのです。<br />
そして、<strong>般若心経はこの観自在菩薩が、舎利子という人に般若とは何か？空とは何か？を語っている描写</strong>になります。</p>
<p>舎利子とは、お釈迦様の2大弟子のうちの１人で、智慧第一と呼ばれていました。</p>
<p>個人的には、智慧第一の舎利子に「智慧」の説明をしているのがとても不思議に思ってしまいます。</p>
<p>上座部仏教の方が般若心経を読むと、舎利子は阿羅漢になった（悟った）存在、観自在菩薩はまだ悟る前の存在なのに、智慧や空について教えるといったことは間違っているという人もいます。<br />
ただ単に大乗経典だから観自在菩薩という存在をピックアップしたかった思惑があるのかもしれません。</p>
<p>玄奘三蔵以外の翻訳では、お釈迦様の下で一緒に修行していた観音様が舎利子に尋ねられるという書き方もありますが、本当のところは定かではありませんが、色々な理由がありそうな設定だと思います。</p>
<h3>五蘊</h3>
<p>五蘊（色・受・想・行・識）というのは、物質的、精神的、あるいは心理的に現れるものを言います。</p>
<p>つまり、言い換えると<strong>この世のあらゆる現象と存在のこと</strong>です。</p>
<p><strong>色・・・「色と形あるもの」</strong></p>
<p><strong>受・・・「感覚器官で受けることのできる刺激」</strong></p>
<p><strong>想・・・「受けた刺激を頭の中で創り出すイメージ」</strong></p>
<p><strong>行・・・「イメージに基づいて心の中に起こってくるもの」</strong></p>
<p><strong>識・・・「そのイメージを定義し認識するもの」</strong></p>
<p>私たちは一瞬一瞬にこの五蘊を繰り返しており、５感から入ってきた情報を脳で処理する一連の流れを五蘊と言います。</p>
<p>つまり、この世に存在するもの＝私たちに知覚できるものであり、それられには全て名前、レッテルがつけられます。</p>
<p>すなわち、五蘊とは私たちが定義づけた何かであり、それはこの世のあらゆる現象と存在を指しています。</p>
<h3>色即是空空即是色</h3>
<p>観自在菩薩は、深く智慧（般若）の修行をしていた時、この世の存在していものは全て空だとはっきりと照らし見たわけです。</p>
<p>さて、ここで般若心経の「空」という概念が登場してきました。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「空」とは簡単に言ってしまえば「実体がない」</strong></span>ということです。</p>
<p>先ほど、五蘊の説明をしましたが、この世のあらゆる現象、存在は全て私たち人間によって定義づけられています。</p>
<p>しかし、お釈迦様は世の中は全て移ろいゆくものであるという「無常」を説かれました。</p>
<p>無常であるのにも関わらずその定義は変わることはありません。</p>
<p>例えば、私は３３年前に一つの細胞から分裂を繰り返し、十月十日母のお腹の中で育ち、オギャーと生まれて両親から「深澤亮道」と名付けられて以来ずっと「深澤亮道」です。</p>
<p>３千数百グラムの「深澤亮道」も、ロン毛ピアスの「深澤亮道」も、お坊さんの「深澤亮道」も、見た目は全く違うのにも関わらず、ずっと深澤亮道のままです。</p>
<p>お釈迦様は、私たちは常に変化しているわけだから、自分自身を操作したりコントロールしたりする、固定的な何か「我」のようなものは無い、つまり「無我」を説かれました。</p>
<p>お釈迦様が説かれた「無常」「無我」をさらに発展させたのが「空の思想」です。</p>
<p>深澤亮道という肉体、精神はあるかもしれないけれども、それをさらに細分化していくと、体のパーツがあります。</p>
<p>体のパーツを細分化すると、細胞に分かれ原子に分かれ、最終的には素粒子になっていきます。</p>
<p>あくまでも私という（この世の）存在はそれらの物質が仮に融合しているだけであって、さらにこの融合しているものも刻々と変化していきます。</p>
<p>刻々と変化しているので、実際は言葉や文字によって定義できるものではない、つまり実体はないというのが「空」の考え方です。</p>
<p>本書では次のように書かれています。</p>
<blockquote><p><span style="font-size: 14pt;"><strong>物質的、精神的な無数の要素が滔々とながれており、それらがひととき「私」という個性のある「身心」を形作り、すぐさままたどこへともながれていく。（中略）</strong></span><br />
<span style="font-size: 14pt;"><strong>私というものは、身体だけ見ても、さまざまな物質の運動としてあるわけで、私という固定した存在としてあるわけではない。「もの」としてあるのではなく「できごと」なのです。（中略）</strong></span><br />
<span style="font-size: 14pt;"><strong>今、ここ、因縁和合の姿で、私なら私の身体として法位に住している、ということです。</strong></span><br />
<span style="font-size: 14pt;"><strong>空であるから生命として存在可能なんだ。生まれた赤ん坊が成長し、だんだん大きくなり、やがて老いて、死んで行くことが可能だということです。７5頁</strong></span></p></blockquote>
<p><strong>「色即是空」とは、存在するものは実体がないということ。</strong></p>
<p><strong>「空即是色」とは、実体がないものが存在するということです。</strong></p>
<p>色を否定して空だというと、私たちはすぐこの世は夢、幻なんだからとニヒリズム（虚無主義）に陥ってしまします。</p>
<p>そうではなくて、空だからこそここに因縁和合して存在することなんだと実感できることもまた事実です。</p>
<blockquote><p><strong>悲観的でも、楽観的でもなく、どちらにも偏らない、われわれの生命の在り方を深く見極めることが般若なのです。８３頁</strong></p></blockquote>
<h2>まとめ</h2>
<p>ここまで「色即是空空即是色」まで解説してみました。</p>
<p>本書をなぞりながらですが、私の主観も入っておりますので、ご注意ください。</p>
<p>次回は、後半部分の解説をしたいと思います。<br />
疑問点やわかりづらかった点など、DMやコメントいただけたら返信いたします！</p>
<p>また、月曜日９時からのインスタライブにもご参加いただけると嬉しいです(^ ^)</p>
<p>次回もお楽しみに！<br />
最後までお読みいただきありがとうございました！</p>
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		<title>【僧侶的よろずレビュー#2】禅僧が教える心がラクになる生き方/南直哉</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/1731</link>
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		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Jun 2019 15:01:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[僧侶的よろずレビュー]]></category>
		<category><![CDATA[曹洞宗]]></category>
		<category><![CDATA[本]]></category>
		<category><![CDATA[禅]]></category>
		<category><![CDATA[連載]]></category>
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<p style="text-align: left;">先週から始まった不定期更新企画<strong>【僧侶的よろずレビュー】</strong>。</p>
<p>ここでは禅活-zenkatsu-メンバーが触れた本・映画・食べ物などなど、ジャンルを問わずご紹介していきます。</p>
<p>前回は絵本作家<span class="sc_marker y">ヨシタケシンスケさんのエッセイ集</span>をご紹介しました。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/1688" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/IMG_1717_Fotor-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="【僧侶的よろずレビュー#2】禅僧が教える心がラクになる生き方/南直哉"></div><div class="title">【僧侶的よろずレビュー】#1 「思わず考えちゃう」</div><div class="date">2019.5.31</div><div class="substr">スポンサードリンク これまでの記事からもお分かりの通り、日頃から本やら音楽や映画やら、仏教に関係のない趣味も多い禅活-zenkatsu-のメンバー。 しかしそんな趣味の中で、思いがけない人生のヒントを見つけたり、仏教の理解の助けになることがしょっちゅうあります。 そこで不定期更新にはなりますが、自分...</div></a></div>
<p>今回本というよりは尊敬する一人のお坊さんのご紹介です。</p>
<h2>著者、南直哉老師の言葉</h2>
<p>人には人生のターニングポイントになる言葉との出会いがあります。</p>
<p>人生の節目に勇気をくれたり、視界を広げくれたり、道を示してくれる言葉。</p>
<p>私にそんな言葉をくれた方の一人が<span class="sc_marker red"><strong><ruby>南直哉<rt>みなみじきさい</rt></ruby>老師</strong></span>という曹洞宗のお坊さんです。</p>
<p>それは永平寺での修行中のことでした。</p>
<p>僧侶という道を歩み始めるも、まだまだ先のことはおろか、修行中のことで精一杯だった頃に、永平寺内で南老師の特別講義がありました。</p>
<p>正直なところ、永平寺内での講義には内容が全くわからず、言葉も難しい、睡魔に襲われるような講義もあります。</p>
<p>どんな講義なんだろう、そう思いながら待っていると、入ってきたのは身長が180cm近くあり目つきの鋭い方でした。</p>
<p>老師と言ってもまだ50代のその方は、目つきは鋭いままに、毒舌とユーモアを交えて仏教との向き合い方をお話しになりました。</p>
<p>そこで老師が仰った言葉が、今でも私の道標になっています。</p>
<p>「いいか諸君！<span class="sc_marker red"><strong><span style="font-size: 14pt;">住職は職業だが、僧侶は生き方だからな！</span></strong></span>」</p>
<p>なるほど！と思いました。</p>
<p>僧侶という生き方を選んだ人が選んだ職業が住職だったのかと。</p>
<p>僧侶を「職業」と言うことへの違和感が溶けると共に、この道の歩き方を示された気がしました。</p>
<p>この言葉は、今でも常に私の僧侶としてのスタンスを支えてくれています。</p>
<p>今回ご紹介するのは、そんな南老師が2017年に出された本、<strong>「禅僧が教える心がラクになる生き方」(アスコム)</strong>です。</p>
<h2>南老師の経歴</h2>
<p>まず簡単に南直哉老師をご紹介します。</p>
<p>現在、青森県にある恐山の院代と福井県のお寺の住職をお務めになる南老師。</p>
<p>もともとはお寺の生まれではないものの、<strong>重度の小児喘息で「死」を身近に感じ続けた経験から、ご自身を見つめる道として仏教を選び、出家をされました</strong>。</p>
<p>そして永平寺で約20年の修行生活を送りますが、そのあまりの怖さ・厳しさから<strong>「ダース・ベイダー」</strong>と呼ばれ恐れられたそうです。</p>
<p>そんな南老師は今も自らの生死という人生最大の問題と向き合いながら、一般の方々の悩みに応えたり、講演や執筆などの活動をされています。</p>
<h2>仏教に救われたからこそ出る言葉</h2>
<p>これまで、すでに南老師は何冊も本を出してこられましたが、私が修行中にあの講義を受けたあとすぐに読み、感銘を受けたのが<strong>「語る禅僧」</strong>という一冊でした。</p>
<p><a target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/4480427589/ref=as_li_tl?ie=UTF8&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4480427589&amp;linkCode=as2&amp;tag=t0shlwltsn-22&amp;linkId=07c1dc612f80cd3a5b916f63472dd302" rel="noopener"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&amp;MarketPlace=JP&amp;ASIN=4480427589&amp;ServiceVersion=20070822&amp;ID=AsinImage&amp;WS=1&amp;Format=_SL250_&amp;tag=t0shlwltsn-22" /></a><img loading="lazy" src="//ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=t0shlwltsn-22&amp;l=am2&amp;o=9&amp;a=4480427589" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border: none !important; margin: 0px !important;" /></p>
<p><span style="font-size: 10pt;">「語る禅僧」(ちくま文庫/2010年)※商品ページに飛びます</span></p>
<p>元々コラムとして連載していたものを中心に掲載した短編集で、私は初めて仏教語を使わずに語る僧侶の言葉に出会いました。</p>
<p>様々な人との出会いから、南老師ご自身の悩みや葛藤まで、とても深いところまで掘り下げながらも専門用語は使わない。</p>
<p>それは仏教を知識として蓄えただけでなく、<span class="sc_marker y"><strong>自身の問題を解決するために咀嚼し、消化した「仏教に救われた」方だから口にできる言葉</strong></span>なのだと思います。</p>
<p>まさに僧侶を生き方として選ぶとはこういうことなんだなと、改めて思わされました。</p>
<h2>「禅僧が教える心がラクになる生き方」レビュー</h2>
<p>そして、今回ご紹介する南老師の著書「禅僧が教える心がラクになる生き方」は2017年に出版されたものです。</p>
<p><strong><span class="sc_marker red">「生きる意味なんて見つけなくていい」</span></strong></p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>「置かれた場所で咲けなくていい」</strong></span></p>
<p>という刺激的な言葉が本文から抜き出されて帯に書かれています。</p>
<p>その内容はというと、各章ごとにテーマを設け、私たちが言葉にしきれなかった「生きにくさ」を代弁してくれているように感じます。</p>
<p>自分の中にあるモヤモヤや納得のいかなさ、不安や焦りの正体を言葉にされることで自分の向き合うべきものにも気づくことができるのではないでしょうか。</p>
<p>正直なところこの本は、今が順風満帆で悩みもない、知識として仏教を身につけたいという方にはピンとこないかもしれません。</p>
<p>しかし、先ほどご紹介した「語る禅僧」同様、自分自身が仏教という生き方に救われた人から紡がれる言葉というのは、難しい言葉ではないのにその精神性に触れることができるので、急に道が開けたような感覚を得ることもあります。</p>
<p>人間関係や夢、そして死…。</p>
<p><span class="sc_marker red">人生に悩み、もしくは正体のわからないモヤモヤを抱える方は一度南老師の言葉に触れてみると、発見があるかもしれません。</span></p>
<p>章のテーマごとに短いお話が書かれているので、一気に読み進めるより、1話ずつゆっくり読むのがおすすめです。</p>
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<p><span style="font-size: 10pt;">「禅僧が教える心がラクになる生き方」(アスコム/2017年)※商品ページに飛びます</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>☆こんな人にオススメ☆</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>・社会生活の中に悩みがある人</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>・長文を読む時間が無いという方</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>・自分の「死」について考えることがある人</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>・今後の歩み方に悩んでいる僧侶</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>トイレで修行ってどういうこと？</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/1595</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/1595#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 May 2019 15:17:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[修行]]></category>
		<category><![CDATA[曹洞宗]]></category>
		<category><![CDATA[永平寺]]></category>
		<category><![CDATA[禅]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク &#160; 突然ですが皆さんは、「トイレも立派な修行です」と言われてピンとくるでしょうか？ 当然、便器にまたがり両の足に力を込めて踏ん張ることではありません。 少しずつオムツを卒業…という意味でもありません。 いろんな…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>突然ですが皆さんは、「<strong>トイレも立派な修行です</strong>」と言われてピンとくるでしょうか？</p>
<p>当然、<span class="sc_marker blue">便器にまたがり両の足に力を込めて踏ん張ることではありません</span>。</p>
<p><span class="sc_marker blue">少しずつオムツを卒業…という意味でもありません。</span></p>
<p>いろんな宗派がある日本仏教の中で、<span class="sc_marker red">曹洞宗の特徴というとやはり<strong>「修行」</strong>です。</span></p>
<p>もちろん他宗派にも修行はありますが、特に生活そのものに目を向け、<strong>起きてから寝るまでの全てを修行</strong>としたのは曹洞宗の特徴と言えるでしょう。</p>
<p>そこで私たち曹洞宗の僧侶は、<strong>「曹洞宗では生活の全てを修行としており、お風呂やお手洗いも大切な修行なのです」</strong>と話お伝えします。</p>
<p>しかしどれだけもっともらしい顔でありがたい雰囲気を出して説かれても、トイレを修行とはなかなか思えないはず。</p>
<p>結論から先に言えば、<span class="sc_marker red"><strong>トイレはとても重要な修行です</strong></span>。</p>
<p>ではなぜ<strong>トイレが修行と言えるのか</strong>、今回は少し考えてみます。</p>
<h2>修行僧のユートピア</h2>
<p>私が修行生活を送った永平寺をはじめ、禅宗の修行道場は「<ruby><span class="sc_marker red"><strong>七堂伽藍</strong></span><rt>しちどうがらん</rt></ruby>」という７つの建物からなる構成があります。</p>
<p>その中にある<span class="sc_marker y"><strong>「<ruby>東司<rt>とうす</rt></ruby>」という建物</strong></span>がトイレなのです。</p>
<p>排泄物を出すトイレは屋外の離れにひっそりとありそうなものですが、<strong>修行道場の中心となる建物の一つに入っている</strong>のは意外ですよね。</p>
<p><span class="sc_marker y"><strong>永平寺の七堂伽藍にあるトイレは、全て個室の和式です</strong></span>。</p>
<p>そのため大小を問わず必ずしゃがんで用を足すことになります。</p>
<p>そして修行僧にとってこのトイレのありがたいことは「<strong>個室</strong>」であるということ。</p>
<p>365日が共同生活で、基本的に個室を持つことのない修行生活の中で1人になれる空間というのはトイレくらいのものです。</p>
<p>掃除も行き届き、なおかつプライバシーが守られるトイレは、<strong>修行僧のユートピア</strong>と言っても過言ではありません。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/449c74fd4a4750e0470adce78093da7a_s-min-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-3974" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/449c74fd4a4750e0470adce78093da7a_s-min-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/449c74fd4a4750e0470adce78093da7a_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>見られないからこそ真価が問われる</h2>
<p>実際にこのユートピアには、修行を生活を送った僧侶であればそれぞれに思い出があるかと思います。</p>
<p><strong>こっそり手に入れたお菓子を食べた人</strong>、<strong>便器を避けるように体育座りで居眠りをした人</strong>、様々でしょう。</p>
<p>私にもそんな経験があります。</p>
<p>しかし今振り返ってみると、あの<span class="sc_marker red"><strong>トイレという</strong><strong>プライベート空間でこそ、修行の真価が問われていた</strong></span>とのだと思います。</p>
<p>修行生活では、坐禅はもちろん、歩き方からご飯の食べ方までを先輩に見られ、同期に見られ、後輩にも見られます。</p>
<p>たくさんの目がある中で気を張り、正しくあろうとすることは、慣れてしまえば難しいことではありません。</p>
<p>しかし一転して、<strong><span class="blue sc_marker red">人が見ていないところで自分を正しく律する</span></strong>というのはなかなか難しいことなのです。</p>
<p>トイレで考えてみれば、友人の家のトイレを借りるときは、周りを汚さないように、汚しても綺麗に拭いて出るように、という風に心がけるのは当然のこと。</p>
<p>なぜなら持ち主が明確で、「自分がやった」とすぐに気づかれるからです。</p>
<p>しかし、<strong>不特定多数の人が使う駅のトイレや、居酒屋のトイレなどではどうでしょうか？</strong></p>
<p>男性であれば、入った時に便座が上がったままでなおかつ汚れていると、そこに触れないように立ったまま用を足し、また汚してしまう。</p>
<p>そして自分だけの汚れじゃないからと、そのままにしてトイレを出てしまう。</p>
<p><strong>そこが男女共用のトイレでもです</strong>。</p>
<p>自分の行動によって不快な思いをする人がいるかもしれないとわかっていながら、綺麗にしようとはしない。</p>
<p>そんな<span class="sc_marker red"><strong>「見えないところ」での行いの積み重ね</strong>が、汚いトイレを作っていくのです。</span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/d8987193fd0f19578be09ba347c7275b_s-min-300x216.jpg" alt="" width="300" height="216" class="alignnone size-medium wp-image-3973" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/d8987193fd0f19578be09ba347c7275b_s-min-300x216.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/d8987193fd0f19578be09ba347c7275b_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>汚いからこそ清らかに</h2>
<p>トイレは、当然のことながら人間が排泄をするための場所です。</p>
<p><strong>心理的にも衛生的にも「汚い場所」と言っても間違いではないでしょう</strong>。</p>
<p>ではなぜ、そんな汚い場所はノーカンにして、トイレは修行の範囲外にしなかったのでしょうか？</p>
<p>今月から坐禅会を開催させていただいている世田谷区駒沢のK's studioさんのトイレに、こんな張り紙がありました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190521_0002-min-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-1596" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190521_0002-min-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190521_0002-min-768x576.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190521_0002-min-1024x768.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190521_0002-min.jpg 1478w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>これを見たとき、ここで坐禅ができることになって本当によかったなあと思いました。</p>
<p>なぜならこの張り紙に書かれていることは、トイレを使う上での他者への思いやりであり、これは<strong>坐禅をする会場としてはとても大切な意識だからです。</strong></p>
<p>なぜこの張り紙を紹介するかというと、<span class="sc_marker blue"><strong>私が時々利用する区営のスポーツセンターのジムがあるのですが、そちらのトイレはいつもスリッパが散乱していて、トイレの周りも汚れています。</strong></span></p>
<p>健康の為か筋肉増量の為かはわかりませんが、トレーニングをしにきていくら身体を動かしても、これでは意味がないような気がします。</p>
<p><strong>老廃物を出して身体はすっきり、トレーニングも捗る。</strong></p>
<p><strong>あとは汚れていようが知ったこっちゃない。</strong></p>
<p>これでは、身体を鍛えようが、心は自分勝手で思いやりのないものになってしまいます。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>心は身体の行いによって育まれるもの。</strong></span></p>
<p>それ故に、他人を思いながら生活をすることは、行いに丁寧さを生み、心に穏やかさを生みます。</p>
<p>運動にしても坐禅にしても、<strong><span class="sc_marker red">自己満足の為だけにやってしまえばただの貪り</span></strong>です。</p>
<p><strong><span class="sc_marker red">自分の今の行いは、たとえ人が見ていなくても自分は見ています。</span></strong></p>
<p><strong><span class="sc_marker red">そして自分の今の行いは、目の前ではわからなくても必ず誰かに影響を与えています。</span></strong></p>
<p>この精神をもって生きていくことこそが坐禅には重要であり、修行の根っこともいえます。</p>
<p>そうして他への思いやりを忘れなければ、トイレだって素晴らしい修行の場となっていくのです。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;" class="sc_marker red"><strong>人に見られない、汚れを出す行為だからこそ、きれいな心をもって行いたいですね!</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ff24ca0db75b0a8507d283bc602bf833_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3972" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ff24ca0db75b0a8507d283bc602bf833_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ff24ca0db75b0a8507d283bc602bf833_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
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