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	<title>お経 - 禅活-zenkatsu-</title>
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	<description>禅を活かして、ちょっといい一日を</description>
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	<title>お経 - 禅活-zenkatsu-</title>
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		<title>弔辞・弔電の意義を考えてみた</title>
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		<dc:creator><![CDATA[久保田智照]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Sep 2022 21:30:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[供養]]></category>
		<category><![CDATA[葬儀]]></category>
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					<description><![CDATA[昨今、コロナ対策で様々なものが規模縮小、時間短縮されています。 それは「効率化」につながる場合もあるのかもしれませんが、 一方で、削られたり、失ったりしてはならないものまでなくなってしまったと感じることもあります。 &#160; 「葬儀にお…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>昨今、コロナ対策で様々なものが規模縮小、時間短縮されています。</p>
<p>それは<strong>「効率化」</strong>につながる場合もあるのかもしれませんが、</p>
<p>一方で、<strong>削られたり、失ったりしてはならないものまでなくなってしまった</strong>と感じることもあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>「葬儀における弔辞・弔電」</strong></span>もその一つです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>最近は、コロナ対策の観点からか、</p>
<p>弔辞が読まれるご葬儀は少なくなってきているように感じます。</p>
<p>また<strong>「コロナ対策の観点から弔電はすべてご芳名のみ読み上げさせていただきます」というケースも</strong>経験したことがあります。</p>
<p>こうした状況は、社会情勢を鑑みて、やむを得ないことであるのかもしれませんが、</p>
<p>私としては残念でなりません。</p>
<h2>弔辞・弔電の大切さ</h2>
<p>弔辞・弔電は、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「故人と近しい関係にあった方や、何らかの事情で参列のかなわない方が、ご供養の気持ちをお届けする」</strong></span></p>
<p>掛け替えのない機会です。</p>
<p>こうした機会は<strong>もっと大切にされなければならない</strong>、と感じます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これまでは弔辞・弔電について、僧侶や寺院の方から、</p>
<p>「必ず弔辞を用意してください」</p>
<p>とか、</p>
<p>「弔電はなるべくすべて読んでください」</p>
<p>などとお願いすることは少なく、</p>
<p>喪主の方や葬儀社の方針に任せていることが多かったのではないかと思います。<span style="font-size: 10pt;">（※　推測です。もちろん例外もあると思います。）</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、</p>
<p>もしも「弔辞お断り」「弔電はすべて省略」というようなやり方が、</p>
<p>当然のようにまかり通ってしまうのならば、</p>
<p>僧侶、寺院の方から何らかの働きかけをしていく必要が生まれてくるでしょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それだけ、私は「葬儀における弔辞・弔電」を重要なものと捉えています。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/09/23215394_s_optimized-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-8447" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/09/23215394_s_optimized-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/09/23215394_s_optimized.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>弔辞・弔電のもう一つの大切な役割</h2>
<p>先ほど、</p>
<p>弔辞・弔電について、</p>
<p>「故人と近しい関係にあった方や、何らかの事情で参列のかなわない方が、ご供養の気持ちをお届けする」</p>
<p>掛け替えのない機会、と書きました。</p>
<p>しかし、私はそれだけではなく、</p>
<p><strong>弔辞・弔電にはもう一つの大切な役割がある</strong>と考えています。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それは、<span style="font-size: 14pt;"><strong>ご葬儀に参列した方々のご供養の気持ちを一つにまとめ上げるということ</strong></span>です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>葬儀に参列した方々が抱く気持ちというのは、様々だと思います。</p>
<p>故人との関係性やお付き合いの深さも異なるでしょうし、</p>
<p>誰もがまったく同じ気持ちでいるということはまずありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、<span style="font-size: 14pt;"><strong>言葉には、それだけで人を共感させる力があります</strong></span>。</p>
<p>弔辞・弔電で、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>故人との思い出や、生前のご様子とともに、</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>死を惜しみ、悼む気持ちが語られたとき、</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>参列する方々の気持ちは、より近しく故人に寄り添います。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>人生の最後を飾る葬儀という場において、</p>
<p><strong>参列した方々のご供養の気持ちをまとめ上げるという役割は、</strong></p>
<p><strong>故人の死を悼む<span style="font-size: 18pt;">「生の言葉」</span>だからこそ果たせる</strong>のではないでしょうか。</p>
<p>実際に私も、弔辞・弔電は、</p>
<p>一字一句聞き洩らさぬようにしています。</p>
<p>そうすることで、自らの気持ちが故人や参列する方がたにより近しく寄り添えると思うからです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ちなみに……</p>
<p>これは、私個人の考えですが……</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>「弔辞・弔電で寝るくらいなら、お経で寝てくれ！」</strong></span></p>
<p>と思います。</p>
<h2>お経で寝てもいいの？→できれば起きていてください</h2>
<p>たまに、ごくたまにですが……</p>
<p><strong>ご葬儀の際に「いびき」が聞こえてくることがあります。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>それも決まって、「弔辞・弔電」のとき。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もしかするとお経を唱えているときは、自分自身の声でいびきに気が付いていないのかもしれませんが、</p>
<p>なぜか弔辞・弔電（特に弔電の際）に寝ている方が多いように思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>お経で寝てしまうのは……</strong></p>
<p>そりゃあ、なるべくなら起きていてほしいですが、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>ある意味、仕方がない</strong></span>ことだと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>葬儀の際の<strong>お経は故人を安んずるために読まれる</strong>ものですし、</p>
<p><strong>木魚が刻む一定のリズム</strong>や低音で発せられる<strong>読経の声</strong>、</p>
<p>心地よい<strong>鐘の響き</strong>。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>眠くなって当然です。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>寝てしまったくらいでお経の功徳は減りません</strong>し、</p>
<p><strong>寝てしまっても故人とともに安らかな気持ちになる、と捉えることもできるかも</strong>しれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>しかし、弔辞・弔電は寝ちゃダメなんです！</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>聞いてなきゃ意味がありません！</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>緊張しながらお経を聞いていると、</p>
<p>弔辞・弔電が始まったときにはその気持ちがゆるんで眠くなってしまうのかもしれませんが、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>お経はなるべくリラックスしながら耳を傾け、弔辞・弔電は集中して聞く。</strong></span></p>
<p>こういった心持ちで参列していただきたいと思っています。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/09/24273715_s_optimized-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-8446" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/09/24273715_s_optimized-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/09/24273715_s_optimized.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>こんな弔辞は○○だ。政治家S先生の場合。</h2>
<p>少し話はズレますが、</p>
<p>以前つとめさせていただいた、とある会社の社長さんのご葬儀での弔辞の話をご紹介したいと思います。</p>
<p>そのご葬儀では、弔辞が読まれました。</p>
<p><strong>その弔辞を読んだのは、とある政治家の先生</strong>です。</p>
<p>仮にS先生としておきましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>地元では大人気で、人を惹きつけるパワーを持ったS先生</strong>の弔辞は、</p>
<p>何と言うか熱がこもっていて、</p>
<p>「ああ、本当に故人のことを想っているんだなあ」</p>
<p>と感じ入るとともに、</p>
<p>「さすが、人たらしとして知られる先生じゃわい」</p>
<p>と感心させられるものでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ところが、</p>
<p>弔辞もいよいよ終盤というところになって、S先生が発した言葉に、</p>
<p>私は思わず心の中で、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>「ズコー！」</strong></span></p>
<p>とずっこけてしまいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>それがどのような発言であったかというと、</p>
<p><strong>「……だからこそ！亡くなられた○○さんと何度も語り合った、<span style="font-size: 18pt;">北方領土返還</span>を私が生きているうちに果たしたい！」</strong></p>
<p><strong>「それをもってご供養としたい！」</strong></p>
<p>というものでした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>……それは、確かに、S先生にとってはご供養になることなのでしょう。</p>
<p>S先生と故人の間では、それを大きな目標として、信念として共有していたのかもしれません。</p>
<p>しかし、<strong>領土問題という非常に政治的でセンシティヴなことを、</strong></p>
<p><strong>弔辞の場で言ってしまうのはどうなのかなあ、とモヤモヤした気持ちに</strong>なりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>こうした話題は、万人が同じ意見を持つことがなかなか難しい</strong>ものだと思います。</p>
<p>先にも書いたように、</p>
<p>弔辞・弔電は参列者の気持ちをまとめ上げ供養の気持ちを一つにするという役割を担っています。</p>
<p>やはり<strong>共感が難しいという点で、弔辞において述べるには、政治の話題は不適切</strong>だなあ、と感じたのです。</p>
<h2>混ぜるな危険！～〇辞・〇電のNG語り</h2>
<p>政治の話題以外にも、弔辞・弔電には向かない言葉や話題があると思います。</p>
<p>それは、祝辞・祝電でも同様かもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>パッと思いつく限りで言えば、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>・必要以上に自分語りをする</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>・政治の話題ように利害、損得が絡む話題を交える</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>・ジョークの範疇を越えて、恨み言や苦言を呈する</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>・ひたすら長い</strong></span></p>
<p>こんなところでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これらは参列した方の気持ちをまとめ上げるどころではなく、</p>
<p>下手をすると、</p>
<p>言葉を贈られる側への気持ちをバラバラに引き裂く邪悪な雑音となります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もし、自分が何かしらのスピーチをさせていただく機会があるとしたら、</p>
<p>こうした雑音には細心の注意を払いたいものです。</p>
<h2>おわりに</h2>
<p>さて、今回は弔辞・弔電の持つ、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「共感」</strong></span>を促すという役割について書かせていただきました。</p>
<p>ここまでは言葉を贈る側の話をしてきましたが、</p>
<p>最後に、その言葉を参列者として聞く側も、しっかりと聞かなければならないということを書いておきたいと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>弔辞・弔電あるいは祝辞・祝電の際に、</p>
<p>疲労から眠ってしまうのはまだしも、</p>
<p>スマホをいじったり、パンフレットばかりを読んでいる方は、</p>
<p>これはその式典への<span style="font-size: 18pt;"><strong>「無関心」</strong></span>を表明していることに他ならないと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>供養の場、祝賀の場……</p>
<p><strong>「場」とは、皆で作り上げるもの</strong>です。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>その「場」にいるものは「場づくり」に貢献する義務を負う</strong></span>と私は考えます。</p>
<p>皆が心を一つにして、死者を悼んだり、あるいは門出を迎えた人を祝ったりする場において、</p>
<p>このような態度は、はなはだ不適切であると言わざるを得ません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span class="sc_marker red">ついスマホの通知が気になったり、手元のパンフレットが読みたくなったりというのは、誰にでもあることだとは思いますが、</span></p>
<p><span class="sc_marker red">自分の振る舞いが、その「場」に影響を与えるということをよく踏まえて、</span></p>
<p><span class="sc_marker red">行いをあらためていきたいものです。</span></p>
<p><span class="sc_marker red">（まあ、ずっと集中し続けるのも、その場が堅苦しくなりすぎてしまうと思います。いい塩梅で。）</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>なんか、今回は、堅く、重めの記事になっちゃいました！</p>
<p>まあ、こんなこともあります！</p>
<p>それではまた次回！</p>
<p>ここまでお読みいただいた皆さま、ありがとうございました！</p>
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		<title>え！？こんなところにも仏教が！？～運転中の衝撃的な気付き</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/8144</link>
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		<dc:creator><![CDATA[久保田智照]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 May 2022 21:30:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[北海道]]></category>
		<category><![CDATA[音楽]]></category>
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					<description><![CDATA[母なる大地、北海道。 中でも特に自然の多い地域に暮らす久保田は、 何かにつけ自動車で長距離移動を行います。 1時間、2時間は当たり前、時には5時間以上の運転をすることも珍しくはありません。 &#160; 長時間の運転の際にはハンドル操作の妨…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>母なる大地、北海道。</p>
<p>中でも特に自然の多い地域に暮らす久保田は、</p>
<p>何かにつけ自動車で長距離移動を行います。</p>
<p>1時間、2時間は当たり前、時には5時間以上の運転をすることも珍しくはありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>長時間の運転の際にはハンドル操作の妨げにならない範疇で、</p>
<p>お坊さんらしく読経してみたり、</p>
<p>ひとり言をつぶやいてみたり、</p>
<p>目に映る景色を<span style="font-size: 10pt;">（わき見運転にならない程度に）</span>楽しんだり、</p>
<p>して過ごしていますが、</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>もっとも好きな運転中の過ごし方は、自分の好きな音楽をかけること</strong>です。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>先日のYouTubeLive配信でもちらっと話したのですが、</p>
<p>私は運転中に、海外のミュージシャンによるトライバル・サイトランスというジャンルの曲をよく聞いています。</p>
<p>いわゆるところの、ダンスミュージック、クラブミュージック、といった感じの<strong>激しめの曲</strong>で、</p>
<p>私にとっては、かなりの<strong>「眠気バイバイ」効果</strong>があります。</p>
<p>また、<strong>言語が日本語でない</strong>ので、</p>
<p><strong>運転しながら歌詞に気を取られるということもほとんどありません。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>歌を口ずさむこともありますが、</p>
<p>それも、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>何を言っているのかよくわからない言葉（や叫び）を、</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>よくわからないまま適当に口にする、</strong></span></p>
<p>というものなので、</p>
<p>運転への集中があまり削がれることなく、気分良く過ごせるのです。</p>
<h2>お気に入りのミュージシャンの、ある曲が……</h2>
<p>さて、そんな風に運転中の音楽を楽しんでいる私でありますが、</p>
<p>最近は、<span style="font-size: 18pt;"><strong>Hilight Tribe</strong></span>というグループの曲をよく聞いています。</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong><a href="https://clubberia.com/ja/artists/5887-Hilight-Tribe/">こちらのサイト</a></strong></span>におけるグループの紹介文では、</p>
<blockquote><p>ギター、ベース、ドラム、ジャンベ、コンガ、ディジュリドゥ、ボーカルに加え世界中の民族楽器をフィーチャーし「生楽器」にこだわった音楽スタイル</p></blockquote>
<blockquote><p><span>”最先端のテクノロジーを意識しつつも、地球上の生物の1つとして人間を捉え自然との調和を大事にエコロジーなライフスタイル“を実践し、メンバーは世界各地を旅しながら人種・国境・文化を越えて地球人もしくは世界市民という精神でオリジナリティある音楽をクリエイト</span></p></blockquote>
<p>とあり、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>民族志向、自然志向</strong></span>といった印象があります。（ヒッピー的な感じですかね？）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>先日いつものようにこのグループの音楽をかけていたところ、</p>
<p>ある1つの曲について、<span style="font-size: 18pt;"><strong>驚くべき発見</strong></span>がありました。</p>
<h2>この歌詞、〇〇だ！</h2>
<p>その曲は</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>「Free tibet」</strong></span></p>
<p>というタイトル。</p>
<p><iframe title="Free tibet" width="850" height="638" src="https://www.youtube.com/embed/ueNQAG8SRmg?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>5年以上前から、</p>
<p>ほとんど定番として車内でかけ続けてきた曲で、</p>
<p>何を言っているかはほとんどわからないものの、</p>
<p>常日ごろ、その歌詞部分を何度も何度も口ずさんできました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>「モマニペメウ　モマニペメウ　モマニペメウ……」</strong></p>
<p><strong>「ラマタシタラ　ラマタシタラ　ラマタシタラ……」</strong></p>
<p><strong>「オ　ダライラマ　オ　ダライラマ　オ　ダライラマ……」</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>カタカナで書くと、<span style="font-size: 14pt;"><strong>謎の呪文</strong></span>のような感じがしますね（笑）</p>
<p>「オ　ダライラマは、ダライラマ法王のことだろうな～。」</p>
<p>ということ以外まったくわかりません。</p>
<p>歌詞の意味にはほとんど興味がなく、ずっと調べる気にもならなかったのですが、</p>
<p>先日、ふとした拍子に<strong>とんでもないこと</strong>に気が付いてしまいました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;" class="sc_marker red"><strong>「モマニペメウ」の、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;" class="sc_marker red"><strong>「モマニ」って、</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 18pt;" class="sc_marker red"><strong><span style="font-size: 24pt;">「オン マニ」</span>じゃないか？</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そう。</p>
<p>5年以上も、まったくそれと気づかず口ずさんできた歌詞は、</p>
<p>「オン マニ」から始まる<span style="font-size: 18pt;"><strong>「真言」</strong></span>だったのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>お気に入りの歌を口ずさんでいただけのつもりが、</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>いつのまにか真言を唱えていた……？</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/しんごｎ_optimized-300x156.png" alt="" width="300" height="156" class="alignnone size-medium wp-image-8147" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/しんごｎ_optimized-300x156.png 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/しんごｎ_optimized-1024x531.png 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/しんごｎ_optimized-768x398.png 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/しんごｎ_optimized.png 1292w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>いくらお坊さんでも、あまりにも仏教に導かれすぎていてちょっとビックリです。</p>
<h2>未知の真言、その意味とは</h2>
<p>調べてみたところ、この真言は、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>「オン・マニ・ペメ・フム」</strong></span></p>
<p>というもので、六字大明呪と呼ばれるものだそうです。</p>
<p>曹洞宗ではお唱えすることが（恐らくは）ほとんどないと思いますが、</p>
<p><span style="text-decoration: underline;"><strong><a href="https://www.tibethouse.jp/about/culture/ommanipadmehum/">ダライラマ法王日本代表部事務所のHP</a></strong></span>には、</p>
<blockquote><p>ほとんどが仏教徒であるチベット人は、慈悲の化身である観音菩薩のこの真言を唱えることによって、悪業から逃れ、徳を積み、苦しみの海から出て、悟りを開く助けになると信じている</p></blockquote>
<p>とあり、</p>
<p>チベットの人々にとっては非常に身近なものであるようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、この真言は観世音菩薩の功徳をお唱えしたものだそうです。</p>
<p>幼いころから境内のあちらこちらにいらっしゃる観音さまを、祖父母と一緒に拝んできた私にとって、</p>
<p>浅からぬご縁があるようにも思えました。</p>
<h2>おわりに</h2>
<p>冷静に考えてみれば民族、文化、宗教を重んじる音楽性を持ったミュージシャンの、</p>
<p>Free tibetというタイトルの歌詞の中に真言が含まれていても、</p>
<p>あまり違和感はありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>とはいえ、今回、それとは気づかずに、音楽という形で真言を口ずさんでいたという事実は、</p>
<p>私に仏教の身近さや、その影響力を強く感じさせてくれました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>わが国の文化は、古来より現在に至るまで、仏教の影響を強く受けてきました。</p>
<p>それは幅広く、根強く、</p>
<p>どこからが仏教で、どこからが違う文化の影響であると、</p>
<p>分離して考えることができないものが多いではないかと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>お仏像のほほえみが与えてくれる、慈しみや癒し。</p>
<p>ご先祖供養に感じることのできる、安心や感謝。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>狭義での教えという形に留まらず、</p>
<p>美術・音楽といった芸術的なものから、</p>
<p>日常の中に生きる精神性まで、</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>普段、それをはっきりと自覚することはないかもしれないけれども、</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>仏教が与えてくれる安らぎの世界はすぐそばにある。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>今回の出来事から、そんなことを思いました。<span style="font-size: 10pt;">（飛躍しすぎ？💦）</span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/22428381_s_optimized-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-8146" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/22428381_s_optimized-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2022/05/22428381_s_optimized.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>ではまた！</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>法話「人の死をどう受け止めるか」原稿&#038;反省点</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/7642</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/7642#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[久保田智照]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 25 Nov 2021 21:30:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[供養]]></category>
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					<description><![CDATA[広告 11月6日に禅活チャンネルで公開した、5分法話「人の死をどう受け止めるか」。 今回は、その原稿を公開し、動画では語り切れなかった反省点をピックアップしていきます！ 起 私たち人間にとって、「死」というテーマは重大で、深刻なものです。 …]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>広告</p>
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<p>11月6日に禅活チャンネルで公開した、5分法話「人の死をどう受け止めるか」。</p>
<p><iframe title="５分法話「人の死をどう受け止めるか」(&amp;反省会)" width="850" height="478" src="https://www.youtube.com/embed/ewC1B8PEHs8?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe></p>
<p>今回は、その原稿を公開し、動画では語り切れなかった反省点をピックアップしていきます！</p>
<h2>起</h2>
<p>私たち人間にとって、「死」というテーマは重大で、深刻なものです。</p>
<p>誰も経験したことがないはずなのに、<br />
自分の死はおそろしく、<br />
他者の死の場合はその方が身近であればあるほど重く、苦しく、心に突き刺さってきます。</p>
<p>この「死」という得体のしれないものについて、<br />
私がお話しできることは「人の死を自分自身がどう受け止めたか」ということです。</p>
<p>そこで今回は、私が僧侶として人の死から学んだことをお話しさせていただきます。</p>
<h2>承</h2>
<p>今年５月のこと、友人から１本の電話を受けました。</p>
<p>「おお、智照。悪いね。親父なんだけどさ、どうも危ないみたいなんだ。<br />
今日明日の話ではないようだけどね。でさ、どうなるかはわかんないんだけど、<br />
もし亡くなったときには葬儀をつとめてくれるか？」</p>
<p>「ああ、オレでいいなら、勿論。」</p>
<p>そんなやり取りを交わして数時間後、「亡くなった」という連絡が届きました。</p>
<p>私自身もそのお父さんからお世話になっていたということがあり、<br />
急な知らせに気持ちの整理がついていませんでした。</p>
<p>急いでご葬儀の準備を進めて、迎えたお通夜の日。</p>
<p>新型コロナの影響も考慮して、連絡も最小限にとどめ家族と近しい親類だけで送るというお話でしたが、<br />
会場には多くの方が弔問に訪れていました。</p>
<p>聞けば、弔問に訪れた方々の多くが、故人の教え子であるとのことでした。</p>
<p>友人のお父さんは教員として定年退職まで勤め上げた方で、<br />
かつての生徒たちが口づてに訃報を聞き、駆けつけてきたそうです。</p>
<p>それぞれが口々に感謝の言葉を述べ、ひたすらに思いを込めてご焼香をされていく姿を見つめながら、<br />
私はその様子を、お釈迦さまが亡くなられた時のお姿に重ね合わせていました。</p>
<h2>転</h2>
<p>お釈迦さまが亡くなられるときの様子を記した、『<ruby><span class="sc_marker red"><strong>仏垂般涅槃略説教戒経</strong></span><rt>ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう</rt></ruby>』というお経があります。</p>
<p><ruby><strong>遺経</strong><rt>ゆいきょう</rt></ruby>また<strong><ruby>遺教経<rt>ゆいきょうぎょう</rt></ruby></strong>とも呼ばれ、２月１５日の<ruby>涅槃会<rt>ねはんえ</rt></ruby>や、亡くなった方の枕経で唱えることの多いお経です。</p>
<p>その内容は、死に瀕したお釈迦さまが、残されるお弟子さま方に対して最後の説法を行うというものです。</p>
<p>お釈迦さまは、そのお命が尽きようとしている最後の最後まで、お弟子さま方に教えを伝えようとなさいました。</p>
<p>お経の最後はこのように結ばれます。</p>
<p><em><strong>「</strong></em><em><strong>汝等、且く止みね。復た語ること得ること勿れ。時将に過ぎなんと欲す。</strong></em><br />
<em><strong>我滅度せんと欲す。是れ我が最後之教誨する所なり。」</strong></em></p>
<p>これはすなわち、</p>
<p><strong>「弟子たちよ、静かにするがいい。もはや言葉を発してはいけない。</strong><br />
<strong>時はまさに過ぎ去ろうとしている。私はここで死を迎える。これが私の最後の教えである」</strong></p>
<p>というお諭しです。</p>
<p>ここでお釈迦さまがはご自身の死を通して「いのち」のあり方を説かれたのだと私は思います。</p>
<h2>結</h2>
<p>私が、友人のお父さんの葬儀に、お釈迦さまのご最期を重ね合わせていたのは、<br />
その教えを受けた方々は、きっとこれからも受けた教えを胸に、<br />
日々を生きていかれるのだろうと感じたからに他なりません。</p>
<p>亡くなったその人の生きざまや教えが、残された人の胸に宿り、そして人生を生きる支えとなっていく。</p>
<p>これは人の「死」のひとつの真実の姿ではないでしょうか。</p>
<p>だとすれば、人の死を考える際に大切なことは、</p>
<p>死んでどうなるかということ以上に、どのように生き、<br />
どんな教えを残すかだと言えるのではないでしょうか。</p>
<p>それは友人のお父さんだけでなく、私自身に問われていることでもあります。</p>
<p>今回は「人の死をどう受け止めるか」についてお話をいたしました。</p>
<p>ご清聴ありがとうございました。</p>
<h2>反省点①</h2>
<p>それでは、反省に参りましょう。</p>
<p>一つ目はこちら。</p>
<p><strong>「人の死を考える際に大切なことは、死んでどうなるかということ以上に、</strong><br />
<strong>どのように生き、どんな教えを残すかだと言えるのではないでしょうか」</strong></p>
<p>法話の中でいうと「結」にあたる部分で用いた表現です。</p>
<p>特に、「死んでどうなるかということ以上に」という部分。<br />
ここは別の表現が必要だと思いました。</p>
<p>ここの何が反省点であるのかというと、</p>
<p>周知の通り、日本の仏教には浄土信仰があります。</p>
<p>死後、極楽浄土へ行くことを大切にしている人にとって、</p>
<p>この一文は自分の信仰を軽視されたように思えてしまうのではないか、と感じました。</p>
<p>もちろん、私自身にそのような意図はなかったのですが、安易な比較は危険だと気が付きました。</p>
<p>伝えたいことを強調するために、別の何かと対比するということは、普段何気なく行ってしまうことだと思います。</p>
<p>しかし、どちらかを上げるということは、どちらかが下がるということに繋がります。</p>
<p>それが、決して意図しないものであっても、下げられてしまった方は傷ついてしまうかもしれません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、曹洞宗でも、決して死後を軽視しているわけではありません。</p>
<p>この点についても誤解を与えかねない表現だと思いました。</p>
<h2>反省点②</h2>
<p>今回は、原稿をもとに法話をいたしましたが、</p>
<p>書き言葉をそのまま話しているせいか、ぎこちなさが目立ちました。</p>
<p>原稿作成の際、なるべく話し言葉に近づけるようにと気を付けてはいましたが、</p>
<p>どうしても違和感があったと思います。</p>
<p>聞く、ということはかなり負担になる行為なので、</p>
<p>法話という決して短くない時間を「聞いていただく」ためには、もう少し工夫が必要だったと思います。</p>
<h2>おわりに</h2>
<p>これまでにもいろいろな場所で法話をさせていただきましたが、</p>
<p>動画での法話にはまたひとつ工夫が必要だと感じました。</p>
<p>ご視聴いただいている皆さま、いつもありがとうございます。</p>
<p>次回は、しんこうさんの回になりますが、そちらもどうぞお楽しみに。</p>
<p>それでは！</p>
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			</item>
		<item>
		<title>報地はどこにある？〜お彼岸にちなんで〜</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/6928</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/6928#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 18 Mar 2021 16:36:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[供養]]></category>
		<category><![CDATA[曹洞宗]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク 2021年になって早三ヶ月。 今年も春のお彼岸を迎えました。 お彼岸は春分・秋分の日をお中日とした前後３日間、計一週間の日本独自の仏教行事です。 私はこのお彼岸の初日、入りの日にはご縁があって山梨のお寺での棚経のお手伝い…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク<br />
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<p>2021年になって早三ヶ月。</p>
<p>今年も春のお彼岸を迎えました。</p>
<p>お彼岸は<strong>春分・秋分の日をお中日とした前後３日間、計一週間</strong>の日本独自の仏教行事です。</p>
<p>私はこのお彼岸の初日、入りの日にはご縁があって山梨のお寺での棚経のお手伝いをさせていただいています。</p>
<p>まさにこれを書いている前日がその棚経の日で、今年も１日で約90軒のお家でお勤めをさせていただきました。</p>
<p>棚経は、そのお宅のお仏壇や祭壇の前でお経をあげるお勤めですが、お経の後には必ず、そのお経を何のためにお唱えしたか、を申し上げる「<strong><ruby>回向<rt>えこう</rt></ruby></strong>」もお唱えします。</p>
<p>その回向でかなりの確率で登場する言葉が、今回のテーマ「<strong><span style="font-size: 14pt; color: #ff0000;"><ruby>報地<rt>ほうち</rt></ruby></span></strong>」です。</p>
<p>口が勝手に動くようになるくらい、何度もお唱えしたこの「報地」。</p>
<p>「<span class="sc_marker y">仏様のいらっしゃる場所」という意味のこの言葉を、どう受け止めていくか私なりに考えていきます。</span></p>
<h2>報地を荘厳す</h2>
<p>曹洞宗の回向にかなりの高確率で登場する<span class="sc_marker red"><strong>「報地を<ruby>荘厳<rt>しょうごん</rt></ruby>す」</strong></span>の一説。</p>
<p>報地というのは曹洞宗が好む言い回しなのか、<span class="sc_marker red">『仏教語大辞典』では「報土」として掲載されており、意味としては<strong>「仏様の住む土地」</strong>のことです。</span></p>
<p>修行をした結果、その修行に応じてそれぞれの報土を持って、安住する場所、といったところでしょうか。</p>
<p>つまり、回向でお唱えする「報地を荘厳す」というのは、<span class="sc_marker red"><strong>「ご供養の対象である仏様のいらっしゃる場所を功徳によって彩る」</strong></span>といった意味になります。</p>
<p>ただ、<span class="sc_marker blue">私はこの目で見えない世界の話を雰囲気的に納得しなくてはいけない感じがどうも苦手</span>で、自分がお檀家さんだったら納得いっていなかったような気がします。</p>
<p>では、報地というものをどう解釈すると、より生き方に活かしやすいものになるのでしょうか。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/03/Mandala1_detail-min-260x300.jpeg" alt="" width="260" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-6930" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/03/Mandala1_detail-min-260x300.jpeg 260w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2021/03/Mandala1_detail-min.jpeg 541w" sizes="(max-width: 260px) 100vw, 260px" /><br />
（画像出典：<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85">Wikipedia</a>)</p>
<h2>棚経での出来事</h2>
<p>今年で３年目になる山梨での棚経ですが、毎回お昼頃に伺うお宅があります。</p>
<p>そちらでは、お昼ご飯といえるくらいお茶や食べ物を出して下さって、必然的に色んなお話を伺うことになります。</p>
<p>そして昨年の春、そのお宅の女性が、私にこんなことを尋ねてくださいました。</p>
<p>「最近妹が亡くなってしまったんだけど、生まれ変わったりするんですかね、どこに行っちゃうんですかね。」</p>
<p>その方は、生まれてずっと一緒に育ってきて、この先も同じように時を過ごすと思っていた妹さんの死を、どう受け止めていいか、どう諦めていいかがわからないというご様子でした。</p>
<p>曹洞宗では、葬儀によって故人を仏様とし、生まれ変わりといったことは説きません。</p>
<p>ではその仏様となった妹さんがどこにいらっしゃるかというと、それは<span class="sc_marker red">遺された方お一人お一人の心の中</span>です。</p>
<p>ありきたりな言い方にはなってしまいますが、仏様として見る人の心に、仏様は存在しているのです。</p>
<p>私がそのような旨のことをお伝えすると、その方も<strong>「どこかに遠くに行っちゃったわけじゃないんですね」</strong>と納得し、ご安心いただけたようでした。</p>
<p>そして、自分でお話をしておきながら、私自身も妙に納得がいったのです。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/03/5379d90c9d03dae875fd0327083ad293_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4975" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/03/5379d90c9d03dae875fd0327083ad293_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/03/5379d90c9d03dae875fd0327083ad293_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>報地の在り処</h2>
<p>私はこの、<strong>仏様のいらっしゃる心の中を「報地」というのではないか</strong>と思っています。</p>
<p>遺された私たちが、先に旅立っていった方を葬儀や法事を通して少しずつ仏様として受け止め直し、</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>「あなたに導かれて、良い生き方をしようと前に進んでいますよ」</strong></span>という、</p>
<p>人生という修行の成果こそが報地なのではないかと、私は思うのです。</p>
<p>辞書の意味をそのまま受け取れば、〇〇という戒名の仏様がどこかにいて、その方が守っている場所が報地という風に捉えてしまいますし、その方が画は思い浮かぶでしょう。</p>
<p>しかし実際には、<span class="sc_marker y">生前の関係によって、一人の仏様も人によって色んな受け止め方があります</span>。</p>
<p>私にとっては優しかった祖父が、父にとっては厳しい存在であったように、生前の人間関係や立場によって、その仏様から学ぶことは異なります。</p>
<p>そう考えた時、報地というのはなにも一箇所、一つの場所を指すのではなく、その仏様を思う人の数だけ、心の数だけ存在するものなのではないでしょうか。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;" class="sc_marker red">仏様と私たち一人一人の心の合流地点</span></strong>、と言ってもいいかもしれません。</p>
<p>仏様とお一人お一人の間にあるからこそ、法事やお彼岸といったお勤めを通して、一つ一つの報地が功徳によって彩られますように、と回向をするのが、私たち僧侶なのではないでしょうか。</p>
<p>これはあくまでも個人的な見解で、学問的な裏付けがあるわけではありません。</p>
<p>しかし、自分の心の中にお一人お一人の仏様との報地があると思うことで、よりご供養というものが自分事となっていくのではないかと、私は思います。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/03/IMG_0223_Fotor-min-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-4959" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/03/IMG_0223_Fotor-min-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/03/IMG_0223_Fotor-min-768x576.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/03/IMG_0223_Fotor-min-1024x768.jpg 1024w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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<p>&nbsp;</p>
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			</item>
		<item>
		<title>棚経でのご供養を通じて感じたこと</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/5945</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/5945#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[久保田智照]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 09 Aug 2020 15:00:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お盆]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[棚経]]></category>
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					<description><![CDATA[8月、夏真っ盛り。 新型コロナウイルスが猛威を振るう中、花火大会、高校野球甲子園大会、盆踊り、夏祭りなど、今年は全国的に多くの「夏の風物詩」が取りやめとなりました。 僧侶が各ご家庭をめぐりながらご先祖供養をする「棚経」も夏の風物詩と言ってい…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>8月、夏真っ盛り。</p>
<p>新型コロナウイルスが猛威を振るう中、<span style="background-color: #ffffff; font-size: 16px;">花火大会、高校野球甲子園大会、盆踊り、夏祭りなど、</span><span style="background-color: #ffffff; font-size: 16px;">今年は全国的に多くの「夏の風物詩」が取りやめとなりました。</span></p>
<p>僧侶が各ご家庭をめぐりながらご先祖供養をする「棚経」も夏の風物詩と言っていいでしょう。</p>
<p>お盆に里帰りし、おじいちゃんおばあちゃんと一緒にお仏壇に手を合わせたという経験をお持ちの方も多いことと思います。</p>
<p><span style="font-size: 16px; background-color: #ffffff;">しかし今年はウイルスの影響から、里帰りをあきらめた方が多いそうです。</span></p>
<p>様々なことが例年通りに行えなくなっている中、ご先祖様へのご供養までもが難しくなってしまっていることを非常に残念に思います。</p>
<p>今回は、これまでに勤めてきた「棚経」でのお檀家さんとのやり取りを通じて久保田が感じたことをお伝えしていきます。</p>
<h2>お仏壇に現れる「やさしさ」</h2>
<p>棚経の際、僧侶は様々なご家庭を訪問します。</p>
<p>初めてうかがうお宅もあれば、いつもお世話になっている方のお宅もあります。</p>
<p>その中で久保田がいつも感じているのが、お檀家さんの<span style="font-size: 14pt;"><strong>「やさしさ」</strong></span>です。</p>
<p>「やさしさ」と言っても、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「おやつをくれたからあの人はやさしい！」</strong></span>とか</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「お茶を淹れてくれたからあの人はやさしい！」</strong></span>という、</p>
<p>僧侶に対する「やさしさ」の話ではありません。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>その「やさしさ」とは、お仏壇と相対したときにわかる「ご先祖様への想い」です。</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/646538_s-min-217x300.jpg" alt="" width="217" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-5947" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/646538_s-min-217x300.jpg 217w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/646538_s-min.jpg 463w" sizes="(max-width: 217px) 100vw, 217px" /></p>
<p>お茶やお花やお菓子など色とりどりのお供えがなされ、整えられたお仏壇。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">そこから伝わるお檀家さんの心の温かさに触れ、法要を務めさせていただく私も、とても温かな気持ちでご供養に臨めるのです。</span></strong></p>
<h2>やさしさの「回向」</h2>
<p>これまでに何度も記事で触れているお話ですが、<span style="font-size: 18pt;"><strong>「<ruby>回向<rt>えこう</rt></ruby>」</strong></span>とは<ruby>回<rt>めぐ</rt></ruby>らし<ruby>向<rt>む</rt></ruby>けるということです。</p>
<p>法要の最後に、功徳を外側に広く振り向けるために読まれるのが「回向」です。</p>
<p>自業自得や因果応報という言葉があるように……</p>
<p>本来、仏教では自分がしたことの報いは自分に返ってくると考えます。</p>
<p>それはお経を唱える場合でも変わりません。</p>
<p>「自業自得」というと一般には「悪いことの報いは必ず返ってくる」という文脈で使われることが多いと思いますが、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>実は悪いことの報いが返ってくるのと同じように、良いことをした報いも基本的には自分に返ってくるのです。</strong><span style="font-size: 12pt;">(ちなみに日本に浸透している「自業自得」という言葉の使い方は、差別に繋がる場合がありますので気を付けましょう)</span></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このようにおっしゃったお檀家さんがおりました。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「おばあちゃんが死んでからこっち、お師匠さんに言われたから毎日般若心経を唱えているんだよ。お経の後の言葉も含めてさ。唱えるだけで何だかすっきりするんだ。」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「<span style="background-color: #ffffff;">なんとなく意味が分かってきた気がするけど、</span>お経は難しいね。特にお経の後の言葉が、わかるようでわからないんだ。」</span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/1093052_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-5950" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/1093052_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/1093052_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>お経の後の言葉、というのは「回向」のことでしょう。</p>
<p>こちらのお檀家さんの言葉を受けて、私は先ほど紹介した「自業自得」のお話と「回向」の意味をお伝えしました。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「なるほどなあ。オレの気持ちが楽になってるのも、なんだか納得できた気がするよ。」</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「自分から優しいことをできたら、優しい気持ちになれるもんな。」</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="background-color: #ffffff; font-size: 16px;">こちらのお檀家さんとのお話の中で、私は「回向」による功徳を目の当たりにしたような気がしました。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>ご供養という「やさしさ」を広く外側に向けることで、その報いは何倍もの「やさしさ」となって返ってきたということなのだろうと思えたのです。</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/3467513_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-5949" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/3467513_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/3467513_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>「死んだら無になるんですよね？」</h2>
<p>また別のお檀家さんとのお話です。</p>
<p>そのお檀家さんは92歳の女性です。</p>
<p>ご高齢ということもあってか、最近は目が不自由になり、足腰も弱ってきているとのことでした。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「ごめんなさいね。いろいろと不自由で、大したおもてなしもできないで」</span></p>
<p>申し訳なさからか、何度もこうしたことをおっしゃいます。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/obaasan04_cry-253x300.png" alt="" width="188" height="222" class="alignnone wp-image-5951" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/obaasan04_cry-253x300.png 253w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/obaasan04_cry.png 510w" sizes="(max-width: 188px) 100vw, 188px" /></p>
<p>その度に、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「どうか、お気になさらないでください」</span></p>
<p>と伝えるのですが、気に病む様子は変わりませんでした。</p>
<p>ご先祖供養を終えて、そのおばあさんとお話をしていた時のこと。</p>
<p>昔の話やお互いの近況の話などに花を咲かせていると、</p>
<p>不意におばあさんがこのような質問を投げかけてきました。</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>「ねえ、和尚さん。人は死んだら無になるんですよね？」</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">突然投げかけられた、重大な質問。</span></p>
<p>きっと、年々弱っていくご自身の体に言いようのない不安を感じていたからこその言葉だったのでしょう。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>この質問には、借り物の言葉でなく私自身が向き合うことが必要だと感じました。</strong></span></p>
<p>言葉を選びつつ、そのおばあさんに私自身の考えを伝えることにしました。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「○○さん。これは私自身の考えになります。仏教の教えに照らしたら、間違っている部分もあるかもしれませんが、聞いてください」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「私たち自身、もともととても頼りない存在です」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「誰かに支えられなければ生きていられないし、でも同じように自分も誰かが生きるのを支えているんです」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「今の肉体がなくなっても、私はそれで終わりだとは思えません」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt; background-color: #ffffff;">「私も○○さんからとても多くのものをいただいています。私の中にも○○さんはいるんです。」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「<span class="sc_marker red"><strong>人の心の中にあって、人を見守ってくれる存在のこと。それは”無”でなくて”仏”というのではないでしょうか</strong></span>」</span></p>
<p>このように伝えました。</p>
<p><span style="font-size: 12pt;">おばあさんから、声に出しての返答はありませんでしたが、静かに、小さく数回頷かれたのがわかりました。</span></p>
<p>これが、その時の自分に伝えられる精一杯でした。</p>
<h2>感じた自分の変化</h2>
<p>新型コロナウイルスの不安がある中ではありますが、</p>
<p>私が住職を務めるお寺では、消毒や3密の回避、健康に懸念がある場合の訪問中止など、一定のガイドラインを設けた上で棚経を行うことにいたしました。</p>
<p>今現在、棚経の真っ最中です。</p>
<p>そんな中、息子さん一家が今年の里帰りをあきらめた、というお檀家さんがいらっしゃいました。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「会えないのはさみしいけど、こっちは遊ぶ場所もないし、孫にとっては面白くないだろうからねえ」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「案外向こうは来なくてよかったと思っているかもしれない」</span></p>
<p>こんなことをおっしゃるので、</p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「いえ！そんなことはありません。お孫さんもきっと△△さんに会いたいと思っています」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「それにご先祖様に手を合わせるということは、やさしさに触れることのできる掛け替えのない機会です」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「確かに子どもにとってご供養は面白くないかもしれませんが、ご先祖様がお孫さんを健やかに成長させてくれます」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「落ち着いたら、またお孫さんと一緒にお仏壇に手を合わせてください」</span></p>
<p>と伝えました。</p>
<p>以前の私であれば、当たり障りないことを言っていたでしょう。</p>
<p>今回このような返答が出たということは、ご紹介したやり取りのように、多くのご供養を務め、お檀家さんと触れ合う中で、私自身も僧侶として成長しているということなのかもしれません。</p>
<p>回向し、回向され。</p>
<p>人とのかかわりをより強く感じながら、今年のお盆を過ごしていきたいと思います。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/3571902_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-5948" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/3571902_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/08/3571902_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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		<title>ドラクエから考える仕事との向き合い方</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/4411</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/4411#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 02 Feb 2020 15:00:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[エンタメ]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[作務]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク 以前一度、ゲームアプリ、ドラゴンクエストウォーク(ドラクエウォーク)についての記事を書きました。 あれからもしばらくやっていたのですが、何せ私が使っているiPhone6sには負担が大きすぎて、キャラクターより先にスマホの…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p>以前一度、ゲームアプリ、ドラゴンクエストウォーク(ドラクエウォーク)についての記事を書きました。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/3302" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2973-min_Fotor-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="ドラクエから考える仕事との向き合い方"></div><div class="title">ドラクエの僧侶が仏教徒ではないと思う３つの理由</div><div class="date">2019.10.14</div><div class="substr">スポンサードリンク 最近、曹洞宗総合研究センターからの帰り道や、実家との往復、何かにつけて歩くようにしています。 なぜなら強くなるし、ポイントが加算されるからです。 いきなり何のことかと思われるかもしれませんが、これは最近流行中の「ドラゴンクエストウォーク」(以下、ドラクエウォーク）というゲームアプ...</div></a></div>
<p>あれからもしばらくやっていたのですが、何せ私が使っている<span style="color: #ff0000;"><strong>iPhone6s</strong></span>には負担が大きすぎて、<span class="sc_marker red">キャラクターより先にスマホのHPが切れてしまう状況に…。</span></p>
<p>そんな不便さもあって少し遠のいていたドラクエウォークなんですが、先日<strong>大型アップデート</strong>がありましたね。</p>
<p>従来の「<strong>勇者</strong>」「<strong>武闘家</strong>」「<strong>魔法使い</strong>」「<strong>僧侶</strong>」に加えて、「<strong>バトルマスター</strong>」と「<strong>賢者</strong>」という、いわゆる<span class="sc_marker red">上級職</span>が登場しました。</p>
<p>僧侶の上が賢者というのはいささか納得出来ませんが、それは一旦置いておきましょう。</p>
<p><strong>今回気になったのはドラクエの世界における「職業」の考え方についてです。</strong></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><span class="sc_marker blue">「今日の記事はハズレか…」</span></strong></span>と思ったそこのあなた！！</p>
<p><strong>仕事との向き合い方</strong>について書いてるのでよかったらもう少し下までご覧ください。</p>
<h2>①「生き方」としての仕事</h2>
<p>まず、今回のドラクエウォークでの<strong>転職の演出</strong>をご覧下さい。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3815_Fotor-min-300x199.jpg" alt="" width="300" height="199" class="alignnone size-medium wp-image-4421" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3815_Fotor-min-300x199.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3815_Fotor-min.jpg 750w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><strong>どこからともなく声が聞こえます。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3816_Fotor-min-182x300.jpg" alt="" width="182" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-4422" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3816_Fotor-min-182x300.jpg 182w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3816_Fotor-min-620x1024.jpg 620w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3816_Fotor-min.jpg 750w" sizes="(max-width: 182px) 100vw, 182px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>そして、<strong>祈りを捧げ</strong>…。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3817_Fotor-min-184x300.jpg" alt="" width="184" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-4424" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3817_Fotor-min-184x300.jpg 184w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3817_Fotor-min-626x1024.jpg 626w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3817_Fotor-min.jpg 750w" sizes="(max-width: 184px) 100vw, 184px" /></p>
<p><strong>○○として生きてゆくことになりました。</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>これで転職が完了です。</p>
<p>ここで不思議なことは、<span class="sc_marker red"><strong>転職するのに祈りが必要なこと</strong></span>です。</p>
<p>これはどういうことなのでしょうか？</p>
<h3>仕事を選ぶって？</h3>
<p>現代社会で<strong>「仕事」</strong>というと、<strong>「お金の稼ぎ方」</strong>という意味合いが少し強くなっているかもしれません。</p>
<p>確かにもらえる賃金が多いに越したことはありませんし、お金を手に入れることは重要なことです。</p>
<p>ただし、今見落とされがちなのは、仕事とは「<strong><span style="color: #ff0000;">生き方</span></strong>」<strong>であるという考え方</strong>です。</p>
<p>好きでも嫌いでも、仕事をするということは「<strong>それでご飯を食べる</strong>」ということであり、それは「<span class="sc_marker red"><strong>そうやって生きていく</strong></span>」というでもあります。</p>
<p>世界には今でも、<strong>身分で仕事が決まり、立場が決まってしまう国があります</strong>。</p>
<p>日本も昔はそうでした。</p>
<p>そうした社会では、<strong>身分がそのまま仕事になり</strong>、<strong>仕事によって人としての扱われ方まで</strong>決まってしまいます。。</p>
<p>そこには色んな差別や偏見も生まれ、理不尽の中で生涯を閉じた人もたくさんいます。</p>
<p>一方で、現代は、自分である程度方向を決めることはできるといえるでしょう。</p>
<p>世襲と思われがちな僧侶でも、人にもよりますが、多くが自らその道を選んでいます。</p>
<p>それはどんな気持ちで選ぼうと、「<strong>僧侶という生き方を選んだ人</strong>」として見られる覚悟をしなければならないということでもあります。</p>
<h3>命をどう使うか</h3>
<p>仕事を選ぶというのは、<span class="sc_marker red"><strong>ここまで多くのご縁によって生かされてきたこの命をどう使っていくか</strong></span>、ということの選択でもあります。</p>
<p>そして同時に、生きていてこその仕事です。</p>
<p><strong>自分の命を故意に追い詰めてくる職場や、危害を加えてくるような環境には、よほどの変えたいという気持ちや志がないかぎり身を置く必要ない</strong>のではないかと、私は思います。</p>
<p>ここで話を戻すと、ドラクエウォークの転職では祈りを捧げ、誓いを立てていました。</p>
<p>実は、この<strong>祈りを捧げる相手というのは自分自身のことなのではないでしょうか</strong>。</p>
<p>自分自身に「この道でいいかい？」と問いかけ、<span class="sc_marker red"><strong>ご縁に支えられてきた自分の命を大切にするという誓い</strong></span>がこの演出なのかもしれません。</p>
<p>仕事を生き方として捉えているドラクエ、なかなか深いですね…。</p>
<h2>②転職しても経験は消えない</h2>
<p>２つめの理由は、<strong>転職のシステム</strong>についてです。</p>
<p>ドラクエでは、勇者でレベル20になってから転職すると「みのまもり」が＋15底上げした状態になるように、<span class="sc_marker red"><strong>前職の熟練度で転職後のステータスが底上げされます。</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_7E1433F951BC-1_Fotor-min-273x300.jpg" alt="" width="273" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-4420" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_7E1433F951BC-1_Fotor-min-273x300.jpg 273w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_7E1433F951BC-1_Fotor-min.jpg 750w" sizes="(max-width: 273px) 100vw, 273px" /></p>
<p>これは、<strong>仕事というのは転職したら前職は帳消しになる、というものではない</strong>ということです。</p>
<p>私は学生時代はうどん屋、カレー屋、日雇い、コーヒー屋と飲食業を中心にアルバイトをしていました。</p>
<p>それぞれ業務形態や職場の人の雰囲気など、まったく異なりました。</p>
<p>しかし、飲食店での経験や、日雇いで内装の雑用やビル清掃、試供品の配布などをした経験は、僧侶となった今もふとした時に役立つことがあります。</p>
<p>逆に、お寺の手伝いをしていたことで掃除や資材の運搬を褒められたこともあります。</p>
<p>当たり前なことかもしれませんが、<span class="sc_marker red"><strong>一度就いた仕事はずっと行いとして「私」に残り続ける</strong></span>のです。</p>
<p>何が言いたいかと言うと、<strong>どんな仕事をしていたとしても、どんな姿勢で働いていたとしても、自分の中から綺麗さっぱりなくなることはない</strong>、ということです。</p>
<p><span class="sc_marker blue"><strong>人をだましたり、傷つけながらお金を稼ぐという生き方を選んでしまう人</strong></span>も、世の中にはいます。</p>
<p>しかし、その人はいつかそのしっぺ返しがくることを恐れ、裏切りを恐れ、自分と同じ様な人間に傷つけられることを恐れることになるでしょう。</p>
<p>一方で、成績が悪かろうが、人から怒られようが、<strong>真摯に働いたらそれだけの経験が積み重なっていきます</strong>。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>時間が経って技術や知識は忘れてしまっても、その仕事と真摯に向き合ったその姿勢だけは、心に積み重なってその後の人生を支えてくれるのです。</strong></span></p>
<h2>まとめ</h2>
<p>以上が、かなり深読みして考えたドラクエから考える仕事との向き合い方です。</p>
<p>禅宗のお経である<strong>『<ruby>宝鏡三昧<rt>ほうきょうざんまい</rt></ruby>』</strong>に「<strong><ruby>潜行密用<rt>せんこうみつよう</rt></ruby>は愚の如く<ruby>魯<rt>ろ</rt></ruby>の如し</strong>」という一節があります。</p>
<p>潜行密用、つまり<span class="sc_marker red"><strong>日常生活の中で行われる本当の修行は、愚かでのろまに見えるものである</strong></span>、ということです。</p>
<p>今回のお話は、業種や雇用形態は一切関係ありません。</p>
<p><strong>仕事とどう向き合い、どんな生き方で人生を歩んでいくか</strong>、そんなことを考えながら書いてみました。</p>
<p>表面の数字や評価だけでなく、生き方として仕事と向き合える社会になるといいですね。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3816_Fotor1-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4425" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3816_Fotor1-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/02/IMG_3816_Fotor1.jpg 750w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
					
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		<title>【１月２２日法話】雨ニモマケズ〜宮沢賢治が目指した生き方〜</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/4237</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/4237#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[深澤亮道]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Jan 2020 15:00:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[禅活のイベント]]></category>
		<category><![CDATA[イベント]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[一行写経と法話の会]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[修行]]></category>
		<category><![CDATA[写経]]></category>
		<category><![CDATA[坐禅（座禅）]]></category>
		<category><![CDATA[東長寺]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク 令和２年、新年を迎え最初の【一行写経と法話の会】が、１月２２日（水）に東長寺檀信徒会館「文由閣」で開催されました。 この日は寒気が流れ込み、とても寒い中ではありましたが、今回も６名の方にご参加いたしました。 最初に５階の…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p><span style="font-size: 16px; background-color: #ffffff;">令和２年、新年を迎え最初の【一行写経と法話の会】が、１月２２日（水）に<a href="https://www.tochoji.jp/about_bunyukaku">東長寺檀信徒会館「文由閣」</a>で開催されました。</span></p>
<p>この日は寒気が流れ込み、とても寒い中ではありましたが、今回も６名の方にご参加いたしました。</p>
<p>最初に５階の本堂で、一緒に「般若心経」をお唱えした後、そのまま法話になります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>法話は、わたくし<span style="font-size: 14pt;"><strong>深澤亮道</strong><span style="font-size: 12pt;">が担当させていただきます。</span></span></p>
<p>今回は、私の地元の偉人である<span style="font-size: 14pt;"><strong>「宮沢賢治」</strong><span style="font-size: 12pt;">が書かれた<span style="font-size: 14pt;"><strong>「雨ニモマケズ」</strong></span>を取り上げお話をさせていただきました。</span></span></p>
<h2>雨ニモマケズ</h2>
<blockquote><p><strong>雨にも負けず 風にも負けず　</strong><br />
<strong>雪にも夏の暑さにも負けぬ</strong><br />
<strong>丈夫なからだをもち</strong><br />
<strong>慾はなく 決して瞋らず</strong><br />
<strong>いつも静かに笑っている</strong><br />
<strong>一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ</strong><br />
<strong>あらゆることを自分を勘定に入れずに</strong><br />
<strong>よく見聞きし分かり そして忘れず</strong><br />
<strong>野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて</strong><br />
<strong>東に病気の子供あれば　</strong><strong>行って看病してやり</strong><br />
<strong>西に疲れた母あれば　</strong><strong>行ってその稲の束を負い</strong><br />
<strong>南に死にそうな人あれば　</strong><strong>行ってこわがらなくてもいいといい</strong><br />
<strong>北に喧嘩や訴訟があれば　</strong><strong>つまらないからやめろといい</strong><br />
<strong>日照りの時は涙を流し</strong><br />
<strong>寒さの夏はおろおろ歩き</strong><br />
<strong>みんなにデクノボウと呼ばれ</strong><br />
<strong>褒められもせず、苦にもされず</strong><br />
<strong>そういうものにわたしはなりたい</strong></p></blockquote>
<p>皆さんももしかしたら一度は目にしたり聞いたことがあるのではないでしょうか？</p>
<p>童話作家であり詩人でもある<strong>宮沢賢治の短編詩「雨ニモマケズ」</strong>です。</p>
<p>実は、この詩は、賢治の手帳に綴られていたもので、<span class="sc_marker red"><strong>世に発表する意志のなかった詩</strong></span>とされています。</p>
<p>世に発表するはずのなかった、この「雨ニモマケズ」がなぜこれまで有名な詩となり、人々の心に残っているのでしょうか。</p>
<p>本日はこの「雨ニモマケズ」についてのお話をさせていただきます。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0009-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4339" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0009-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0009-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0009-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0009-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>故郷イーハトーブ</h2>
<p>私は、宮沢賢治と同郷の<strong>岩手県の花巻市</strong>で生まれ育ちました。</p>
<p>花巻市は岩手県のほぼ中央に位置し、市の中心には北上川が流れ、平野部には豊かな田園風景が広がります。</p>
<p>東北屈指の温泉地<strong>「花巻温泉郷」</strong>があり、また日本三大そばの<strong>「わんこそば」</strong>発祥の地でもあります。</p>
<p>最近では、メジャーリーグで活躍しているあの二刀流・大谷翔平選手や、菊池雄星選手も花巻市の高校出身として話題になりました。</p>
<p>風光明媚で多くの観光名所があり、有名人も多数輩出している花巻市ですが、やはり花巻市が全国区となった最初のきっかけは、<strong>宮沢賢治の名が世に知れ渡った事</strong>に因るでしょう。</p>
<div id="attachment_4317" style="width: 310px" class="wp-caption alignnone"><img aria-describedby="caption-attachment-4317" loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/enmanji-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="size-medium wp-image-4317" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/enmanji-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/enmanji.jpg 690w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /><p id="caption-attachment-4317" class="wp-caption-text">出典：花巻市公式HP</p></div>
<div id="attachment_4318" style="width: 300px" class="wp-caption alignnone"><img aria-describedby="caption-attachment-4318" loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/016_01.jpg" alt="" width="290" height="230" class="size-full wp-image-4318" /><p id="caption-attachment-4318" class="wp-caption-text">出典：花巻市公式HP</p></div>
<h2>宮沢賢治作品の特徴</h2>
<p>皆さんは、宮沢賢治の作品挙げるとしたら何を思い浮かべられますか？</p>
<p>馴染み深いのは、<strong>「銀河鉄道の夜」</strong>、そして、<strong>「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「風の又三郎」</strong>などを思い浮べられたのではないでしょうか。</p>
<p>それでは、宮沢賢治の作品の特徴は何でしょう。</p>
<p>私は、彼の作品の特徴には<strong>「<span style="font-size: 14pt;" class="sc_marker red">擬人化</span>」</strong>があると思います。</p>
<p>動物はもちろん、自然や建造物でさえ擬人化しています。</p>
<p>あるときは樹木や森や山が人間と会話をし、あるときは電信柱が動き出します。</p>
<p>それまでの日本文学にはほとんど見られなかった、<strong>万物を擬人化して描き出すという特異な表現を用いた</strong>のが宮沢賢治だったのです。</p>
<div id="attachment_4319" style="width: 232px" class="wp-caption alignnone"><a href="http://livedoor.blogimg.jp/schizou/imgs/e/e/eef0f539.jpg"><img aria-describedby="caption-attachment-4319" loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/eef0f539-222x300.jpg" alt="" width="222" height="300" class="size-medium wp-image-4319" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/eef0f539-222x300.jpg 222w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/eef0f539.jpg 658w" sizes="(max-width: 222px) 100vw, 222px" /></a><p id="caption-attachment-4319" class="wp-caption-text">月夜のでんしんばしら</p></div>
<h2>小学校の自由研究会</h2>
<p>私が通っていた小学校では、<strong>宮沢賢治作品を教育にとても熱心に取り入れている学校</strong>で、小学校のすぐ近くにある「宮沢賢治記念館」に赴いたり、授業で取り扱ったりしていました。</p>
<p>小学校６年生のときには、<strong>宮沢賢治の自由研究会</strong>というものがありました。</p>
<p>これは各々宮沢賢治の作品や生涯を勉強した上で、大きな模造紙に研究内容をまとめて、みんなの前で発表するというものです。</p>
<p>何を隠そう、小学生の頃私は、勉強が大嫌いでした。</p>
<p>夏休みや冬休みの宿題は休みの最終日まで大切に取っておき、テスト勉強も前日まで手を着けない、と言った具合でした。</p>
<p>ですから、試験や宿題提出の時には毎回親や先生から叱られていました。</p>
<p>もしかしたら、今も小学生の時とあまり変わっていないのかもしれませんが。（笑）</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/464504-min-300x243.jpg" alt="" width="300" height="243" class="alignnone size-medium wp-image-4320" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/464504-min-300x243.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/464504-min-768x623.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/464504-min-1024x831.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/464504-min.jpg 1408w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>雨ニモマケズとの出会い</h2>
<p>さて、私は、この宮沢賢治の自由研究も嫌で嫌で仕方ありませんでした。</p>
<p>宮沢賢治の作品には、授業などで度々触れては来ましたが、実を言うと、作品の良さも分からず、余り興味も無く、従って感動したことも無かったのです。</p>
<p>自由研究を億劫にしながら、当然の如く期日に追い詰められていったある日、突然一つの逃げ道を発見しました！</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>「そうだ！雨ニモマケズを暗記して朗読しよう！」</strong></span>と。</p>
<p>当時全文を読んだことはありませんでしたが、当然のようにその存在は知っていました。</p>
<p>私は模造紙いっぱいに２９７文字ある雨ニモマケズを書き込み、壁に貼り付けて、堂々と朗読できるように本番まで一生懸命練習しました。</p>
<p>この詩を何回も何回も読み込み暗記し、みんなの前で発表しました。</p>
<p><span class="sc_marker blue" style="font-size: 14pt;"><strong>「私の発表は「雨ニモマケズ」を朗読したいと思います。</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker blue" style="font-size: 14pt;"><strong>雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・ソウイウモノニワタシハナリタイ。</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker blue" style="font-size: 14pt;"><strong>以上で私の発表を終わります！」</strong></span></p>
<p>みんなからの拍手をあび、気分は最高潮でした。</p>
<p>詰まるところ、ただ暗記しただけなのですが、勉強嫌いの私にしてみたら一字一句間違えずに人前で朗読出来たのですから、頑張った自分に１００点満点をあげたいくらいでした。</p>
<p>しかし、良い気分は長く続きませんでした。</p>
<p>発表の後に質問の時間があり、クラスの女の子がすっと手をあげました。</p>
<p><span class="sc_marker y" style="font-size: 14pt;"><strong>「亮道君は、このような人になりたいですか？」</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker blue" style="font-size: 14pt;"><strong>「え？どのような人？」</strong></span></p>
<p>私は、一瞬なんのことだろうと思いました。</p>
<p>恥ずかしながら、必死に暗記することに夢中で内容なんて考えずに当日を迎えました。</p>
<p>その場で考えた答えは</p>
<p><span class="sc_marker blue" style="font-size: 14pt;"><strong>「いや、なりたくありません。」</strong></span></p>
<p>クラスのみんなは大笑いです。確かに矛盾していますよね。</p>
<p>詩の内容を理解し共感したからこそ、暗記し朗読するのであって、「なりたくありません」というのはどう考えてもおかしい答えです。</p>
<p>しかし、文字通りゆとり世代の私です。</p>
<p>「玄米四合」と「味噌と少しの野菜」の食事なんて想像すら出来ませんでしたし、褒められもせず、苦にもされないなんて無視されているようで納得出来ません。</p>
<p>この我慢一徹、ただただ人に尽くし、貧しく質素で楽しみも無いような、このような生き方は真っ平ごめんご免という人物像で、絶対嫌だとの思いが湧いてきたのを覚えています。</p>
<p>「雨ニモマケズ」と初めて向かい合い私が感じたのは、<strong>「そういうものに私はなりたくない」</strong>との思いでした。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0006-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4334" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0006-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0006-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0006-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0006-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>「雨ニモマケズ」との再会</h2>
<p>月日は経ち、苫小牧駒澤大学で仏教を学び、永平寺での修行も終えたある日、実家であるお寺の掃除をしていた時のことです。</p>
<p>ふと廊下に掲げられている額を見ると、そこには「雨ニモマケズ」の詩があったのです。</p>
<p>生まれ育った家でありながら、そこに「雨ニモマケズ」の額があったことに初めて気付いたのです。</p>
<p>関心が無いと気付かないものなのですね。</p>
<p>改めてその詩を読みながら、小学校の時の自由研究会を思い出し、当時「そういうものになりたくなかった私」とは対照的に、<strong>不思議にどんどんこの詩に惹きつけられ、吸い込まれてゆくような強烈な感覚</strong>がありました。</p>
<p>宮沢賢治作品の多くは大人になったら、全然違った見え方が現れるとの話を聞いたことがあります。</p>
<p>この時の私はまさにその通りで、この詩に<span class="sc_marker red"><strong>仏教徒の理想的な生き方が表現されている</strong></span>ことを知りました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/m98554569648_3-300x300.jpg" alt="" width="300" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-4321" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/m98554569648_3-300x300.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/m98554569648_3-150x150.jpg 150w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/m98554569648_3-768x768.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/m98554569648_3-1024x1024.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/m98554569648_3.jpg 1080w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>法華経信仰</h2>
<p>実は宮沢賢治は、仏教、<span style="font-size: 14pt;"><strong>特に法華経に自らの生き方を見出し篤く信仰した人</strong></span>でした。</p>
<p>その信仰は作品の端々に見ることができます。</p>
<p>例えば、先ほど申し上げた表現方法としての擬人化ですが、<span style="font-size: 14pt;" class="sc_marker red"><strong>法華経の世界では、世の中のありとあらゆる物、森羅万象全てが仏として現れます</strong></span>。</p>
<p>そして、仏教徒の生き方を最も端的に表現したものが、この「雨ニモマケズ」の詩だったのです。</p>
<h2>常不軽菩薩への思い</h2>
<p><strong>「雨ニモマケズ」に表現された人物像のモデルとされるのが「<span style="color: #ff0000; font-size: 14pt;"><ruby>常不軽菩薩<rt>じょうふきょうぼさつ</rt></ruby></span>」</strong>です。</p>
<p>常不軽菩薩は、<strong>『<ruby>法華経<rt>ほけきょう</rt></ruby>』〈<ruby>常不軽菩薩品<rt>じょうふきょうぼさつぼん</rt></ruby>〉</strong>の中に説かれる菩薩で、<strong>お釈迦様の前世</strong>として登場します。</p>
<p>そして、自分の出会う全ての人に礼拝し、褒め称えていたところ、<strong>「彼はひたすら礼拝をし、常に軽んじない菩薩」</strong>として常不軽菩薩と呼ばれるようになります。</p>
<p>しかし、その一方で礼拝の行為が周囲の反感を買うこともありました。</p>
<p>ある時は瓦や石をぶつけられ、刀や杖で追われ、<strong>ひどい迫害にも遭いますが、常不軽菩薩はこの実践を生涯貫いた</strong>とされます。</p>
<p>ひどい迫害に遭いながらも、生涯礼拝行を続けた常不軽菩薩は、次のようにおっしゃったと法華経に説かれています。</p>
<blockquote><p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: 18pt;"><ruby>我深敬汝等<rt>がしんきょうにょとう</rt></ruby>。</span><span style="font-size: 18pt;"><ruby>不敢軽慢<rt>ふかんきょうまん</rt></ruby>。<ruby>所以者何<rt>しょいしゃが</rt></ruby>。</span></strong></span></p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="font-size: 18pt;"><ruby>汝等皆行菩薩道<rt>にょとうかいぎょうぼさつどう</rt></ruby>。<ruby>当得作仏<rt>とうとくさぶつ</rt></ruby>。</span></strong></span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #ff0000; font-size: 14pt;"><strong>『法華経』「常不軽菩薩品」</strong></span></p>
</blockquote>
<p><strong>「<span class="sc_marker red">私は深くあなたたちを敬います。</span></strong></p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>驕り高ぶり軽蔑するようなことは決して致しません。</strong></span></p>
<p><strong><span class="sc_marker red">何故ならば、あなたたちはみな菩薩の道を修行実践し、当に仏となられる方々だからです。</span>」</strong></p>
<p>宮沢賢治が、「雨ニモマケズ」の中に「欲は無く、決して<span>愼(いか)</span>らず、いつも静かに笑っている」と著し、「みんなにデクノボーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず」と書き綴ったのは、<span style="font-size: 14pt;"><strong>賢治自身が常不軽菩薩でありたいと願った切なる心の叫び</strong></span>だったのです。</p>
<p>森羅万象一切を仏として敬い軽んずることのない姿勢、それが常不軽菩薩のお姿であり、宮沢賢治が目指した生き方だったのです。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0003-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4335" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0003-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0003-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0003-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0003-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>宮沢賢治が目指した生き方</h2>
<p>この「雨ニモマケズ」の詩は、宮沢賢治自身世に発表する意志はなく、療養中に自分の手帳に書かれたもので、三十五歳の時です。</p>
<p>療養中ではあっても、<strong>人々からの相談があれば熱心にこれに応え、それは息を引き取る前日まで行われていた</strong>ようです。</p>
<p>死を直前にした人の心は純化されると言いますが、<strong>宮沢賢治は純化した心に常不軽菩薩を思い、また自分もそうでありたい</strong>と願っていたのでしょう。</p>
<p>僅か三十七歳でこの世を去った宮沢賢治でしたが、その生き方や思想は作品や彼自身が示した行動によって、現代に生き続けています。<span class="sc_marker red"><strong>仏教が目指した生き方の実践者が宮沢賢治</strong></span>だったと言えます。</p>
<div id="attachment_4336" style="width: 228px" class="wp-caption alignnone"><a href="https://buddhism-orc.ryukoku.ac.jp/old/ja/exhibition_ja/20051114-20060210_001_002_018_ja.html"><img aria-describedby="caption-attachment-4336" loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/20051114-20060210_001_002_018-218x300.jpg" alt="" width="218" height="300" class="size-medium wp-image-4336" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/20051114-20060210_001_002_018-218x300.jpg 218w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/20051114-20060210_001_002_018.jpg 480w" sizes="(max-width: 218px) 100vw, 218px" /></a><p id="caption-attachment-4336" class="wp-caption-text">出典：龍谷大学</p></div>
<h2>今思う「雨ニモマケズ」</h2>
<p>小学校の時にこの詩に出会い「そういうものに、私はなりたくない」と思いました。</p>
<p>僧侶となった今でも、「そういうものに、中々なれない私」を感じ、もどかしく感じています。</p>
<p>しかし、「そういうものに、私はなりたい」との願いを持ち続けることこそ菩薩の誓願だと思うのです。</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong>成ることを目的にするのではなく、成りたいと願い続け、反省しながらでも一歩一歩歩みを進めて行く</strong></span>日々を重ねてゆこうと思います。</p>
<p>勉強嫌いな少年が、約２０年の時の中で仏教を学び、修行をさせて頂き、今思う、「雨ニモマケズ」への思いです。</p>
<p>以上で、お話を終わります。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0011_0-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4338" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0011_0-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0011_0-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0011_0-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0011_0-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>一行写経</h2>
<p>１５分ほど法話をしたあとは、１階に降り法話で取り上げたお経の一節を写経する時間です。</p>
<p>墨は硯を使い、丁寧に擦っていきます。</p>
<p>墨のほのかな香りと、静寂な時間が会場を包み込みます。</p>
<p>墨の濃さを確認し、筆ならしをした後、いす坐禅を行い本番に挑みます。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0013-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4342" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0013-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0013-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0013-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0013-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>２４文字ある『法華経』「常不軽菩薩品」の一節を、一文字一文字意味を噛み締めながら、写経していきます。</p>
<p>最後に、みんなで記念撮影をして、今年一回目の【一行写経と法話の会】は終了しました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0015-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4343" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0015-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0015-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0015-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2020/01/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_30316371_200124_0015-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>今まで、お手本を透かせて、和紙に写経していましたが、今回は予め写経用紙に薄くお経を印字してみました！</p>
<p>参加者の方からは、</p>
<p><span style="font-size: 18pt;" class="sc_marker red"><strong>「とても書きやすい！」</strong></span></p>
<p>と、いうお声をいただきました。</p>
<p>禅活は、皆さんに少しでもわかりやすく仏教を伝え、日常の中でその教えを活かすことができるように、日々試行錯誤しています！</p>
<h2>次回予告</h2>
<p>実はこの【一行写経と法話の会】は今年度いっぱいで終了する予定です。</p>
<p>なので残念ながら、残り２回の開催となります。</p>
<p>次回は、<span style="font-size: 18pt;"><span style="color: #ff0000;"><strong><span style="text-decoration: underline;">2月19日㈬</span></strong></span><span style="font-size: 12pt;">です！</span></span></p>
<p>お申し込みはコチラ</p>
<p><span style="font-size: 14pt;"><strong><a href="https://forms.gle/XxmSFZvUXBXaof9o7">→Googleフォーム</a></strong></span><span style="font-size: 14pt;"><strong></strong></span></p>
<p><a href="https://r2houwa2.peatix.com/"><strong><span style="font-size: 14pt;">→Peatix</span></strong></a></p>
<p>法話担当は、<span style="font-size: 18pt;" class="sc_marker red"><strong>あの！西田稔光師</strong></span>による、とても有難いお話です。</p>
<p>是非、ご都合がつく方はご参加下さい！</p>
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		<title>2019年を振り返って</title>
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		<dc:creator><![CDATA[禅活-zenkatsu-]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Dec 2019 15:00:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[こまきしょくどう]]></category>
		<category><![CDATA[ほっと晩ごはん]]></category>
		<category><![CDATA[一行写経と法話の会]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[写経]]></category>
		<category><![CDATA[坐禅（座禅）]]></category>
		<category><![CDATA[東長寺]]></category>
		<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[食作法]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク もう１つ寝るとお正月。 つまり、大晦日！！ 早いもので今年も一年が終ろうとしています。 今年の１月から(にしては馴染みすぎな)久保田が加わり、WEB担当の堀田と合わせて５人での活動となった禅活-zenkatsu-。 大晦…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p><span style="color: #ff0000;"><strong>もう１つ寝るとお正月。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 18pt;">つまり、大晦日！！</span></p>
<p>早いもので今年も一年が終ろうとしています。</p>
<p>今年の<strong>１月から(にしては馴染みすぎな)久保田が加わり</strong>、<span class="sc_marker red"><strong>WEB担当の堀田と合わせて５人での活動となった禅活-zenkatsu-</strong></span>。</p>
<p>大晦日の今日は2019年を振り返りたいと思います！</p>
<h2>2019年上半期</h2>
<p>上半期は一月から四ツ谷の東長寺さんでの<a href="https://zenkatsu.site/archives/tag/%e4%b8%80%e8%a1%8c%e5%86%99%e7%b5%8c%e3%81%a8%e6%b3%95%e8%a9%b1%e3%81%ae%e4%bc%9a"><strong>「一行写経と法話の会」</strong></a>、５月からは駒沢K's studioさんでの<strong><a href="https://zenkatsu.site/archives/1560">「リラックス坐禅」</a></strong>と、２つの催しがスタートしました。</p>
<p>昨年までは<strong>食作法ワークショップのみだった</strong>私たちにとって、<strong>法衣を着て法話と読経をお勤めする場</strong>と<strong>段階を踏んで進める坐禅のクラス</strong>を持たせていただけたのはとても勉強になる、ありがたいことでした。</p>
<div id="attachment_3922" style="width: 310px" class="wp-caption alignnone"><img aria-describedby="caption-attachment-3922" loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/2019124一行写経_191208_0040-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="wp-image-3922 size-medium" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/2019124一行写経_191208_0040-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/2019124一行写経_191208_0040-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/2019124一行写経_191208_0040-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/2019124一行写経_191208_0040-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /><p id="caption-attachment-3922" class="wp-caption-text">一行写経と法話の会</p></div>
<div id="attachment_1564" style="width: 310px" class="wp-caption alignnone"><img aria-describedby="caption-attachment-1564" loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190519_0004-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="wp-image-1564 size-medium" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190519_0004-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190519_0004-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190519_0004-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24981369_190519_0004-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /><p id="caption-attachment-1564" class="wp-caption-text">リラックス坐禅</p></div>
<p>さらに４月には雑誌「<strong>からだにいいこと</strong>」さんのイベント「<strong>からだにいことフェスティバル</strong>」で登壇させていただき、この活動を外に発信する場をいただきました。</p>
<p>芸能人になったような気分になれる控室にテンションの上がる僧侶４人でした（笑）</p>
<div id="attachment_4189" style="width: 310px" class="wp-caption alignnone"><img aria-describedby="caption-attachment-4189" loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191230_0008-min-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-4189" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191230_0008-min-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191230_0008-min-768x576.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191230_0008-min-1024x768.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191230_0008-min.jpg 2048w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /><p id="caption-attachment-4189" class="wp-caption-text">登壇するぞ！のファイティングポーズ</p></div>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/DSC_0202-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-1353" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/DSC_0202-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/DSC_0202-min-768x512.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/DSC_0202-min-1024x683.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/05/DSC_0202-min.jpg 1620w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>４月には本田が<strong>曹洞宗総合研究センター</strong>から<strong>曹洞宗宗務庁</strong>という曹洞宗の中枢機関で務めるようになり、若干影を薄めました。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>久保田・西田・深澤と比べて出現率は下がりましたが、今でもちゃんとメンバーですので、ご安心を。笑</strong></span></p>
<p>さらに、５月からはこのウェブメディアが本格始動し、西田が３ヶ月間、週５回のペースで更新をはじめます。</p>
<p><strong><span style="font-size: 18pt;">月間2,000pv程度だったものが、６月を境に月間10,000pv台に突入していきます。</span></strong></p>
<p>一部のコアな読者さんから支持を受ける久保田の連載、<strong>「久保田養生記」</strong>が始まったのもこの頃でした。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/1650" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/06/図2-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="2019年を振り返って"></div><div class="title">久保田養生記①～ヘルシーへの旅立ち～</div><div class="date">2019.6.4</div><div class="substr">スポンサードリンク  「悪玉コレステロール値が異常なくらい高いですね」 「肥満です」 「肝臓の数値も軒並み悪い……」 3月下旬。東京のとある病院で、医師の放つ一言一言が、グサリ、グサリと突き刺さります。 いわく、このままでは命すら危ういとのこと。 （とうとう不摂生のツケを払うときが来たようだ……） ...</div></a></div>
<p>実はこの頃、<span class="sc_marker y"><strong>ひっそりとYoutubeのチャンネルも試運転していました。</strong></span></p>
<p><iframe loading="lazy" width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/Ymk7tuTvT0w" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe></p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">来年から本格始動する予定です！<span style="font-size: 18pt;" class="sc_marker red">予定！</span></span></strong></p>
<p>さらに、11月の曹洞宗総合研究センターの学術大会での発表の話や、東長寺さんの住職就任式でもある晋山結制での解説のお話をいただくなど、本当にあっという間に過ぎ去った半年でした。</p>
<h2>下半期</h2>
<p>慌ただしく過ぎた上半期に比べ、ややスロースタート気味だった下半期。</p>
<p>そんな中、<strong><span style="font-size: 18pt;"><span class="sc_marker red">なんと８月に深澤に第一子が誕生</span>！</span></strong></p>
<p>ちょっと前まで<strong><span style="color: #339966;">煙とアルコールを主食としていた人</span></strong>が、今では家でちゃんとご飯を食べるようになり、ワークショップ後にそそくさと帰る後ろ姿を見て、<strong>メンバー一同、胸を撫で下ろしています。（少し焦りもあります。）</strong></p>
<p>さて、８月のお盆が過ぎると、いよいよ忙しくなってきます。</p>
<p>９月から東京八重洲にあるワーキングスペース「<strong>DIAGONAL RUN TOKYO</strong>」さんで月１回の「朝活坐禅体験」がスタート。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/2476" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/Honeyview_170406_0005-min-768x512_Fotor-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="2019年を振り返って"></div><div class="title">【坐禅(座禅)会レポ】第1回朝活坐禅体験</div><div class="date">2019.8.1</div><div class="substr">スポンサードリンク 禅活-zenkatsu-では様々なワークショップ・イベントを開催していますが、この度新たな試みとして朝活を始めることになりました！ イベント名はシンプルに【朝活坐禅体験】！ 今回は会場や内容を含め、その様子をご紹介いたします。 時間・会場 今回は7月29日、週の始め月曜日の朝8:...</div></a></div>
<p>今までとは異なる場所でのこの坐禅会は新たな出会いがたくさんありました。</p>
<p>そして10月は東長寺さんの晋山結制で、<span style="font-size: 14pt;"><strong>法要のモニター解説</strong></span>というかなり斬新なお役をいただき、４人でお務めさせていただきました。</p>
<p>チームでやるって、なんかいいものですね(照）</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0006-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4169" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0006-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0006-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0006-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0006-min.jpg 1566w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /> <img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0029-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-4170" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0029-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0029-min-768x512.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0029-min-1024x683.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28318782_191229_0029-min.jpg 2048w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>そして<strong>11月はハロウィンのゴミ拾い作務</strong>。</p>
<p>昨年より回数を一回増やして開催し、参加者の皆様のご協力を得ながら無事終了しました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28502330_191101_0056-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3533" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28502330_191101_0056-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28502330_191101_0056-min-768x511.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28502330_191101_0056-min-1024x682.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_28502330_191101_0056-min.jpg 1568w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /> <img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/IMG_3193-min-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-3541" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/IMG_3193-min-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/IMG_3193-min-768x576.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/IMG_3193-min-1024x768.jpg 1024w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>そして！11月には<strong>曹洞宗総合研究センター学術大会での記念シンポジウム<span style="color: #ff0000; font-size: 14pt;">「食〜禅に学ぶ〜」</span></strong>にて、禅活が行ってきた食への取組みを発表させていただきました。</p>
<p><strong>これまでの活動を一つの形にしたこの発表は、たくさんの方にご来場いただいた他、仏教・宗教関係の新聞各社に取り上げていただきました。</strong></p>
<h2>2019年を振り返って</h2>
<p>今年一年は、<span class="sc_marker red"><strong>しつこいようですが本当にあっという間でした。</strong></span></p>
<p>「大人になると子どもの頃よりも時間が短く感じるのは、<strong><span class="sc_marker blue">初めての体験や新発見という新しい刺激が減るから</span>」</strong>という話を聞いたことがあります。</p>
<p>しかし、どうもそれはあてにならないようです。</p>
<p>今年は<span class="sc_marker red"><strong>新しい活動の中で新しい出会いがあり、その出会いから次の活動が生まれる</strong></span>という、そんなありがたいご縁を紡いで紡いでいくうちに、気づけばカレンダーが最後の一枚になっていました。</p>
<p>たとえ新たな刺激が多く、充実した時を過ごしても、結局過ぎてしまえば早く感じるものなのかもしれません。</p>
<p>それならば、そんな時間をどう生きるか。</p>
<p><strong>人生というのは、一つ行動を起こしてみると全く新しいイベントが発生し、気づけば思いもよらぬステージに立っているものです。</strong></p>
<p><strong>昨年は全く知らなかった方々とご縁を結び</strong>、<strong>想像もしていなかった場でお話をさせていただいた2019年</strong>は、禅活にとって間違いなく一歩を踏み出した年でした。</p>
<p>来年からは、僧侶・一般に関係なく、<span class="sc_marker red"><strong>一緒に活動できるメンバーもお迎えできればいいなと思っています。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;" class="sc_marker red"><strong>まずは今年一年、ワークショップ・イベントの参加者や関係者様・読者の皆様、ご縁をいただいた全ての皆様、本当にお世話になりました。</strong></span></p>
<p>今後も、まだヨチヨチ歩きの若手僧侶の団体<strong>「禅活-zenkatsu-」</strong>を、何卒よろしくお願い申し上げます！！</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>どうぞ良いお年をお迎えください。</strong></span></p>
<p>禅活-zenkatsu-</p>
<p>久保田智照・深澤亮道・本田真大・西田稔光　合掌</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>Twitter⇨<strong><a href="https://twitter.com/zenkatsu_zen">@zenkatsu_zen</a></strong></p>
<p>Instagram⇨<strong>@zenkatsu_zen</strong></p>
<p>Youtube⇨<strong><a href="https://www.youtube.com/channel/UC_mjxkkS5AWqq-JYJttlmtw?view_as=subscriber">禅活</a></strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191229_0085_Fotor-min-1024x683.jpg" alt="" width="1024" height="683" class="alignnone wp-image-4171 size-large" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191229_0085_Fotor-min-1024x683.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191229_0085_Fotor-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191229_0085_Fotor-min-768x512.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/ca2721fecd0bb81aa6530ca394d602660_24553341_191229_0085_Fotor-min.jpg 1620w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></p>
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		<title>【12/4法話】祖母が教えてくれた生き方〜成道会にちなんで〜</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/3782</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/3782#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 05 Dec 2019 15:00:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[法話]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[一行写経と法話の会]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[修行]]></category>
		<category><![CDATA[坐禅（座禅）]]></category>
		<category><![CDATA[東長寺]]></category>
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					<description><![CDATA[禅活-zenkatsu-で毎月開催している【一行写経と法話の会】も今回で丸一年。 今月は12月4日に開催し、わたくし西田が、成道会じょうどうえにちなんだ法話をさせていただきました。 お釈迦様の苦悩と成道会 今月12月8日は、お釈迦様がお覚さ…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>禅活-zenkatsu-で毎月開催している【一行写経と法話の会】も今回で丸一年。</p>
<p>今月は12月4日に開催し、わたくし西田が、<ruby>成道会<rt>じょうどうえ</rt></ruby>にちなんだ法話をさせていただきました。</p>
<h2>お釈迦様の苦悩と成道会</h2>
<p>今月<span style="color: #ff0000;"><strong>12月8日</strong></span>は、お釈迦様がお<ruby>覚<rt>さと</rt></ruby>りを開いた、道を成した日である「<span class="sc_marker y"><strong>成道会</strong></span>」です。</p>
<p><span class="sc_marker y">シャカ族の王子として生まれた</span><strong>ゴータマ・シッダールタ</strong>は、衣食住何不自由ない、経典によれば<span class="sc_marker y"><strong>季節ごとに違う宮殿に住むほどの</strong></span>贅沢な暮らしをしていたそうです。</p>
<p>しかしある日、シッダールタはそんな自分にもいずれ老いや病、そして死という<strong>「<ruby>老<rt>ろう</rt></ruby>・<ruby>病<rt>びょう</rt></ruby>・死」が訪れることを知って恐れおののきます。</strong></p>
<p>そしてその<span class="sc_marker y"><strong>老・病・死への恐怖を克服すべく、お城を飛び出して出家する</strong></span>のです。</p>
<p>出家をした後は当時の優れた指導者を訪ねたり、苦行を含む様々な修行方法を行った末、最後は坐禅をします。</p>
<p>そして<strong>十二月八日</strong>の夜中、<strong><ruby>菩提樹<rt>ぼだいじゅ</rt></ruby>という木の下で坐禅をしている時</strong>、夜空に現れた金星・<span class="sc_marker y"><strong>明けの<ruby>明星<rt>みょうじょう</rt></ruby></strong></span>を見て、老・病・死への恐怖から解放された、いわゆる「覚り」を開かれました。</p>
<p>そしてこの時、お釈迦様は次のように仰ったという言い伝えがあります。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong><span style="font-size: 18pt;">明星出現時、我与大地有情同時成道</span></strong></span></p>
<p>（明星出現時、我と大地有情と同時成道）『正法眼蔵』「発菩提心」</p>
<p><strong>大地というのは山や川なども含めた生き物以外の全て</strong>を指し、<strong>有情というのは生き物全て</strong>のことです。</p>
<p>つまり<strong>この世界のありとあらゆるものが、私と同時に成道した、覚りを開いた</strong>という意味になります。</p>
<p>もちろんこれだけを聞いてもどういうことかはわからないかもしれません。</p>
<p>しかし、ここには老・病・死と向き合っていく大切な生き方が示されています<strong>。</strong></p>
<p>そこで本日は成道会にちなんで、<span class="sc_marker red"><strong>老・病・死と向き合う生き方について</strong></span>お話しさせていただきます。</p>
<h2>死ぬのが怖い</h2>
<p>それをお話しする前に、ここで皆様に一つお尋ねいたします。</p>
<p><span class="sc_marker blue" style="font-size: 14pt;"><strong>皆様は「死ぬのが怖い」と思うことはお有りでしょうか？</strong></span></p>
<p>ちなみに<strong>私は死ぬのがとても怖いです</strong>。</p>
<p>あれは幼稚園年中くらいの頃でしょうか。</p>
<p>何がきっかけだったか定かではないのですが、<strong>私はある夜突然、お父さんもお母さんもお友達も、そして自分もいつか死んでしまうということが怖くてたまらなくなって</strong>、母に泣きついたことがあります。</p>
<p>その時は母に「明日の楽しいことを想像してごらん」となだめられましたが、それ以降、私はふとした時に猛烈な死への恐怖を感じるようになりました。</p>
<p>勉強をしている時や一生懸命にプラモデルを作っている時、部活動で柔道の練習をしている時など、何かを頑張っている時に限って不意に「<span class="sc_marker blue"><strong>結局死んじゃうなら頑張っても意味がないんじゃないか</strong></span>」という思いも頭をよぎるようになりました。</p>
<p>さらに大人になっていく中で、この地球や太陽ですらいつかは無くなってしまうということを知ります。</p>
<p>そうなるといよいよ、<span class="sc_marker blue"><strong>いつやってくるかわからない、しかし確実にやってくる死というものが、怖くて怖くて仕方がない存在になっていきました。</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0593-min-300x200.jpeg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3878" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0593-min-300x200.jpeg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0593-min-768x512.jpeg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0593-min-1024x683.jpeg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0593-min.jpeg 1620w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>祖母の旅立ち</h2>
<p>しかし、そんな私の近くに、<strong>死を恐れることなく旅立っていった人</strong>がいます。</p>
<p>それは<span class="sc_marker red"><strong>私の祖母</strong></span>です。</p>
<p>私の父方の、私が生まれた時からずっと一緒に暮らしてきた祖母は、<span class="sc_marker y"><strong>孫である私を誰よりも甘やかしてくれた人</strong></span>でした。</p>
<p>中学生の頃、特にお小遣いの制度がなかった私に、<strong>両親に内緒で「<span class="sc_marker y">困った時に使いなさい</span>」と言って、いつも薬の引き出しの中に千円をいれておいてくれました</strong>。(これはいまだに両親が知らないはず）</p>
<p>そして同じく中学生の頃、今でもよく覚えている出来事があります。</p>
<p>それは友達の影響で釣りに興味をもち、なんとか安い道具のセットを買って間もない時でした。</p>
<p>釣りの道具というのは値段によって性能も異なり、私が買ったセットに付いていたリールという糸を巻き取る部品は、<strong>すぐに糸が絡まってしまう性能の悪いもの</strong>でした。</p>
<p>その日、友達と家の近所の川で釣りをしていると、<strong>いつも以上にひどい絡まり方をして自分の手に負えなくなり</strong>、なんとなく、裁縫ができる祖母に糸を解けないか聞いてみました。</p>
<p>すると、祖母はどれどれと言って解き初め、やっておくから遊んでらっしゃいと言ってくれて、私は友達のもとに戻りました。</p>
<p>そして、本当にひどい話ではありますが、<strong>釣り糸を半ば諦めていた私は祖母に頼んだことも忘れ</strong>、二、三時間して家に戻ってくると、<span class="sc_marker red"><strong>祖母はまだ糸をほどき続けてくれていた</strong></span>のです。</p>
<p>地べたに段ボールを敷いて座るその傍らには解かれて爪の跡がついた釣り糸が重なり、一生懸命解いてくれていたのがわかります。</p>
<p>私は自分で頼んでおきながら、<strong>なぜ祖母が私の釣り道具のためにそこまで一生懸命になってくれるのかが不思議でなりませんでした。</strong></p>
<p>私が幼い頃からそんなことが何度もありました。</p>
<p>私が探し物をしていて、何気なく祖母に尋ねると、祖母は当人の私以上に一生懸命に手伝ってくれるのです。</p>
<p>祖母はいつも、<span class="sc_marker y"><strong>私が喜ぶことを私以上に喜び</strong></span>、<span class="sc_marker blue"><strong>辛い時には涙まで流して悲しんでくれました</strong></span>。</p>
<p>そんな祖母は、元々身体が弱く、本人は「<span class="sc_marker blue"><strong>あなたが高校生になるまでは生きていられないわねえ</strong></span>」と言ったりもしていましたが、気づけば<span class="sc_marker red"><strong>今年で九十三歳</strong></span>を迎えていました。</p>
<p>しかし、その身体は確実に弱っていて、今年は入退院を繰り返していました。</p>
<p>そして、どこかに大きな疾患があったわけではありませんが、少しずつできることが減っていき、十月からは病院でいわゆる「寝たきり」の生活になりました。</p>
<p>私は現在東京に住んでいますが、ほとんど毎週末に実家の栃木に帰っているので、その度になるべく祖母に会いに行っていましたが、その生きる力が弱まっていくのを肌で感じていました。</p>
<p>ある日ご飯を食べられなくなり、声も出にくくなった祖母のお見舞いにいくと、<strong>私に気づいてニッコリと笑い、こちらのかける言葉にウン、ウンと頷きます</strong>。</p>
<p>そして、私が帰る間際、祖母は声を絞り出すと<span style="font-size: 18pt;" class="sc_marker red"><strong>「幸せいっぱい、胸いっぱい」</strong></span>と言うのでした。</p>
<p>それは私が聞いた祖母の最後の言葉となりました。</p>
<p>それから一週間後に会った時には、もう意識はあっても目が開かない、声も出ない状態でした。</p>
<p>苦しそうに呼吸だけを繰り返す祖母を見て、思わず「<span class="sc_marker blue">もう頑張らなくていいよ</span>」という言葉が私の喉元まで上がってきました。</p>
<p>そして、その<strong>2日後の11月12日に、祖母は九十三歳でその生涯を閉じたのでした。</strong></p>
<p>私は祖母の<span class="sc_marker red"><strong>生き方、そして「幸せいっぱい、胸いっぱい」と言ってこの世を去っていったその姿に、死の恐怖との向き合い方があるような気がしました。</strong></span></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0189_Fotor-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3877" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0189_Fotor-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0189_Fotor-min-768x512.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0189_Fotor-min-1024x683.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0189_Fotor-min.jpg 1620w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>お釈迦様の修行と「私」という存在</h2>
<p>お釈迦様が出家をし、まだ老・病・死の恐怖から開放されるまで、いわゆる覚りを開かれるまでの修行の日々というのは、<strong>自分の内側に目を向けるもの</strong>でした。</p>
<p>「死にたくない、生きたい」と思わなくなるにはどうしたらいいのか、どうすれば死が怖くなくなるのかと、<strong><span class="sc_marker blue">瞑想</span><span class="sc_marker blue">や苦行によって自分の内に内に目を向けていた時には、その恐怖から開放されることはありませんでした。</span></strong></p>
<p>しかし、あらゆる修行を行って最後にたどり着いた坐禅で、お釈迦様は外側に目を向けられたのです。</p>
<p><strong>呼吸をし、手と脚を組み、両膝を大地につけて坐る…。</strong></p>
<p>それまでお釈迦様は「私の命」が失われることを恐れていましたが、その「私」という存在は親から生まれ、食べ物によって身体を保ち、今こうして大地によって支えられているということに気付きます。</p>
<p><strong>散々、「私の」と言ってきたこの命は、周囲との縁によって支えられている</strong>のであって、<span class="sc_marker red"><strong>何一つ私のものではなかったことが、明らかになったのです。</strong></span></p>
<p>お釈迦様はそのように、<strong>ご自身の命というものが、実は動物や草木、大地や川と共に生きている、生かされているものであり、同時に、決して周りから切り離されたものではないということ、</strong></p>
<p>そして<span class="sc_marker red"><strong>一つの大きな命の循環の中に生まれ、やがてまた還っていく存在であること</strong></span>をお覚りになった時、老・病・死の恐怖が消え去っていったのです。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0571_Fotor-min-1-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3879" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0571_Fotor-min-1-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0571_Fotor-min-1-768x512.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0571_Fotor-min-1-1024x683.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/DSC_0571_Fotor-min-1.jpg 1620w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>大きないのちを生きる</h2>
<p>はじめにお話しした「<strong>我与大地有情同時成道</strong>」とは、平易に言えば</p>
<p><span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>「私と大地有情は何一つ隔たりのない一つのいのちを生きていた」</strong></span></p>
<p>というお釈迦様のお覚りを表した言葉です。</p>
<p>私たち人間は、<strong>心の中にある身勝手さや欲求に振り回されると、周りが見えなくなってしまいます。</strong></p>
<p>そうして<span class="sc_marker blue"><strong>周りが見えなくなって手に入れたものは、同時に失う恐怖を生むもの</strong></span>です。</p>
<p>それを<span class="sc_marker blue"><strong>人生の最期の瞬間まで重ねれば重ねるほど、失うものが多ければ多いほど、その恐怖は大きくなっていくでしょう</strong></span>。</p>
<p>しかし、自分は<span class="sc_marker red"><strong>大地も有情も全部ひっくるめた、一つの大きないのちを生きていると考えて、他の幸せを自らの幸せと思うような生き方をすることで、最期の瞬間には失うものがなく、安心して旅立っていけるのです。</strong></span></p>
<p>そう考えると私の祖母は、自分のことはさておき、<strong>孫である私をはじめ、他の幸せに喜びを感じ、他の不幸には涙を流して哀しみながら生きる人生を全うした人</strong>でした。</p>
<p>もしかすると祖母は、九十三年という人生の中で、無意識のうちに自分という存在が周囲との関わりの中にあることわかっていたのかもしれません。</p>
<p>そして最後に「幸せいっぱい、胸いっぱい」と言い残してこの世を去ったその姿は、今はまだ死ぬことが怖い私にとって、道しるべともいえるものです。</p>
<p>お釈迦様がお覚りを開き、死の恐怖から解放された十二月八日の成道会を目前に控え、<strong>私は祖母のように「幸せいっぱい、胸いっぱい」と言って最期を迎えられるような生き方をしていきたい</strong>と、心に誓いました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/IMG_3293-min-225x300.jpeg" alt="" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-3880" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/IMG_3293-min-225x300.jpeg 225w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/12/IMG_3293-min-768x1024.jpeg 768w" sizes="(max-width: 225px) 100vw, 225px" /></p>
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			</item>
		<item>
		<title>インドすげえ！ってなる経典に出てくるハンパない数</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/3685</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/3685#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2019 15:00:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お経]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[曹洞宗]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク 突然ですが、読者の皆様は数の単位をどこまでご存知でしょうか？ 小学生の頃、何かの拍子に始まる数字合戦。 「おれ1億〜！」 「おれ1兆〜！」 「じゃあおれ1000億兆〜！」 こんなやりとりは、算数の授業で教わる「無量大数」…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p>突然ですが、読者の皆様は<strong>数の単位</strong>をどこまでご存知でしょうか？</p>
<p>小学生の頃、何かの拍子に始まる数字合戦。</p>
<p>「おれ1億〜！」</p>
<p>「おれ1兆〜！」</p>
<p>「じゃあおれ1000億兆〜！」</p>
<p>こんなやりとりは、算数の授業で教わる「<span class="sc_marker red"><strong>無量大数</strong></span>」によって終止符が打たれるその時まで続いたものです。</p>
<p>さて、そんな日本の数の数え方にはインドの哲学が大きく影響していることはご存知でしょうか？</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>「０」という数字はインドで生まれた</strong></span>というのは有名な話で、そこには仏教の教えも関係しています。</p>
<p>今回は<span class="sc_marker y"><strong>仏教の経典に登場する、想像もつかない数の世界</strong></span>を少しご紹介します。</p>
<h2>数字編：<ruby>恒河沙<rt>ごうがしゃ</rt></ruby></h2>
<p>まずは有名なところからいきましょう。</p>
<p>こちらの『<ruby>妙法蓮華経<rt>みょうほうれんげきょう</rt></ruby>』「<ruby>提婆達多品<rt>だいばだったぼん</rt></ruby>」の一節をご覧ください。</p>
<p><span style="font-size: 18pt;"><strong>廣爲衆生説於妙法。<span style="color: #ff0000;">恒河沙</span>衆生得阿羅漢果。</strong></span></p>
<p>ざっくり言えば、「広く衆生のために教えを説くと、恒河沙の衆生が阿羅漢という悟りの位に至った」という意味のこの一節。</p>
<p>ここにでてくる恒河沙というのは、<strong>10の52乗</strong>、<span style="color: #ff0000;"><strong>1に0が52個付く数</strong></span>のことです。</p>
<p>恒河といのは<strong>インドを流れるガンジス川</strong>のことで、沙というのは<strong>砂</strong>。</p>
<p>つまり、この恒河沙というのは<span style="color: #ff0000;"><strong>長さ2525km、流域面積1,080,000 km²川を誇るガンジス川の砂</strong></span>ほどの数なのです。</p>
<p>おそらく私たちは一生使うことのない数ですが、経典には頻繁に登場するあたり、やっぱりすげえと思わされます。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/a09f68abfa612914e7f617f580d3d99e_s-min-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-3698" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/a09f68abfa612914e7f617f580d3d99e_s-min-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/a09f68abfa612914e7f617f580d3d99e_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>時間編①：<ruby>劫<rt>こう</rt></ruby></h2>
<p>続いては時間の長さ編です。</p>
<p>こちらの「<ruby><strong>開経偈</strong><rt>かいきょうげ</rt></ruby>」という、今でも説法の前などにお唱えする短いお経の一節。</p>
<p><strong><span style="font-size: 18pt;">無上甚深微妙法　百千万<span style="color: #ff0000;">劫</span>難遭遇</span></strong></p>
<p>「この上なく深くありがたい教えには、百千万劫あっても出遭うことは難しい」という意味なのですが、この百千万劫という言葉。</p>
<p>そもそも百千万というのが謎ですが、それはさておき、「劫」という時間の長さを表した例えがあります。</p>
<p>あるところに寿命が尽きない天女がいます。</p>
<p>その天女が百年に一回地上に降りてきて、<span style="color: #0000ff;"><strong>一辺６kmほどある立方体の岩</strong></span>を<span style="color: #ff0000;"><strong>羽衣でひと撫で</strong></span>します。</p>
<p><strong><span style="font-size: 14pt;">この摩擦によって岩がなくなっても、まだ１劫には至らない</span></strong>。</p>
<p>もうツッコミどころが満載ですが、古代のインドの数学者たちが計算したものでは、<span class="sc_marker red"><strong>１劫はおよそ43億年</strong></span>だそうです。</p>
<p>こんな常軌を逸した時間の概念は、経典などでは「<strong>果てしない長さ</strong>」を表す単位として用いられるようになりました。</p>
<p>上に出てくる百千万劫というのは、仏教に出会えた奇跡、その嬉しさを、果てしない時間を使って表現していたわけです。</p>
<p>そして、日本でもこの劫は「非常に長い時間」を意味する言葉として定着しており、面倒で仕方がないことを「<span style="color: #ff0000;"><strong>億劫</strong></span>」と言います。</p>
<p>つまり、これは43億年の一億倍の時間やる気になれないということなんですね。</p>
<p>「<strong>リモコン取りの行くのが億劫</strong>」って、どれだけ面倒なんでしょう（笑)</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/7d0812abe9656a57ac23a94ecac76b24_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3695" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/7d0812abe9656a57ac23a94ecac76b24_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/7d0812abe9656a57ac23a94ecac76b24_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>時間編②：<ruby>刹那<rt>せつな</rt></ruby></h2>
<p>先ほどの劫が長い時間を表したのに対し、経典には非常に短い時間の単位も登場します。</p>
<p><strong><span style="font-size: 18pt;">いはんや<span style="color: #ff0000;">刹那刹那</span>に生滅してさらにとどまらず</span></strong></p>
<p>これは経典とは少し異なりますが、曹洞宗の道元禅師が著した『<ruby>正法眼蔵<rt>しょうぼうげんぞう</rt></ruby>』「<ruby>出家功徳<rt>しゅっけくどく</rt></ruby>」の巻の一節。</p>
<p>刹那というのは、<strong>「一瞬」という意味で日本語としても定着</strong>していますが、実はインドではその長さをきちんと整理しています。</p>
<p><strong>指をパチンと鳴らすこの時間の長さ</strong>を「<span class="sc_marker y"><strong>１</strong></span><ruby><span class="sc_marker y"><strong>弾指</strong></span><rt>だんし</rt></ruby>」といい、この<strong>パチンと鳴る間に65刹那</strong>あるそうです。</p>
<p>つまり、<span style="font-size: 14pt;"><strong>指がパチンとなる65分の1の時間が刹那</strong></span>ということになります。</p>
<p>ちなみに、一瞬の「<strong>瞬</strong>」もインドでできた時間の長さの単位だそうで、20瞬で1弾指だとか…。</p>
<p>もうなんのこっちゃ（笑)</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/aa005f99a3d06ecc59d0ce2e046faaa5_s-min-300x201.jpg" alt="" width="300" height="201" class="alignnone size-medium wp-image-3697" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/aa005f99a3d06ecc59d0ce2e046faaa5_s-min-300x201.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/aa005f99a3d06ecc59d0ce2e046faaa5_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>仏教と時間の関係</h2>
<p>いかがでしたか？</p>
<p>はるか昔から、数や時間をこんなに細かく考えてきたインドの哲学には、本当に驚きの連続ですよね。</p>
<p>これ以外にも世界の捉え方などもすげえ…ってなることがたくさんあります。</p>
<p>実はこれには仏教の考え方が大きく関係しています。</p>
<p>仏教では、<strong>0から1を創り出した創造神をおかず、全てのものものは縁によって起こる</strong>としてきました。</p>
<p>宇宙の誕生から私たち一人一人に至るまで、あらゆる存在は<span style="color: #ff0000;">原因(因)</span>と<span style="color: #0000ff;">条件(縁)</span>の組み合わせに生まれると考えた仏教。</p>
<p>ということは、<span class="sc_marker y"><strong>原因と条件が組み合わさるその前の、何もない状態があるはず</strong></span>、という考えから生まれたのが<strong>「０」という数です。</strong></p>
<p><strong>インドの言葉ではこれをシューニャといい、漢字では空と訳される</strong><strong>概念</strong>がこうして考え出されたのです。</p>
<p>そして、<span class="sc_marker red"><strong>０から１が生まれるならば、そこから先には限りがなく、時間の長短も同様に果てしなく存在する</strong></span>と、古人は考えたのでしょう。</p>
<p>経典を読んでいるとピンと来ない時もありますが、古代のインドの人々は今でいう「ヤバさ」「半端なさ」を数で表現しようとしたのかもしれませんね！！</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/e8e4d2fb2cf6071352ee749fc272e687_s-min-300x212.jpg" alt="" width="300" height="212" class="alignnone size-medium wp-image-3696" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/e8e4d2fb2cf6071352ee749fc272e687_s-min-300x212.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/11/e8e4d2fb2cf6071352ee749fc272e687_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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