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	<title>お葬式 - 禅活-zenkatsu-</title>
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	<description>禅を活かして、ちょっといい一日を</description>
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	<title>お葬式 - 禅活-zenkatsu-</title>
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		<title>お葬式での合掌に心を重ねる</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/9029</link>
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		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Apr 2023 15:00:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お葬式]]></category>
		<category><![CDATA[供養]]></category>
		<category><![CDATA[合掌]]></category>
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					<description><![CDATA[「亡くなった人のことは悪く言うもんじゃない」 日本で古くから使われる言葉です。 これ以上何もできない、何も言えない人を悪く言っても、 生きている私たちにとっては損になります。 しかし、供養の過程においては、 そうとも言い切れないのではないか…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「亡くなった人のことは悪く言うもんじゃない」</p>
<p>日本で古くから使われる言葉です。</p>
<p>これ以上何もできない、何も言えない人を悪く言っても、<br />
生きている私たちにとっては損になります。</p>
<p>しかし、供養の過程においては、<br />
そうとも言い切れないのではないかと私は考えています。</p>
<p>今回は故人へのネガティブな感情を、<br />
合掌という行為から考えてみようとおもいます。</p>
<h2>恨み憎しみは我慢すべき？</h2>
<p>ご供養に携わっていると、<br />
必ずしも故人が褒め称えられる人物であるとは限りません。</p>
<p>周囲に様々な悪影響や迷惑をかけて、<br />
恨まれながら旅立っていったり、亡くなってホッとされている方もいます。</p>
<p>そして、ご遺族の多くはその恨みや怒りという感情を<br />
「抱いてはいけないもの」と思って蓋をしてしまうことが多い気がします。</p>
<p>そうして感情に蓋をしてしまうと、お通夜・葬儀はもちろん、<br />
その先の四十九日や一周忌を迎えても、消化不良の思いだけが燻り続けて、<br />
故人を仏様だなんて思えないまま時間が過ぎていってしまいます。</p>
<p>よく、お葬式で気を張って思い切り悲しめなかった方が、<br />
時間が経って精神的に参ってしまうというケースがあります。</p>
<p>そんな話があるように、亡くなってからお葬式、そして四十九日の間は、<br />
悲しみも感謝も恨みも怒りも、あらゆる感情を故人にさらけ出して<br />
故人と向き合った方が良いと私は考えています。</p>
<h2>合掌に心を重ねて</h2>
<p>以前、故人に戒授ける時に、そこに居合わせる遺族との関係の精算が伴う<br />
という話を書いたことがあります。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/8950" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/03/ブログサムネしんこう-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="お葬式での合掌に心を重ねる"></div><div class="title">故人に授戒する意味を考える</div><div class="date">2023.3.10</div><div class="substr">昨今、コロナ禍も相まってお葬式は縮小傾向にあり、 この先通夜・葬儀・告別式がそれぞれの意味を忘れられてしまうのでは？ という心配を抱くことがあります。 その中でお通夜はお釈迦様の般涅槃の再現、告別式は民間のお別れ式という 説明も理解もしやすい意味があるためおのずと必要性を説くことも そこまで難しくは...</div></a></div>
<p>これは、故人との間にある想いは綺麗なもの<br />
ばかりではないということが前提となったお話です。</p>
<p>さらにそこで大きな意味を持っているのが、<br />
一緒に合掌をするということです。</p>
<p>合掌には、右手を浄らかな理想の自分、左手を汚い面も含めた現実の自分、<br />
その両方を合わせて相手の前に差し出す<br />
というインドの考え方が根底にあります。</p>
<p>お葬式や供養で合掌をする時、まさに人は<br />
故人に対して良くも悪くも嘘偽りない自分をさらけ出して向き合っているのではないでしょうか。</p>
<p>「故人のために」手を合わせるのではなく、<br />
故人と自分の間に手を合わせている。</p>
<p>行為に心が宿ると考える曹洞宗ならばなおのこと、<br />
そんな捉え方ができるのではないかと、最近よく思うのです。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>葬儀の捉え方は様々な角度があるわけですが、<br />
今回は合掌という行いを心と重ねて考えてみました。</p>
<p>良くも悪くも全てを前に差し出すという行いであるなら<br />
当然そこにはネガティブな感情もあっていいのではないでしょうか。</p>
<p>そして、そんな感情を思い切りぶつけた上で故人との関係を考えてみると、<br />
実は恨んでいた故人の行いや人柄の中にふと学びがあったりするものです。</p>
<p>故人の良いところは人生の道標に、悪いところはガードレールにして、<br />
様々な形での受け止め直し方ができていけば、<br />
お葬式の意義も再認識されていくような気がします。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/04/25998416_s-min-300x200.jpeg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-9031" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/04/25998416_s-min-300x200.jpeg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/04/25998416_s-min.jpeg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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		<item>
		<title>故人に授戒する意味を考える</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/8950</link>
					<comments>https://zenkatsu.site/archives/8950#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Mar 2023 15:00:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[お葬式]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[供養]]></category>
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					<description><![CDATA[昨今、コロナ禍も相まってお葬式は縮小傾向にあり、 この先通夜・葬儀・告別式がそれぞれの意味を忘れられてしまうのでは？ という心配を抱くことがあります。 その中でお通夜はお釈迦様の般涅槃の再現、告別式は民間のお別れ式という 説明も理解もしやす…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>昨今、コロナ禍も相まってお葬式は縮小傾向にあり、<br />
この先通夜・葬儀・告別式がそれぞれの意味を忘れられてしまうのでは？<br />
という心配を抱くことがあります。</p>
<p>その中でお通夜はお釈迦様の般涅槃の再現、告別式は民間のお別れ式という<br />
説明も理解もしやすい意味があるためおのずと必要性を説くことも<br />
そこまで難しくはありません。</p>
<p>ところが葬儀、特に故人に戒を授けるということの意味については<br />
私自身がなかなか納得のいく説明をしきれずにいました。</p>
<p>しかし実際に供養に関わるようになって見えてきた、<br />
故人への授戒の意味について、今回はお話しします。</p>
<h2>授戒とは？</h2>
<p>そもそも授戒とは何かということについて簡単にお話ししておきましょう。</p>
<p>授戒とは字の通り「戒を授ける」という仏教の儀式です。</p>
<p>戒というのは、一般的には「戒律」という言葉で認識され、<br />
信仰の上での規則やルールと理解されていることが多いと思います。</p>
<p>実は世間でイメージされる上記のような意味は「戒律」の「律」の部分を指します。</p>
<p>律とは、円滑な修行生活の妨げになることを禁じたもので、<br />
修行僧の間で問題が起こるとその都度お釈迦様が定めていきました。</p>
<p>持ち物や食べ物のこと、性欲に関することなど、<br />
一つ一つの事例に沿って定められたので、<br />
その内容は多岐に渡ります。</p>
<p>こうしたルールや規範的な意味をもつ「律」に対して、<br />
「戒」は「誓い」というは方が意味合いは近いかもしれません。</p>
<p>ですので、戒を授かるというのは師匠によって「規則を与えられるというより」は<br />
師匠の前で「誓いを立てる」こととイメージしていただいてもいいでしょう。</p>
<p>仏教徒として生きる、あるいは出家をするスタートが、この授戒なのです。</p>
<h2>故人が出家する？</h2>
<p>そこで問題になるのが、「故人に戒を授ける」ということの意味です。</p>
<p>亡くなった方は戒を授けられ、その証である「戒名」が授与されます。</p>
<p>生きている間に授戒会で戒を授かる分には、<br />
今日から仏教徒として生きていくんだ！と気合の一つも入れることができます。</p>
<p>しかし、亡くなった方に戒を授けるとなると、<br />
結局は葬儀というのは目に見えない世界の不思議な話になってしまうのでしょうか？</p>
<p>たびたびお話ししているように、私はこの見えない世界の話がどうも得意ではありません。</p>
<p>「見えてはいないけど、こうなっているんですよ」という話は、<br />
これから先はなかなか支持されないでしょう。</p>
<p>では、この故人への授戒を、だれもが納得できる形で受け止める方法ないのでしょうか？</p>
<h2>懺悔の重要性</h2>
<p>そこで重要になってくるのが懺悔です。</p>
<p>懺悔は戒を受ける前に必ず行う、過去の過ちに対する反省です。</p>
<p>自分の過去の至らぬ部分は、貪り、怒り、それによって周りが見えなくなり、<br />
身と言葉と心に行為として現れてしまった。<br />
その全てを今悔い改めます。</p>
<p>という意味の「懺悔文」を葬儀では授戒の前にお唱えします。</p>
<p>これは一つは故人に変わってのお唱えです。</p>
<p>しかし、これは遺族も同時に懺悔しているのではないか、と最近思うのです。</p>
<p>人は生きていれば大小様々に短所があったりぶつかったりするものです。</p>
<p>故人との関係だって、極端に言えばせいせいしたという方や、<br />
恨みを抱いている方もいるかもしれません。</p>
<p>そんな中で、故人と遺された人が同時に懺悔をし、<br />
詫びるべきところや改めるべきところを悔いるという段階を経ることは<br />
生前の関係の精算として非常に重要なことになります。</p>
<p>生前の良くなかった点にもしっかりと目を向けることで、<br />
故人の長所はお手本に、短所は反面教師とする受け止め方が見えてきます。</p>
<h2>死んだら何もできない</h2>
<p>そうして懺悔を経て授戒をするわけですが、<br />
ここで重要になってくるのが、<br />
人は死んだら善行も悪行も重ねられない、ということです。</p>
<p>懺悔して過ちを悔い改め、戒を受けた故人は、<br />
今後はもう悪行を行を重ねることのできない存在になります。</p>
<p>一方で、遺された私たちの人生は続きます。</p>
<p>その中で長い時間をかけてでも、故人を恨みや憎しみの対象ではなく、<br />
学びの対象とすることが、少なくとも曹洞宗の葬儀なのだと思います。</p>
<p>簡単なことではありませんが、<br />
やはり仏教は生きている人間がどう歩んでいくか、<br />
というところに集約されるのです。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>「そんなの死んだ人の勝ち逃げじゃん」と思われても仕方ないと思います。</p>
<p>しかし、「故人が生きている間にできなかった生き方をしてみせよう」<br />
という気概で臨む供養の姿勢もあるのではないか、と最近特に思うのです。</p>
<p>人は誰もが未完成のまま人生を終えていきます。</p>
<p>至らなかった点を懺悔と戒が補い、<br />
遺された人はそこから自らを省みる。</p>
<p>生きている人間を主役として、葬儀をみた時、<br />
故人に戒を授けることにはこのような意味もあるのかもしれないな、<br />
と最近考えるようになり、書いてみました。</p>
<p>戒という儀式が遺族と故人の関係を精算し、<br />
関係を結び直す役目を果たしていくと考えれば、<br />
目に見えない話ではなくなるのかもしれません。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/03/25086136_s-min-300x208.jpeg" alt="" width="300" height="208" class="alignnone size-medium wp-image-8952" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/03/25086136_s-min-300x208.jpeg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2023/03/25086136_s-min.jpeg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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		<title>冠婚葬祭の新解釈〜供養の意味を考える〜</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/3190</link>
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		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2019 15:00:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お葬式]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
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					<description><![CDATA[スポンサードリンク 現代では「結婚式」と「お葬式」を合わせた名称として使われる「冠婚葬祭」という言葉。 前回は「冠婚」と「葬祭」ではなく「冠」「婚」「葬」「祭」それぞれに意味があることをお話ししました。 しかし、これを知っただけではただのマ…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>スポンサードリンク</p>
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<p>現代では<strong>「結婚式」</strong>と<strong>「お葬式」</strong>を合わせた名称として使われる<strong>「冠婚葬祭」</strong>という言葉。</p>
<p>前回は<span class="sc_marker blue"><strong>「冠婚」と「葬祭」ではなく</strong></span><span class="sc_marker red"><strong>「冠」「婚」「葬」「祭」それぞれに意味がある</strong></span>ことをお話ししました。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/3174" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/DSC_0400_Fotor-min-1-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="冠婚葬祭の新解釈〜供養の意味を考える〜"></div><div class="title">冠婚葬祭の新解釈 〜そもそも冠婚葬祭とは？〜</div><div class="date">2019.10.4</div><div class="substr">スポンサードリンク 今年28歳になる私西田。 この１〜２年で一気に増えたのが友人の結婚式。 すると私の立場上、人前でお話しをする機会に恵まれているためか、乾杯の音頭や友人代表の挨拶を務めさせていただくこともあったりします。 そこで気をつけるのが、結婚式のマナー。 使うべき言葉・使うべきでない言葉、良...</div></a></div>
<p>しかし、<strong>これを知っただけではただのマメ知識。</strong></p>
<p>今回はそこか<strong>ら一歩踏み込んで、「冠婚葬祭」を人生とリンクさせ、そこにある供養の心を掘り下げてみましょう。</strong></p>
<h2>人の節目に込められた想い</h2>
<h3>節目いろいろ</h3>
<p>日本に残る風習には、人の一生を細かく分けた「節目」がたくさんあります。</p>
<p><strong>七五三、成人式、還暦、米寿、白寿…。</strong></p>
<p>もっと細かくすれば<span class="sc_marker red"><strong>お宮参り</strong></span>や<span class="sc_marker red"><strong>お食い初め</strong></span>などなど、実に多くの節目に沿った儀礼が存在しています。</p>
<p>少し話が逸れますが、人生の区分で言えば<strong>「青春」</strong>もそうですね。</p>
<p>儒教では東西南北をそれぞれ司る四神と季節とリンクさせて、人の一生を次のように区切りました。</p>
<p>東を守る<span style="font-weight: bold; color: #0000ff;">青</span><b>龍と</b><span style="font-weight: bold; color: #0000ff;">春</span><b>で</b><span style="color: #0000ff;"><b>青春</b></span><span>、これは</span><strong>春の若葉が芽吹くように、生まれてから青年期にあたる20代前半までの時期</strong>。</p>
<p>続いて南の<strong><span style="color: #ff6600;">朱</span>雀と<span style="color: #ff6600;">夏</span>で<span style="color: #ff6600;">朱夏</span></strong>、これは<strong>夏に力強く葉が茂るような、気力や体力が最も盛んな壮年期で、だいたい50代前半までの時期。</strong></p>
<p>そして西の<strong><span style="color: #808080;">白</span>虎と<span style="color: #808080;">秋</span>で<span style="color: #808080;">白秋</span></strong>、ここまで生<strong>命力に満ちていた葉は赤く染まり、落ち着きを見せ始める60代前半の時期</strong>のこと。</p>
<p><strong>最後に<span style="color: #993300;">玄</span>武と<span style="color: #993300;">冬</span>で<span style="color: #993300;">玄冬</span>、冬にかけて葉が散っていき、その葉が来年の養分となるように後世に想いを託す時期を迎え、人は人生を終えていきます</strong>。</p>
<p>昔の中国で生まれた区分なので、平均寿命が伸びた現代ではこの通りではありませんが、古くからこうした人生の在り様が語られていたんですね。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2523-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3267" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2523-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2523-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2523-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2523-min.jpg 1616w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h3>節目が果たした意味</h3>
<p>さて、中国から伝わったものも含め、昔の人々はなぜ人間の一生にはたくさんの節目をつけたのでしょうか。</p>
<p>答えはいたってシンプルです。</p>
<p>それは、<strong><span class="sc_marker red" style="font-size: 18pt;">生きていくことが容易ではなかったから。</span></strong></p>
<p>食糧に恵まれず、医療も発達していなかった時代、<strong>特に子どもが生き延びるということはとても大変なこと</strong>でした。</p>
<p>仮に食糧が足りていても、戦や疫病が訪れれば、<strong>まず失われるのは幼い命</strong>です。</p>
<p>小さな命というのは、現代よりもずっと脆くて弱いものでした。</p>
<p><strong>では、当時の人々はそんな<span class="sc_marker red">子ども命の弱さや理不尽さをどのように受け止めたのでしょうか。</span></strong></p>
<p>その答えのヒントは<strong>お宮参りや七五三という風習にあります</strong>。</p>
<p>3歳、５歳、７歳という年齢に神社に挨拶に行き、感謝をするその理由。</p>
<p>それは、子どもの命というのは神様からの一時的な<span style="font-size: 14pt;" class="sc_marker red"><strong>預かり物</strong></span>と考えたからです。</p>
<p>７歳まで育ったら、<strong>その子が自分の元にいることを神様が認めてくれたということへの挨拶をする</strong>のというのが、７歳のお宮参りです。</p>
<p>そうすることで、逆に幼くして子を亡くなってしまったら<strong>「神様が認めてくれなかった」</strong>と、なんとか自分を納得させる知恵が、七五三という習慣の背景にはあったのです。</p>
<p>お七夜(7日)、お宮参り(1ヶ月)、お食い初め(100日)、七五三(3歳・5歳・7歳)、元服(15歳)など、ここまで細かく設けられた節目と風習には<span class="sc_marker red"><strong>「なんとかここまで育ってくれた」という現代以上の歓びがあったのです</strong></span>。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/7fcaefaccd9660eab4863405428729c1_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3268" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/7fcaefaccd9660eab4863405428729c1_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/7fcaefaccd9660eab4863405428729c1_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>冠婚葬祭が人生に与える意味</h2>
<p>それでは、冠婚葬祭は人生においてどのような意味があるのでしょうか。</p>
<p>冠婚葬祭は基本的には人生の節目となる儀礼のことですが、<strong>私の師匠はよく人生の４つの時期として考え、時計に例えて表します。</strong></p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/スライド1-min-2-300x225.jpg" alt="" width="443" height="332" class="alignnone wp-image-3253 " srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/スライド1-min-2-300x225.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/スライド1-min-2.jpg 720w" sizes="(max-width: 443px) 100vw, 443px" /></p>
<p>表にしてみるとこんな感じ。</p>
<p>このように表すと、<span style="font-size: 14pt;"><strong><span class="sc_marker y">右半分の冠と婚が生きている期間</span></strong></span>、<span class="sc_marker blue" style="font-size: 14pt;"><strong>左半分の葬と祭が死んでからの期間</strong></span>となります。</p>
<p>人は<strong>生まれてから成人する頃までの冠の時期は親に育てられ</strong>、<strong>婚の時期には子供や後進を育てる側になります。</strong></p>
<p>そして死と共に迎えるのが葬と祭なのですが、これは冠と婚に比べてイメージがしにくいはずなので、詳しくみていきましょう。</p>
<h3>生と死の儀礼</h3>
<p>まずはじめに、さきほどの冠・婚・葬・祭、それぞれの時期に行われる儀礼や行事を整理してみました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/スライド1-2.jpg" alt="" width="688" height="516" class="alignnone wp-image-3252 " srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/スライド1-2.jpg 720w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/スライド1-2-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 688px) 100vw, 688px" /></p>
<p>特に注目していただきたいのが、<strong>冠と葬</strong>。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>生まれてから一人前になるまでが冠</strong></span>、<span class="sc_marker blue"><strong>亡くなってから33回忌までが葬</strong></span>という期間。</p>
<p><span style="text-decoration: underline;">そこでそれぞれ行われる儀礼や行事が、非常に似ている、というかほとんど一致しているんです。</span></p>
<p>人が生まれ、<span class="sc_marker red"><strong>一週間経つとお七夜</strong></span>があります。</p>
<p>一方、亡くなって<span class="sc_marker blue"><strong>一週間では初七日</strong></span>が行われます。</p>
<p><strong><span class="sc_marker red">生まれて100日でお食い初め</span></strong>。</p>
<p><span class="sc_marker blue"><strong>亡くなって100日は百箇日。</strong></span></p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>七五三がでお宮参りに行くのは3、5、7歳</strong></span>。</p>
<p><span class="sc_marker blue"><strong>法事も元々は5回忌も存在していたそうなので、3、５、７年</strong></span>。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>生きている人が32歳になる頃には働き盛りで責任を背負い</strong></span>、<strong><span class="sc_marker blue">仏様も三十三回忌で忌明け、子孫を導く仏様として祀られる存在になっていきます</span>。</strong></p>
<p>では、<strong>誕生と死という正反対の出来事に対して、ほとんど同じ日数や年数で儀礼を行うのはなぜでしょうか？</strong></p>
<p>そこには現代に通ずる供養の心があったのです。</p>
<h2>葬の時期と供養の在り方</h2>
<p>この理由を考えると、亡くなってから32年間、葬の時期に行われる法事や供養の意味が見えてきます。</p>
<p>お葬式で行われるのは、<strong>個人を出家させて仏様にする儀式</strong>です。</p>
<p>では<span class="sc_marker red"><strong>仏様とは何かというと、私たちが悩み迷った時に導いてくれる存在</strong></span>のこと。</p>
<p>しかし人が亡くなると、残された人は哀しみや喪失感の中で、<strong>「その人がいないこと」</strong>に苦しめられ、<strong>お葬式という儀礼を行ったからといってすぐに「あの人は仏様になった」とは思えないでしょう。</strong></p>
<p>意外かもしれませんが、これは<strong>人の誕生ともすごく似ていること</strong>なんです。</p>
<p>最近私の周りではお子さんが生まれて父親になった人が何人かいますが、みんな口を揃えて「<strong>生まれてすぐには実感が湧かなかった」</strong>と言っていました。</p>
<p>実は感情のベクトルが逆なだけで、人が誕生と死は、「<span class="sc_marker red"><strong>新たな人間関係を結ぶ」という点では共通している</strong></span>のです。</p>
<h3>仏様を育てる</h3>
<p>そして人は、<span class="sc_marker red"><strong>生まれるとこの世界に新たなの一員として周囲に育てられながら人生を歩み始める</strong></span>ように、<span class="sc_marker blue"><strong>亡くなるとまた新たに仏様として死後の人生を歩み始めます</strong></span>。</p>
<p>ところが、人が生まれても亡くなっても、<strong>その直後というのはその新たな関係性への実感がなく、心における存在としては非常に不安定なものです。</strong></p>
<p>そこで先人たちは、<strong>冠と葬の時期にはそ<span class="sc_marker red">の成長と関係の構築を一つ一つ確認するように、細かな儀礼を行った</span>のではないでしょうか<span class="sc_marker red">。</span></strong></p>
<p><strong>生まれた人が<span class="sc_marker y">七五三を経て周囲に馴染んでいく</span>ように</strong>、<strong>亡くなった人は<span class="sc_marker y">三・（五）・七回忌を経て残された人の仏様として馴染んでいきます</span>。</strong></p>
<p>ちなみに、七回忌は休広忌ともいい、休広とは安定を意味することからも、７年という節目には大きな意味があったことがわかります。</p>
<p>一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌…と供養を重ねていき、三十三回忌の忌明けまでは32年間。</p>
<p>人生の様々な出来事のなかで<strong>「あの人だったらどうしたかなあ、何て言うかなあ」と故人思いを馳せるうちに<span class="sc_marker red">時間をかけて人生を導いてくれる存在となっていく</span>はずです。</strong></p>
<p>こうして冠の時期と対比させてみると、法事をはじめとする供養とは、<span class="sc_marker red" style="font-size: 14pt;"><strong>仏様を育てる儀礼</strong></span><span style="font-size: 14pt;"><span style="font-size: 12pt;">なのではないか、そう思えてくるのです。</span></span></p>
<p><strong>僧侶が葬儀や法事でお経を唱えていたら故人が仏様になる、というわけではありません。</strong></p>
<p>どれだけ僧侶が一生懸命葬儀や法事を勤めるよりも、<span class="sc_marker red"><strong>残された一人一人の心の中で育てられることでようやく本当に仏様となっていくのです。</strong></span></p>
<p>言ってしまえば僧侶はその「仏様を育てる」お手伝いをしている立場と言ってもいいかもしれません。</p>
<p>そして、そうした供養の期間を経て、立派に育った仏様が、私たちのご先祖様です。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>ご先祖様は顔を見たことすらなくても、子孫を導き、守ってくれる存在としてお墓やお仏壇に祀られます。</strong></span></p>
<p>こうして葬という期間を経て立派な仏様になって入っていくのが<span class="sc_marker red"><strong>「祭」</strong></span>という時期なのです。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/e4315ede34173b3cf378602bdd8d0d38_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3269" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/e4315ede34173b3cf378602bdd8d0d38_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/e4315ede34173b3cf378602bdd8d0d38_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>冠婚葬祭を生きる</h2>
<p>ここまで読んでいただければ、冠婚葬祭がただの儀礼以上の意味を持っていることはおわかりいただけたはずです。</p>
<p>人は<span class="sc_marker red"><strong>肉体を得て冠・婚という時期を生き</strong></span>、<span class="sc_marker blue"><strong>肉体を失ったら人の心を住処として葬・祭という時期を生きていきます。</strong></span></p>
<p>現代で美化される<strong>「私の人生は私が決める」</strong>という言葉はとても力強くて良い言葉に聞こえますが、<span class="sc_marker red"><strong>私たちの人生は常に他者との関わりの中で進み、死後はその他者によって生かされていくのです。</strong></span></p>
<p>供養という在り方に様々な考え方や価値観がある現代社会だからこそ、冠婚葬祭という言葉の原点に立ち返り、その根底にある心を汲み取ってみてはいかがでしょうか。</p>
<p>難しく色々考えていたことが、スッと氷解してしまうかもしれません。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2547-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-3293" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2547-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2547-min-768x513.jpg 768w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2547-min-1024x684.jpg 1024w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/10/IMG_2547-min.jpg 1616w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
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<p>&nbsp;</p>
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		<title>なぜお葬式をするのか〜遺族としての経験から考える〜vol.1</title>
		<link>https://zenkatsu.site/archives/2061</link>
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		<dc:creator><![CDATA[西田稔光]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 15 Jul 2019 15:00:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[コラム]]></category>
		<category><![CDATA[お葬式]]></category>
		<category><![CDATA[仏教の行事]]></category>
		<category><![CDATA[曹洞宗]]></category>
		<category><![CDATA[連載]]></category>
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					<description><![CDATA[近年注目を集め、今も話題の絶えない「終活」。 禅活-zenkatsu-は坐禅や精進料理を中心とした活動を続けていますが、メンバー全員が週末には葬儀や法事に携わっています。 葬儀や法事と言っても現在は形態が多様化し、遺族や故人の様々なニーズに…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>近年注目を集め、今も話題の絶えない<strong>「終活」</strong>。</p>
<p>禅活-zenkatsu-は坐禅や精進料理を中心とした活動を続けていますが、メンバー全員が週末には葬儀や法事に携わっています。</p>
<p>葬儀や法事と言っても現在は形態が多様化し、<strong>遺族や故人の様々なニーズに応えられるようなものが数多くあります</strong>。</p>
<p>一方では地域によって<strong><a href="https://zenkatsu.site/archives/1740">戒名の問題</a></strong>があったりと、葬儀などの儀礼は現代社会の中でいわばメリットデメリットのある存在となっているのです。</p>
<p>そんな中でTwitterの質問箱に、シンプルかつ深いご質問をいただきました。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/スクリーンショット-2019-07-14-21.29.29-min-300x168.png" alt="" width="300" height="168" class="alignnone size-medium wp-image-2198" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/スクリーンショット-2019-07-14-21.29.29-min-300x168.png 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/スクリーンショット-2019-07-14-21.29.29-min.png 579w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<p>なぜお葬式をするのか…。</p>
<p><strong>「伝統だから」「そういうものだから」</strong>では済まさず、何事にも意義や価値が求められる現代に生きるからには、僧侶側はそれぞれ自分の中に一つの答えを持っておくべきだと思います。</p>
<p>そこで今回、私はあえて<span class="sc_marker red"><strong>僧侶としてではなく、一人の遺族としての経験</strong></span>から「お葬式をする理由」を考えてみたいと思います。</p>
<p>まだ何もわからない頃に経験したお葬式は、私にとってどんな意味があったのでしょうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2>祖父の葬儀と家族の姿</h2>
<p>これは6年前、私がまだ大学生で、僧侶として歩き出す前のお話です。</p>
<p>以前、6月の命日にちなんで、祖父についての記事を書きました。</p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/1874" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/06/IMG_7870_Fotor-min-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="なぜお葬式をするのか〜遺族としての経験から考える〜vol.1"></div><div class="title">祖父の命日に思うこと</div><div class="date">2019.6.17</div><div class="substr">スポンサードリンク  6/17は私の祖父の命日。 そして今年2019年は７回忌に当たる年でした。 私が大学４年生の時に亡くなった祖父との思い出、そして別れを振り返ります。 じいちゃんとの思い出 幼少期 私の祖父は元々お寺の生まれではなく、多くの大人に騙されたり、戦争に翻弄されて様々な苦しみを背負い、...</div></a></div>
<p>頑固で真面目で情に厚く、僧侶でもあり小学校の校長まで勤め上げた祖父は、我が家の法の番人でした。</p>
<p>働きものでジッとしていられない性格の祖父が体調を崩したのは、私が大学３年生の頃、私の父である師匠が永平寺で指導役の任期を終えて帰ってきた直後のことでした。</p>
<p>その後の様子は以前の記事で書いた通りで、<strong>一年とわずかで体調は下降線を下り、祖父は亡くなりました。</strong></p>
<p>私が生まれてから高校を卒業をするまで生活を共にした祖父は、<span class="sc_marker red"><strong>両親以外ではもっとも同じ時を過ごした肉親であり、ここまで近しい人を亡くしたのは初めてのことでした。</strong></span></p>
<h3>納棺とお経</h3>
<p>母からの連絡を受けて、東京から実家に戻ると、祖父は驚くほど穏やかな顔で眠っていました。</p>
<p>体調を崩してからは見ることのなかった祖父の穏やかな顔に、<strong>私の中にはまだ現実として受け止めきれない気持ち</strong>と、<span class="sc_marker red"><strong>「よかったね、お疲れ様」という気持ち</strong></span>が入り混じっていました。</p>
<p>そして祖父を送リ出す中で、私には忘れられない瞬間があります。</p>
<p>それは親族だけで集まって納棺をした時のことです。</p>
<p><span class="sc_marker red"><strong>祖父の遺体と共に棺に入れる遺品の一つに、付箋がたくさん貼られた本がありました。</strong></span></p>
<p>それを見た途端に、いつも机に向かって勉強していた祖父の姿が思い出されたのです。</p>
<p>そして身内で出家をした人全員でお経を唱え始めると、そこから数珠つなぎのように思い出が蘇り、涙が止まらなくなりました。</p>
<p>私はそれまで、<strong>人の死というものが現実として実感することができず、お葬式に行っても涙を流したことがありませんでした</strong>。</p>
<p>しかし、<span class="sc_marker red"><strong>祖父を送り出す一つ一つの儀式の中で、生まれた時から愛情を注いでくれた人との別れを実感したのです。</strong></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/f89c6e0c7cb388585862167f22afc9e5_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-2200" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/f89c6e0c7cb388585862167f22afc9e5_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/f89c6e0c7cb388585862167f22afc9e5_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<h2>テクノロジーの中に残ってきたもの</h2>
<p>近年、お葬式はなるべくコンパクトに行うという傾向が強まってきて、私の地元でも省ける儀式は省くというケースが増えてきています。</p>
<p>確かに、<strong>テクノロジーの進歩した現代にあっては、お葬式は手間や費用がかかりすぎる部分があるのかもしれません。</strong></p>
<p>しかし、祖父を亡くした時、<span class="sc_marker red"><strong>枕経や納棺といった一つ一つの儀式が、私を祖父の死という現実に向き合わせてくれたのだと思います。</strong></span></p>
<p><strong>今まであった体温がなくなり、肉体がなくなっていく過程は、人間の理解を超えた「死」というものを肌で感じさせる為の道しるべなのかもしれません</strong>。</p>
<p>突然であろうと徐々にであろうと、人が死と向き合うのは容易なことではありません。</p>
<p>ただ、一見何をやっているかわからない作法でも、<span class="sc_marker red"><strong>「丁寧に見送る」という過程を踏んでいくことが、現実として死と向き合うことに繋がっていくのです。</strong></span></p>
<p>そして、枕経と納棺を終えると、次に通夜と葬儀・告別式を迎えるのです。</p>
<p><img loading="lazy" src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/76b6799c8f020f308cb7eb5ba2e9490a_s-min-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-2201" srcset="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/76b6799c8f020f308cb7eb5ba2e9490a_s-min-300x200.jpg 300w, https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/76b6799c8f020f308cb7eb5ba2e9490a_s-min.jpg 640w" sizes="(max-width: 300px) 100vw, 300px" /></p>
<div class="sc_getpost"><a class="clearfix" href="https://zenkatsu.site/archives/2210" ><div class="sc_getpost_thumb post-box-thumbnail__wrap"><img src="https://zenkatsu.site/wp-content/uploads/2019/07/IMG_0356_Fotor-min-1-150x150.jpg" width="150" height="150" alt="なぜお葬式をするのか〜遺族としての経験から考える〜vol.1"></div><div class="title">なぜお葬式をするのか〜遺族としての経験から考える〜vol.2</div><div class="date">2019.7.17</div><div class="substr">「なぜお葬式をするのか」。 僧侶である私が、あえて遺族としての経験からその理由を考えるこちらのコラム。 前回は祖父のお葬式の前の枕経と納棺の中で私に起こった心境の変化について書きました。 今回は私自身が葬儀の中で経験した「別れの形」を振り返ります。 僧侶のお葬式 現在は、一般の方は斎場でお葬式をする...</div></a></div>
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