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6/17は私の祖父の命日。
そして今年2019年は7回忌に当たる年でした。
私が大学4年生の時に亡くなった祖父との思い出、そして別れを振り返ります。
Contents
じいちゃんとの思い出
幼少期
私の祖父は元々お寺の生まれではなく、多くの大人に騙されたり、戦争に翻弄されて様々な苦しみを背負い、僧侶という道を選びました。
また僧侶であると同時に小学校教諭として校長まで務めあげました。
そんな祖父の人柄を表すなら「カタブツ」の一言が一番適していると言えます。
私が小学生の頃は、「笑う犬の冒険」や「バカ殿」、「ワンナイ」など、お笑い番組は「バカになる!」という理由で観ることが許されませんでした。
ただ、私は孫の中でも一番年下で、祖父が本当に恐かった頃を知りません。
それでも何か、「この人の前ではふざけられない」という子どもの直感が働くそんな厳しさと真面目さを持った人でした。
高校〜大学
常日頃から私を大いに甘やかし、ただただ優しい祖母に比べ、祖父との間にはそこまで会話が多くはありませんでした。
しかし、高校生の頃、私はひょんなことから祖父のバリカン係を仰せつかることになりました。
バリカン係とはいっても、頭に生えた綿毛のような1cmにも満たない短い髪の毛をアタッチメントをつけないバリカンでブイン!とやるだけの簡単な仕事です。
髪の毛の片付けもほとんどなく、時間もかからないバリカン係は一回1000円という破格の報酬付きで祖父が亡くなる直前まで私に一任されました。
そしてその時間にだけ、それまで何を話すでもなかった祖父が、自分の過去の話をしてくれるようになりました。
私が通っていた高校が祖父が昔憧れた学校だったこと。
お寺の生活に憧れて出家をしたこと
大学に入ると、私は東京に下宿していた為、バリカン係の回数は減ってしまいましたが、それでも祖父は私を待ってくれていました。
その頃は私が仏教を学んでいることをうらやましがったり、共通の話題ができて喜んだりしてくれました。
そして祖父が心臓を患い、入院している時、どんなに髪が伸びても「とし(私)にやってもらうんだ」と待っていて、私はバリカンを持って病院に行きました。
髪が飛ばないようにエリマキをして、バリカンで髪を刈ります。
その時の様子を母が写真に撮っていて、後から見てみると、こんな素人がただ髪を刈っているだけなのに、なんとも幸せそうにニコーッとしているのです。
病気の関係で呼吸が苦しくてずっと顔をしかめていた祖父が浮かべていたあの表情は今でも瞼の裏に焼き付いています。
別れ
何度かの入退院の後、祖父の容体はいよいよ集中治療室に入らなければならないところまできました。
それを聞いた私は病院に行くと、言われたフロアに祖父の顔が見当たりません。
一人ずつ覗いていくわけにもいかないので、たくさんの管が伸び、横一列に並んだベッドの名前を通りながら横目に確認すると、祖父の名前を見つけました。
そこにいたのは、私が気づかないほどにすっかり痩せこけ、力の無い表情で呼吸をする祖父でした。
私はなんと声をかけて良いのかわからず、立ち尽くしてしまいました。
調子なんか聞かなくても悪いのが分かり、辛いのだって一目見ればわかります。
ひょっとしたら死ぬことなんかないんじゃないかと思うほど元気だったその人が、今目の前で弱り果て、確実に「その時」が近づいているのがわかりました。
言葉を失って横に立ち尽くす私の気配に祖父が気づき、重たそうに瞼を開けます。
そして私だと分かると、ベッドの掛け布団の脇から手が出てきて、握手を求められました。
90年近く、時には畑仕事の道具を持ち、時にはたくさんの子どもたちの頭をなで、時にはお檀家さんを支え、そして孫に厳しくも温かい愛情を注いでくれたシワシワの手は、私の手を力強く握りました。
今でもあの時何か言うべきだったのか、自問することがあります。
「お寺は安心しておれにまかせてね」
「しっかり修行して立派なお坊さんになるからね」
祖父に言いたい言葉が今ならたくさん出てきます。
しかしそれ以上に、私はこの時祖父の手から多くのものをもらい過ぎてしまって、飲み込むのに精一杯だったのかもしれません。
私は自分の最後に、あの握手ができるだろうか。
それはこれからの生き方にかかっているのだと思います。
別れから受け取るもの
祖父が息を引き取った時、私は東京にいました。
母から知らせを受け、すぐに実家に戻って久しぶりに家で祖父と会うと、その顔は驚くほど穏やかでした。
雨男だった祖父はお通夜の日にしっかりと大雨を降らせて、この世を去って行きました。
仏教では、人の死はその人が残す最後の説法だと考えます。
その人が自分の胸に何を残してくれたのか、その人の生き様から何を学び、どう生きるのか、それがその説法の課題です。
私は祖父との別れが、僧侶としての自分の出発点になっています。
修行に行く姿も、人前で法話をする姿も見せられませんでしたが、祖父が喜ぶような僧侶になりたいと今も思い続けています。
不器用で頑固で厳しい愛情を注いでくれたじいちゃんに、合掌。
2019年6月17日