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皆さんは坐禅と聞くとどんなことを想像しますか?
スティーブ・ジョブズが生活に取り入れたことや、マインドフルネスとの類似性などから、海外を中心に禅ブームが起こり、日本でも企業や学校など、様々な場で坐禅会が開催されるようになりました。
その一方で、坐禅に対しては「厳しさ」や「精神統一」といった、敷居を高くしてしまうイメージが根強くあるのが現状です.
しかしそうした一般的なイメージに比べ、本来の坐禅はもっと自由なものです。
確かに、慣れないうちは脚が痺れたり痛かったりと、大変な思いをすることもあります。
しかし、その大変さを耐える我慢することが坐禅ではありません。
さらにはさとりを開くとか、無になるとか、どこかのゴールや目標を目指すものとも異なります。
坐禅ですることは身を調え、呼吸を調えることだけです。
大切なのは整えるのではなく調えること。
一定の決まった形に矯正するのではなく、その時の自分の身体に適した姿勢と呼吸に調えていくことこそ「調」という字の意味するところです。
それでは心はどうすれば良いのか、ということになってくるかと思いますが、曹洞宗では「身心一如」といい、心は身体を調えることでおのずと調ってくるのです。
落ち着かない心は心でどうにかしようとしてもイタチごっこになってしまいます。
だからこそ、まずは身と息を調えることで、心がそこに付いてこられるようにしよう、というのが曹洞宗の坐禅です。
この、身を調え、呼吸を調えることで心が調うことを「調身・調息・調心」といいます。
常に何かしらの目標に向かって走り続けなければならない現代社会。
その中で私たちは他人との比べ合いの中でもがき、悩み、なんとか自分を保って先に進もうとしなければなりません。
すると当然、どこかで頑張ることに疲れたり、いろいろなものを背負いきれなくなってしまうこともあるはずです。
坐禅は、そんな社会生活の中で背負ったものを一旦下ろして、自分を調えるのです。
余計なものを背負う前の身体と呼吸に立ち返ってみる。
忙しい方ほど、一度坐ってみませんか?
禅活では、心の荷物をそっと下ろせる坐禅をお伝えします。
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