法話「母からもらった老心」by原山佑成(2023/6/21禅活しょくどうにて)

毎月開催している精進料理&食作法体験ワークショップ「禅活しょくどう」では、
現在月替わりでメンバーの一人が法話を担当しています。

今回は原山佑成ゆうせいさんがお話しした法話です。

Contents

法話「母からもらった老心」

前回から『典座教訓』の中に示されている三つの心「三心」
についてのお話をさせていただいていますが、
今回はその二つめの心、「老心」についてのお話を致します。

『典座教訓』は永平寺を開かれた道元禅師が中国に渡ってご修行された際の経験をもとに、
修行道場の食事を司る「典座」という役職について著された書物です。

ただ、前回西田さんがお話したように、典座の心得を通して
修行道場の「作務」全体について説かれているものでもあります。

中でも三心は、役職に当たった人が持つべき心構えのことです。

本日お話しする「老心」は、

前回西田さんがお話しした「喜心」に続いて、二つ目の心です。

「老心」は老婆心とも言い換えられますが、親が子を想うように、
自分よりも相手を優先して考える切実な想いのことをいいます。

道元禅師は、このような慈しみの心を起こした人こそが、
本当に老心を理解することができるのだと説かれました。

私は、現在結婚もしておらず、子供もいないので、
親が子供を一心に想うような心を抱いたことはありません。

しかし、抱いたことはなくても「老心」を感じたことがあります。

学生時代の葛藤

当時大学四年生だった私は、卒業後の進路に悩んでいました。

大学生の頃の私は、音楽の専門学校に通いながら、
駒澤大学の軽音サークルに所属していました。

ぼんやりと音楽で生計を立てたいと思っていましたが、
それは容易なことではないということもわかっていました。

そのため、音楽活動に対しての情熱は徐々に薄れていき、
いわゆる「音楽で食っていく」道は諦め、就職就職活動を始めました。

皆さんの方が私よりもずっとよくご存知かと思いますが、就職活動は簡単ではありませんでした。

まず、自分の長所と短所明確にし、
どんな職業に向いているのかを知るために、適性検査を受けます。

その後、検査の結果をもとに、自分に合った企業や自分の関心のある企業で行われている採用試験に臨みます。

適性検査を受け、自分の短所を知ったことも多少の動揺はしましたが、
それ以上に企業からの不採用の通知が送られて来るたびに、
自分の至らなさを実感する毎日でした。

そんな経験をしていたのは私だけではありません。

大学の友人達も、何度も採用試験を受けては、企業から内定を貰えずにいました。

サークル活動で行っていたバンドの練習のために集まっていても、
話に上がるのはいつも就職活動のこと。

内定を貰えない事に焦りを感じている、このまま内定を貰えなかったらどうすれば良いか分からないなど、
それぞれが就職活動で様々な悩みを抱えていました。

そんな仲間達の話を聞きながら、実は私は
「もし内定を貰えなかったとしても、卒業後に修行に行ってお坊さんになってしまえば大丈夫だろう」
と心の何処かで思っていました。

しかし、私はそんなふうに思ってしまう自分が許せませんでした。

お坊さんになりたくないと思い、自分なりの道を模索してきましたが、
就職活動が上手くいかない現実を前にすると、
都合よくお坊さんという道を逃げ道のようにすがろうとしていることに気付いてしまったからです。

これは八つ当たり以外の何物でもないのですが、
私はそう考えてしまう自分が嫌になると同時に、お坊さんという選択肢が与えられていること、
さらに言えばお寺に生まれたことまで憎むようになっていました。

そんなある日、特に仲の良かった友達の一人からこんな言葉をかけられました。

「ゆうせいは、何のために就活をしているの?
どうせ就活が上手くいかなくてもお坊さんになれば良いのだから、俺たちの苦労は分からないよね」

私はこの時、怒りとも悲しみとも違う複雑な感情になったことを覚えています。

その友達にとって自分は一緒に就職活動を行なっている仲間ではなかったのだ、
という悲しみと、実際に心のどこかで就職活動はやめて、
修行に行く決心をしなくてはならないと心のどこかで思っていたからです。

私はこれきっかけに就職活動をやめ、お坊さんとして生きる人生を決意しました。

それから少し経ち、大学四年生の夏休みになりました。

福井県の大本山永平寺では、毎年八月に九頭竜川という川に灯籠を流す
「永平寺町大灯籠流し」というお祭りの中で施食会という法要をお勤めします。

私が来年から永平寺で修行をするということや、
当時兄が永平寺で修行していたということもあり、
私は母と母方の親戚と一緒に永平寺の参拝を兼ねて、そのお祭りに行きました。

私はそれまでにも何度か永平寺をお参りしたことはあったのですが、
いざ自分がこの場所で修行をすると考えると、憂鬱な気持ちになってしまいました。

更に、施食会のお勤めに参加する永平寺の修行僧と自分を重ねて見てしまい、
一年後には自分もあの人たちと同じことをしているのかと思うと、
憂鬱な気持ちになっていったのです。

永平寺の参拝と施食会を見終えて宿に帰ったあと、
私は膨れ上がった感情を母にぶつけてしまいました。

「自分はなりたくてお坊さんになるわけではない、
生まれてからずっと十字架を背負って生きている気持ちだった」
と伝えると母は何も言うことなく黙って私の話を聞き、最後は涙を流していました。

私は自分の言っていることが見当違いで、ただの八つ当たりであることもわかっていました。

なぜなら母は昔から、お寺の次男として生まれた私に対して
「あんたはお坊さんにならなくても良いんだよ、好きなように生きて良いんだよ」
と言われてきたからです。

しかし、当時の私は感情が昂っていたせいか、謝ることができませんでした。

それからしばらくして、私は母方の祖母からこのような話を聞きました。

かつて私の母はお寺に嫁ぐことを躊躇しており、
それは子供が生まれた時にその子がお坊さん以外の道を選ぶことが出来ないのではないか、
夢をもつこともできないのではないか心配に思ったからだそうです。

私はその話を聞いて重ねて後悔しました。

母は、僧侶である父と結婚するという自分の人生以上に、
まだ見ぬ我が子の将来のことを心配していたのです。

だからこそ、私には「お坊さんにならなくてもいい」といつも言っていたのでしょう。

しかし私はそんな母の気持ちや悩みを知らずに、一方的に感情をぶつけてしまいました。

その後、母は私の気持ちに対しては特に何かを言う事はありませんでした。

私が永平寺に修行に行く日の朝も、ただ「頑張ってきなさい」と言うだけでした。

私はずっと申し訳ないとと思いながらも、結局謝る事はできずに永平寺に向かいました。

永平寺での出来事

そして永平寺での修行生活がだんだんと慣れてきた頃、
母が永平寺に来る機会がありました。

永平寺で修行を始まると基本的に実家に帰る事は出来ず、外部に電話をする事もできません。

そのため、修行を始めてから三ヶ月ほどしか経っていませんでしたが、
母親に会えるかもしれないと思っていた私は、とても楽しみにしていました。

しかし、自分の役割の関係でうまく時間が合わず、直接顔を見ることは出来ませんでした。

ただ、指導役の和尚さんの計らいがあってか、永平寺の内線を使って話すことができました。

母の声を久しぶりに聞いた私は、安心感もあったのか泣きそうになるのを必死に堪えながら、
短い時間でしたが母と話す事ができました。

その時に私は母に対して「永平寺に来たことは後悔していないよ」と言いました。

すると母は私に対して、「それなら良かった。頑張りなさいね」と言ってくれました。

私は母からの短い励ましの言葉の中に、深い愛情を感じました。

当然、私が言った言葉を忘れてはいないはずです。

もしかしたら、私に対して罪悪感すら感じさせてしまっていたかもしれません。

しかし、謝ることもできない私の言葉を責めるでもなく「それは良かった」と言ってくれたのです。

『典座教訓』の中で「老心」を説く、こんな一節があります。

自身の貧富を顧ず、偏に吾が子の長大なることを念ず。
自らの寒きを顧ず、自らの熱きを顧ず、子を蔭ひ、子を覆ふ。
以て親念切切の至りと爲す。

この教えは、たとえ自分が貧しく、生活が辛く苦しくても、ひたすらに我が子の成長を願う。

自分が寒さの中にあっても、その寒さを顧みずに自分の子供を暖め、

逆に暑い時には自分の暑さを顧みずに子供に日陰を作る。
これこそが親心の極みである。と言う意味です。

その中でも重要なのは、この「顧みず」という言葉ではないでしょうか。

自分の名誉や自分の得ではなく、この成長や健やかさを願うという心は、
母があの日何も言わず涙を流した姿や、「それは良かった」と言ってくれた声と重なる気がするのです。

自分の名誉や立場を考えていたら、もしかすると母は弁明をしたり、
あるいはその場で怒っていたかもしれません。

しかし、自分の身ではなく私を思ってくれたからこそ、
あの涙とあの声があったのではないかと、今では思うのです。

道元禅師はこのような自らを顧みずに他を想う「老心」をもって、
自分の役と向き合うようにと説かれています。

それは典座調理に限らず、掃除でも接客でも事務仕事にもいえることでしょう。

自分がどう思われるか、どれくらい得をするか、そんな損得勘定のない母の老心を受けて、
私は今皆様の前で僧侶としてお話させていただいています。

母の老心によっていくつもの選択肢を与えてもらったことにより、
その中での出会いや経験、喜びや悲しみがありました。

そしていくつもの悩みの先に、私は僧侶として生きていく道を自分で踏み出すことが出来ました。

あの時の自分の言葉への後悔がなくなることはありませんが、母の「老心」に導かれて歩んでいるこの道を精進していきたいと思います。

 

 

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