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7月2日、落語家の桂歌丸さんが81歳で亡くなった。
私にとっては笑点で楽太郎さん(現三遊亭円楽師匠)にいじられたり、大喜利のお題そのものが歌丸師匠のお葬式だったりするなど、亡くなることがネタにされすぎてむしろもうこの人は死なないんじゃないか、と思わされる方でした。
「昇天の時間がやってまいりました。死骸の歌丸です。」
なんていういじり方は信頼関係がなければ無礼でしかないし、歌丸師匠の返しがなければ視聴者の目にも悪く映ったはず。
小学生の頃に見ていたあの掛け合いが、実は達人同士による演芸であったことに今になって気がつきます。
歌丸師匠が亡くなった日の夜、私が中学生の頃から聴き続けている「伊集院光深夜の馬鹿力」(TBSラジオ)で伊集院さんは歌丸師匠とのこんなエピソードを話されていました。
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歌丸師匠の言葉
それは伊集院さんが三遊亭楽太郎(現円楽)さんのもとに弟子入りしたばかりの頃。
初めて会う歌丸師匠に挨拶をすると、こんなことを言われたそうです。
「やめるならもう午後やめな。やるなら一生やんな。」
後に伊集院さんは落語家を廃業してしまったため「おれはあの教えを守れなかったなあ」と当時を振り返っていました。
晩年の歌丸師匠
続けて晩年の歌丸師匠を語る伊集院さん。
肺を患って以降、呼吸器のチューブをつけ車椅子での移動となった歌丸師匠でしたが、それでも高座にはあがり続けたそうです。
ご自分での移動は叶わないので、高座に座った状態でお囃子を待ち、呼吸器のチューブを外し、緞帳(どんちょう)が上がります。
するとそこからの落語というのが、とても自然体であったそうなのです。
魂を燃やすようにとか、鬼気迫る、というものではなく、あくまでも自然体であったことに伊集院さんはとても感銘を受けたようでした。
こうした話を聴くと歌丸師匠は落語という「道」を生きた方だったんだなあと、つくづく思わされます。
晩年、ご自身が体調を崩されてからは平和への思いを強く語るようになったのも、自分の命が残りわずかとさとって、何を残せるかを考えたからかもしれません。
武道も芸事もそして仏教も、ただ知識やテクニックやスキルとして身につけるだけでは生き方にはなりません。
「やめるならもう午後やめな。やるなら一生やんな。」
という言葉は、落語家を生き方とした歌丸師匠だからこそのものだったのかもしれません。
そうして落語が生き方になり、いつしか自分が落語そのものになっていく。
僧侶として、キャリアや功績ではない「生き方」としての道の歩き方を教わった気がしました。
歌丸師匠のご冥福を心より祈念いたします。