【釈迦をたずねて三千里】 vol.9 ルンビニーってめちゃ広い!

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これは2016年に私、深澤亮道と愉快な仲間たちが、インド・ネパールにあるお釈迦様の聖地を巡った旅の記録である。

Contents

前回のあらすじ

12月は暦の上では師走といい、師(僧侶)がお経を上げて東奔西走することからそんな呼び方をするとかしないとか・・・

しかし、私も僧侶ではありますが、今年に至っては研究発表のため、12月に入ってからはパソコンと睨めっこの毎日で、お経をあげることなく毎日黙々と作業をしておりました。

そんなこんなで、またしても久々の更新となってしまいましたが(いつも言い訳ばかりですみません)、「釈迦をたずねて三千里」の旅もまだ序盤であります!笑

お釈迦様の「出生の場所」「お悟りを開かれた場所」「初めて説法をされた場所」「亡くなられた場所」の4大聖地を中心に、様々な足跡を辿るブログとなっておりますが、前回はお釈迦様出生のエピソードを綴らせていただきました。

前回の記事はこちら↓

これまでの記事はこちら↓

釈迦をたずねて三千里

さて、今回はルンビニー聖園に立ち並ぶ世界各国のお寺や、お釈迦様が29歳まで過ごされたカピラ城趾などを、写真多めでお送りします。

世界各国のお寺

2月14日(5日目)12:00〜

さて、お釈迦様がお生まれになったマーカーストーンや、アショーカ王の石碑、沐浴の池などをみた、私たちは、聖園を後にしました。

そして、聖園を出るとそこから真っ直ぐ片道1.5kmの水路が通っており、その1番奥には白いドーム形の建物がそびえ立ちます。

↑薄らと奥に白いものが見えるでしょうか?笑

その路の両側には、世界各国の寺院が点在しております。

タイやネパール、スリランカ、韓国、日本などの仏教国であるお寺はもちろんのこと、ドイツ寺・フランス寺・ベトナム寺・カンボジア寺・中国寺など、10か寺ほど立ち並んでいます。

めちゃめちゃ立派なお寺もありますが・・・

こう言っては失礼ですが、大きいだけでハリボテの寺院も結構あります。

この各国のお寺は、国を上げてお寺を建てているというわけではなく、その国一定の仏教宗派がお寺を建てているそうです。

なので、そこに住んで生活をしているお寺もあれば、ただ仏像だけが安置されているお寺もあります。

そして、世界各国のお寺の敷地内はもちろんのこと、ありとあらゆるところに誕生仏のモニュメントを見ることができます。

公園中央には、金メッキのお釈迦様が!

私たちもお釈迦様の故事に習って、右手は天を、左手は地を指差し

「天上天下唯我独尊」というポーズでボーズがパシャリ。

また歩みをさらに進めると1番奥にそびえ立つ白いドーム型に辿りつきました。

ルンビニーにあるのだから、さぞかしネパールのお寺かと思いきや、実は「日本寺・世界平和仏舎利塔」と言い、日本の日蓮宗系の建物になります。

最初にのせた水路の写真の奥に薄ら見える建物です。

世界遺産のルンビニにある、1番大きくて目立つ建物が日本のお寺というのが驚きです。

そしてここで少しご忠告しておきますが、皆様ももしルンビニにいく機会があり、その後世界各国のお寺を回る時は気をつけてください!

必ず、人力車や自転車をレンタルしましょう!

前述した通り、ルンビニの聖園から、端っこの日本寺まで軽く2km弱はあります。

往復で4kmほどです。

ガイドのドルジさんは、本業が山岳ガイドなので涼しい顔で歩いていますが、20代の私たちでもヘトヘトになりました。

え?

永平寺から岩手まで歩いて帰っただろって?

いや、おそらく歩きすぎたが故に、長く歩くことがトラウマになってしまったのかもしれません。笑

あとは、博物館なども見ながらゆっくりとルンビニの公園を散策しました。

2月14日(5日目)16:00〜

ゆっくり散策をしていたら気づけば4時間ほど歩いていました。

はっきり言うと凄い疲れました!笑

いや、充実したと言い換えます。

まー、4kmの道中、世界各国のお寺や博物館を見ながら歩いていたら、それくらいかかりますよね。

気づけば、太陽は西に傾き始め、綺麗なオレンジ色に輝いていました。

2500年前にお釈迦様もこの太陽を見ていたのかなーとか、少しロマンチックに思いを馳せながら、ルンビニ公園を後にし、この日はそのままホテルに戻りました。

ニガーリーサーガルのアショーカ王石碑

2月15日(6日目)8:00〜

この日の予定ですが、午前中は「アショーカ王石碑」と、お釈迦様が育ったカピラ城趾を見にいきます。

前回もお話しましたが、アショーカ王とはお釈迦様ご入滅後200年頃にインドを統治していた王様です。

大人気マンガ『キングダム』でお馴染みの秦の始皇帝と同時代に、インドを統治していた人です。

自身が指揮する戦争で多くの犠牲を出してしまったことから、その罪を悔い後世の人々が同じ過ちを犯さないように、様々な宗教を庇護しました。

特に、仏教に対してはひとしきり感銘を覚えた、即位20年後アショーカ王はお釈迦様の聖地を巡り、その中で石碑を建立し、詔勅を記しました。

繰り返しになりますが、この石碑があったことにより、お釈迦様が実在した人物だという確証になったと言われています。

現存している石碑は7つあると言われ、ネパールには2つあり、1つはルンビニー、もう1つはすぐ近くの「ニガーリーサーガル」という場所にあり、私たちはこの日まず初めにここに向かいました。

大体、日本だとこういう歴史的価値が高いものって触れないですけれども、「触っていいよ!」と言われたので、約2300年前に作られた石柱にソフトタッチさせていただきました。

カピラ城趾

2月15日(6日目)11:00〜

その後私たちは、お釈迦様が29歳で出家するまで生活したとされる、カピラ城趾を見学しにいきました。

前にもお伝えしましたが、お釈迦様の父は釈迦族の国王シュッドーダナ(浄飯王じょうぼんおう)母はマーヤ(摩耶夫人まやぶにん)の子どもとしてお生まれになりました。

つまり、バリっバリの王子様です!

父である浄飯王は、それはそれはお釈迦様を大切に大切に育てたそうな。

何不自由なく実に豊かな生活で、部屋には常に最上のお香が焚いてあり、着るものは全て最上の布で、春(秋)・夏・冬、それぞれ快適に暮らせる3つの宮殿があったそうな。

(↑この記述は、お釈迦様が唯一王宮での生活を語った言葉です。)

つまり、バリっバリの過保護で育ったボンボンです!

(↑この表現は、いつか誰かからお叱りを受けそうです。笑)

そうして、お釈迦様が出家をされる29歳まで過ごしたとされる、王宮がここカピラ城と言うわけです。

場所は、ルンビニから西に約25kmのところにある「ティラウコット」と言う場所ですが、実はカピラ城趾は2つの説があり、もう一つの説はインドにあり、現在も調査が続けらているそうです。

続く

次回予告

お釈迦様はここカピラ城でスクスクと成長し、19歳の時に結婚、そして第一子を設けます。

しかし、ある出来事がきっかけで、自分の王子の位と妻子を捨てて出家することになります。

次回は、そんなお釈迦様の出家の機縁について触れたいと思います!

vol.9 「ルンビニってめちゃ広い!」を、お読みいただきありがとうございました(^^)

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