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「あれ、そこに何かついてない?」
指摘されて触ってみれば、たしかに何か感触がある。
よく見てみると真っ白でやけに長い毛がチョロチョロ……。
こんな経験ありませんか?
かくいう私も高校時代、友だちの母親から、喉ぼとけにポツンと生えている「謎の白い毛」を発見され、恥ずかしい思いをした記憶があります。
それ以来、忘れたころに生えてくる、この「謎の白い毛」をブチブチとむしり取りながら生きてきました。
そしてつい先日のこと。「謎の白い毛」に対する長年の疑問を解き明かし「ただの白い毛」にしてやろうと、ついに私が動き出しました。
その正体や、いかに!
Contents
教えてグーグル先生!
「謎の毛の正体」を調査した(ググってみた)ところ、こんな感じのことが出てきました。
・生えてくる理由はよくわからん
・カラダのいたるところに生える縁起のいい毛
・福毛または宝毛、と呼ばれている
・生えてきた場所によってご利益も違う!?
・縁起がいいとされているのは、仏教由来らしい←!!!
え?仏教由来!?
さらに詳しく調べてみたところ、仏教由来とされる驚きの理由も判明!
……
←コレ!
大仏さんの額にある、このグリグリのポッチ。
白毫と呼ばれるこの部分、実はこれ、一本の長くて白い毛がまとまっているものなんです。
そう……「謎の白い毛」です!(ババーン!)
そしてこの白毫は、悟りを開いた証として現れる仏の32相の1つ。
なるほど縁起がいいとされるのも、納得ですね。
さて……
気持ちよく疑問も解消されたところで、
ついでに自分の福毛が、何にご利益があるのかも調べてみました!
え~と、なになに……喉ぼとけに生えていると……。
「結婚によい運気をもたらしてくれます!」
「恋愛や結婚に関わる対人運が向上!」
ふ~ん…
…
……
………
結論:「謎の白い毛」にご利益はない
仏教と占い
さて「謎の白い毛」が私に何らのご利益ももたらしてくれていなかったと分かったところで、少し「占い」について考えてみました。
白い毛が喉に生えたら良縁成就……のように、○○が△△すると□□にいい!みたいなのはよく見る話。
干支占い、誕生日占い、占星術、タロット……さらに個人的なジンクスまで占いに含めれば、世の中は占いだらけです。
仏教からも、例えば六曜(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)は密教が持ち込んだと言われていますし、占いの専門用語の中にも仏教由来のものが散見されます。
曹洞宗でも、折に触れてご祈祷を行いますが、こちらも広義では占いの一種といえるかもしれません。
ところが……
実は、お釈迦さまは占いをきっぱりと否定しています!
当たるも八卦、当たらぬも八卦というように、占いの結果は確固たる根拠を持つものではありません。
不確かなものを信じ、ましてそれに左右されるような生き方はおよそ仏教の説くところとかけ離れています。
占いしちゃ、ダメ?
とはいえ、「占いなんて意味ありません!すべての占いはやめてしまいましょう!」なんて言うのも、少し大人げない気がします。
かつて六曜について、「こんなものは仏教とは何の関係もないですから、僧侶の皆さんはそれに従う必要はないんですよ!」と、強く言われたことがあります。
その時、私が抱いたのは「そんなに目くじらを立てることもあるまいに」という感想でした。
(ここだけの話、僧侶の立場としては「友引」があるから遠出の予定が立てられるということもあります。)
それに、占いの結果をまるっきり信じて、それに従っているという人も実際にはごく少数ではないでしょうか。
私個人の意見としては、占いの問題とはそれをどう捉えるかという問題だと感じます。
例えば、仏滅などの良くない占い結果を見た時に「今日はちょっと気を付けておこうか」と、意識を新たにする。
あるいは、結婚式の日取りに大安吉日を選んで、より良い未来に願いを込める……など。
占いを良いものにするのも悪いものにするのも、私たちの受け止め方・使い方次第ではないでしょうか。
また「この時期に生まれた人は、性格にこうした傾向を持つ」などの性格診断を考えると、占いの中には経験知から来る統計的根拠を持つものもあるかもしれません。
そう考えると、占いだからといって頭から否定しにかかることもあるまい、と私は思います。
大昔。仏教が日本に渡ってきた時は、今よりももっと生きていくのが困難な時代でした。
そんな中で人々が希望を失わずに生きていくために占いというものがあり、だからこそ当時の僧侶たちもあえて否定はしなかったのかもしれないなあ。
と、そんな風に思うのでした。
ところで……
福毛・宝毛について、こんな記述もありました。
「抜いてはいけない」
「抜くとご利益がなくなる」
……
………
(今まで、全て抜いてきたじゃないか・・・・・・)
なるほど、私は自分から良縁をむしり取ってきたというわけですね!(泣)