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典座とは。
修行道場において、僧侶たちの食事の調理や食品の管理などを司る役割です。
人間の生命を維持するうえで必要不可欠の、食事。
食と向き合い、相手のことを考え、心を尽くし、調理する食材にも心を配る典座には、まさに修行の精神が凝縮されています。
去る10月4日㈮、渋谷・吉祥寺のアップリンクにて、典座をテーマとした「典座-TENZO-」の上映が開始されたということで、西田と一緒にデートがてら観に行ってきました。
この映画は、全国曹洞宗青年会による自主映画で、曹洞宗の教えをもとに現代を生きる僧侶の姿を描いたものです。
今回は、その感想を禅活のB級映画ハンターこと久保田が書いていきます。
※感想の西田verは、明日お届けいたします!
Contents
ストーリーの紹介
10年前、本山での厳しい修行期間を終えた河口智賢(僧名・チケン)と兄弟子の倉島隆行(僧名・リュウギョウ)は、自らの生まれた寺へとそれぞれ戻っていった。
富士山の裾野に広がる山梨県都留市、耕雲院。
智賢は住職である父と、母、妻、そして重度の食物アレルギーを抱える三歳の息子と共に暮らしている。
全国曹洞宗青年会副会長としての顔も持ち、いのちの電話相談、精進料理教室やヨガ坐禅など、自分なりに今の時代に合った仏教というものを模索し意欲的な活動を続けている。
修行時代に精進料理を任される役職“典座”だった智賢は、かつて自分自身もアレルギーに苦しめられ、それが本山の修行によって完治したという経験から高度に発展したこの現代社会にこそ仏教の教え、その中でもとりわけ日常全ての人間が行う“食”に関する問題が大切なのではないかと考えていた。
「一体どうしたら多くの人々にそのことを伝えることができるだろう?そうだ。映画をつくってみたらどうだろうか?」
たまたま従兄弟が映画監督をしていたこともあって、智賢は“典座”についての映画を青年会で製作することを思いついたのだった。一方の兄弟子・隆行は福島県沿岸部にあったかつての自身のお寺も、家族も檀家も、すべてを東北大震災の時の津波によって流されてしまっていた。今では瓦礫撤去の作業員として軽トラックを走らせながらひとり仮設住宅に住んでいる。
そんな隆行のことを人知れず心配している青年会の近藤は、山梨の智賢から届いたいのちの電話相談の携帯電話を隆行にも託そうとするが「俺、いま土建屋だから」と断られてしまう。
年間3万人にものぼる自殺者を抱える現代日本。
その日もいのちの電話相談には睡眠薬を飲み過ぎた女性からの電話がかかってくるのだった。
そんなある晩、智賢の息子の智優が食物アレルギーによるアナフィラキシーショックで救急病院に運ばれてしまう…
2回目の視聴
実は久保田は以前、曹洞宗僧侶向けの内部公開で既に視聴しており「典座~TENZO~」を観るのは今回で2回目になります。
実をいうと初回は、
「なんて……なんて、おもしろくないんだ!」
愕然としました。
普通ならば二度と見ようとは思わないことでしょう。
しかし冷静に考えてみれば、この時は面白いと思えない条件が整いすぎていたことに気が付きました。
私とこの映画の出会いは、
会議のために休日を返上して出てきて「早く帰りたいなあ」なんて思っているところに、何も知らされていない状態で半ば強制的に見せられるという……
最悪なもの。
また僧侶という立場の私は世間一般の人に比べ、おそらく曹洞宗について知りすぎています。
一般向けに作られたものに斬新さや自然さが感じられないのも当然です。
(逆に、100%僧侶向けに作られたものは一般の人には受け入れられないように思います。)
タダで見せてもらったというのも良くなかったかもしれません。
そこで、いったん考えをリセットして、お金を払って、新鮮な気持ちで見てみたいと思いました。
楽しもうという姿勢
さらに言えば、私はそもそも見方を間違えていました。
これはあくまで自主映画。
巨費を投じて製作される商業映画と同じ土俵で考えるべきものではなかったのです。
面白さは提供されるものではなく、こちら側で発見するものです。
細かいことは気にしてはいけません。
プロではない人の演技が素人臭くなるのも当然なら、車の停車位置がおかしいのも当然のことなのです。
些細なことは気にせず、いいところ探しをしながら観るのがきっと合っています。
思えば初回の自分は、評論家気取りで「あれがおかしい、これもおかしい」と、かなり「うるさい」見方をしていました。
これでは楽しめるわけはありません。
あまり何も考えず、キャンプに来てハンモックで半分寝ているくらいのつもりでリラックスしながら観るべきだったと思い至ったのです。
そして……
そういう意識のもと見てみると、かなり印象が変わりました。
映像の美しさや、音響効果の良さが素直に感じられ、初回よりも抵抗なく作品を味わうことができたのです。
気になった点と印象的だった点
2回の視聴を経て、冷静に「典座-TENZO-」を振り返ってみて、どうしても気になった点が2つ。
1つは僧侶による電話相談のシーン。
私はカウンセリングの専門家というわけではありませんが、そのやり取りって大丈夫なの?と思いました。
気になったのは電話相談の相手に「坐禅をして何も考えない時間を作りましょう」と、坐禅を勧めた場面。
考えたくなくても考えてしまう、悩みの堂々巡りに苦しんでいる人に「坐禅をすればOK」はやや乱暴な気がします。
近年、精神を落ち着けるとして医学的にも注目されることのある坐禅ですが、いくつかの精神疾患では逆効果となることも想定されるそうです。
距離があるというか、相手のことが見えない電話で安易に勧めてよいものか、と思いました。
もう1つは、映画のタイトルです。
一番最初にご説明した通り、典座とは修行道場において食事を司る役職。
タイトルから映画の内容を想像すると、当然この「典座」や「食」にスポットを当てたものだと思ってしまいます。
しかしこの映画には、食だけでなく、心のケアや宗教のあり方など様々なメッセージが、胸焼けするくらいにこれでもかと盛り込まれています。
それだけに見ている側に「これが典座!」と伝わるような内容となっていたかは疑問です。
随所に食事や精進料理教室のシーンなどが入っているものの、2人の僧侶の生き方のどこが、どう「典座」につながるのか、私には今一つわかりませんでした。
印象的だったのは、福島の僧侶リュウギョウさんの姿です。
僧侶としての活動もままならず、建設業に従事する傍らお寺の再建を目指すリュウギョウさん。
ツナギを着て軽トラを乗り回し、車中では今風のヒップホップを流すという、一般的な僧侶のイメージとはかけ離れた彼の姿。
ドキュメンタリー風のつくりなので、おそらくは本人による再現ということなのでしょうが、大柄でコワモテ(失礼!)のお坊さんが苦悩しながら、それでも僧侶として生きていこうとする表現にはグッとくるものがありました。
特に自然の良さを語るチケンさんに言った「お前それ、福島の人の前で言えるか」という一言には、当事者なればこその重みがありました。
最後に
何だかんだ、思わされるところの多い作品でした。
いつまで公開されているかわかりませんが、おそらくそう長くはないと思うので、ご興味のある方はお早めに劇場に足を運ばれるといいかもしれません。
もしまた全国曹洞宗青年会で映画を作る機会があれば、今回のようなマジメなものもいいですが、ここは一つふざけてみて、
「シャークVS修行僧100人」「進撃の修行僧」みたいな、B級路線を目指してみるのはいかがでしょうか(笑)