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これは私、深澤亮道が福井から岩手までの700Kmを無一文で歩いて帰った物語である。
Contents
前回までのあらすじ
永平寺を出発して12日目、南蒲原郡田上町にある安國山東龍寺に到着しました。
本当にこの日たまたまなんですけれども、東龍寺を会場に2年に1度開催される教区護持会(地区のお寺とそのお檀家さん)の坐禅会が催されていました。
今考えると本当に迷惑な時にお邪魔してしまったと反省しています。
なにはともあれ、前回は坐禅会や東龍寺のことをお伝えしました。
※前回の記事は以下から読むことができます。↓
バックナンバーは以下から読むことができます↓
今回は、新潟県阿賀野市にある「徳昌寺」を目指します。
本日の目的地
13日目 8:00〜
本日の天気も晴れ。
10月下旬のカラッとした歩くには一番ちょうどいい秋晴れの日が続きます。
今振り返っても新潟を横断しているときは本当にいい天気に恵まれていたと思います。
さて、本日の目的地はおよそ30km先にある、新潟県阿賀野市「徳昌寺」。
ここは、修行仲間の「中野悠志さん」のご実家であり、副住職を務めるお寺です。
ストリートビュー様
13日目 9:00〜
秋晴れの元、意気揚々と出発します。
「ズキズキズキ・・・」
しかし、2週間ただひたすら毎日歩いてきた左足は日を追うごとに、痛みを増していきます。
これ、本当に辿り着けるか不安になってきました・・・
それでも昨日温泉に入って体を癒せたことで、左足以外はとても軽やかに気持ちです。
信越本線沿いの道を北上します。
あ、ちなみに余談になりますが、これは4年前の回想録になるので、記憶が曖昧な部分もあります。
しかし、上記の写真のようにグーグルマップのストリートビューという機能を使って、思い出しながらせっせと書いております!
歩いた道をこうして辿ると、一度しか通ったことの無い道でも思い返すことができます。
なので虚偽の事柄は載せておりませんので悪しからず。
文明の利器は本当に凄い!
お昼の12時頃には、阿賀野川を渡り、阿賀野市に入りました。
↑これは実際に私が撮ったやつです。
ややこしくてすみません。
名物!ヤスダヨーグルト
さて、今回も【永平寺から無一文で歩いて帰るもん。】名物、ご当地紹介コーナーの時がやってまいりました。
今回ご紹介するのは、阿賀野市の名物「ヤスダヨーグルト」です!
私の中で新潟名物ベスト3は「柿の種」「笹だんご」そしてこの「ヤスダヨーグル」では無いかと思うのです!(お酒を除いて。)
ここは2004年に町村合併で阿賀野市になりましたが、新潟県の酪農の発祥地としても有名です。
町の名前は、元モー娘。メンバーの「保田圭」の「保田」の方ではなく、クローズに出てくる「カミソリヤス」こと「安田泰夫」の方の「安田」が正しい地名になるそうです。
このヤスダヨーグルト、平易な表記をお許していただけて、そして尚且つ一言で表すなら「驚異的に美味しい!」です!
ヤスダヨーグルトは搾りたての生乳を使用して作られており、とても濃厚でコクがありながらも、後味スッキリというなんとも不思議な味わいです。
プレーンヨーグルトもありますが、個人的には、飲むヨーグルトがおすすめです。
おそらく飲むヨーグルトの使用用途は、朝のリフレッシュに、とか食事のお口直しに飲まれる方が多いと思いますが、ヤスダの飲むヨーグルトはデザートでもいけるのでは無いかと思うくらい濃厚です。
思い出したらよだれが・・・
インターネットでも買えますし、まだ食べたこと、飲んだことが無い方は、是非一度ご賞味あれ!
徳昌寺に到着
13日目 16:00〜
さて、いつものことながら脱線した話を本編に戻しましょう。
本日は、本当にこれと言って何事もなく、ただ淡々と歩き続け16時頃には目的地である「徳昌寺」に到着しました。
最初にもお伝えしましたが、ここは修行仲間の「中野悠志さん」のご実家であり、副住職を務めるお寺です。
悠志さんとは、修行時代2年目の後半から3年目の時、「殿行」と呼ばれる部署で一緒であり、その時のことを少しお伝えしたいと思います。
スーパー体育会系「殿行」
この旅日記を読んでいただいている方は、耳にタコができるくらい聞き飽きたと思いますが、それでも初めての方もいらっしゃると思うので、何度も説明させていただきます。
永平寺とは会社のように色々な部署に分かれており、3〜5ヶ月おきに人事異動を繰り返しながら、それぞれの部署で公務をこなしながら、修行に励みます。
しかし、永遠にローテーションを繰り返す訳ではありません。
永平寺で3年以上修行を続けるからには、通過儀礼?として、必ず通らなければならない部署があります。
それが「殿行」と呼ばれる場所です。
殿行とは、ご本尊様を祀る仏殿や法要を行う本堂の管理、掃除、そこで執り行われる儀式儀礼の準備やお勤めの進行などを司る部署です。
文字に書いただけだと大したことが無い部署に思われますが、その公務の忙しさ、厳しさは永平寺の数ある部署の中で1、2を争うほどです。
だいたい2年目から3年目で配属(私がいた当時)されるのですが、それまでの修行の辛さとは比にならないほど、精神的、肉体的にも追い込まれる日々が続きます。
3時間睡眠の中、朝から晩まで休むことなく動き続けるので、立って意識を失うことはしばしばありました。
また、暖房機器が一切無いので、冬の極寒たるやいなや。
手足の感覚が無い中、末端の皮膚がしもやけや水ぶくれになることも日常茶飯事でした。
そして、この厳しい殿行を乗り越えたものが、各部署のリーダーである寮長と呼ばれる役を任されることになります。(一部例外あり。笑)
なので、ずっと人事異動を繰り返すのではなく、殿行を終えた者は一度経験した部署の寮長になることになります。
本来、修行僧の中にヒエラルキーがあってはならないはずなのですが、殿行を経験したか否か、寮長か否かの差は雲泥の差があります。
ちなみに「真行」と呼ばれる、道元禅師を祀られている御真廟を管理する部署を経験した人も寮長になることができます。
つまり、「殿行」もしくは「真行」を経験するということが、修行を続ける上で大きな試練となって立ちはだかります。
前にお伝えした、左足の大怪我をしたのはこの部署にいる時でした。
治りが悪かったのは、この環境のせいもあったのは言うまででもありません。
その時の詳細は、以下の記事に記載しております。
つまり、ここはスーパー体育会系の部署であり、元高校球児の私でもついて行くのに必死でした。
そして、この時の仲間は奇跡的にもスーパー体育会系のメンバーが揃いました。
15名いたメンバーの中には、ボクシングや、空手、ラグビー、ハンマー投げの選手などなど、大半が肉食獣みたいな仲間とこの部署で苦楽を共にしました。
修行時代の同期は90名ほどいますが、殿行を共に乗り越えた仲間と言うのは、良くも悪くもいろんな思い出が詰まった仲間かなと。
そんなスーパー体育会系のメンバーの中でも、今回お世話になった悠志さんはおそらく一番体格がよかったのでは無いかと思います。
なぜなら、悠志さんは大学時代、アメリカンフットボールの選手だったからです。
しかししかし、体は大きくても、細かい気配りができる彼は、とても忙しく辛い日々でも弱音一つはかず淡々と修行をこなすその姿はとても尊敬できるところがありました。
それでも、たまーにストレスが溜まると、
「ねぇ、タックルしていい?」と言う一言で、蛇に睨まれた蛙状態になったことは今となってはいい思い出です。笑
続く
次回予告
そんなこんな、悠志さんとの機縁をつらつら述べてきましたが、字数もいい感じなので、ここで一旦切りたいと思います。笑
次回は徳昌寺に泊まった事と、14日目をお送りしたいと思います。
「vol.23 殿行の思い出」をお読みいただきありがとうございました(^ ^)
続きはこちら↓