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急に思い立った初めての一人旅。

3つの目的を決めて、人生初の広島を訪れます。

前回は広島へ到着し、最初の目的地「福本食堂」さんで名物のホルモン天ぷらを堪能しました。

今回は2つ目の目的地、原爆ドーム平和記念公園を訪れます。

原爆ドーム

実は最初の目的地、福本食堂さんへ向かう途中で原爆ドームの横は通過しており、ここからは広島駅からの道のりを戻ることになります。

行きは歩ききったので、帰りは路面電車を利用。

福島駅から原爆ドーム前駅まで、10分程度。

シートの形状や支払いのシステムは電車とバスを混ぜたような感じです。

あっという間に到着し、駅を降りた本当に目の前に、原爆ドームはあります。

もともとは広島県産業奨励館という施設であった建物は、河口付近でほのかに潮の香りが漂う川沿いに佇んでいます。 1945年8月6日、原子爆弾が投下された爆心地から160mの距離に建っていたこの建物が、ドーム部分を含めて吹き飛ばされずに残ったのは、衝撃波の方向や建材の種類など、様々な偶然が重なったからだそうです。

裏手には慰霊碑が建ち、様々な年齢層、様々な国の人々が犠牲者を悼んでいました。

実際に原爆ドームをに目にした時、私はその緑の多さや歩道の綺麗さ、誤解を恐れずに言えばその鮮やかさに驚きました。

というのも、私の頭の中にあった原爆ドームというのは、教科書で見た白黒の写真と、被曝した直後の焼け野原に建つ建物というイメージがあったからです。

しかし実際に目にしてみると、その建物だけが1945年で時を止め、周囲の環境は2019年になっているような、不思議な感覚に陥りました。

こうして初めて訪れることで、私の中で教科書の写真で止まっていた原爆ドームが、照りつける日差しや、行き交う車の音、潮の香り、そして青々と茂った木々の鮮やかさを伴って、はっきりと現実になったのです。

平和記念公園

そして原爆ドームから徒歩5分ほど、川の対岸に広がるのが平和記念公園です。

原爆の子、慰霊碑

原爆ドームの方から平和記念公園に入っていくと、はじめに「原爆の子」の像とたくさんの折り鶴が目に入ります。

この像は被曝後の白血病でなくなっ佐々木禎子さんの同級生が中心となって募金活動を行い、佐々木さんをはじめ原爆で亡くなった子どもの追悼の思いを込めて、1958年に建てられました。

原爆ドームや平和記念公園の周辺には様々な慰霊碑や像がありますが、この「原爆の子」は特に有名で、現在もたくさんの折り鶴が供えられています。

そしてそこから数百メートル歩くと、この平和記念公園の中心となる慰霊碑があります。

これはこの公園を作る際に、平和記念館と広場、そして原爆ドームを一直線に繋ぐように建てられたもので、慰霊碑の向こうには原爆ドームが見えます。

その慰霊碑にはこう刻まれています。

安らかに眠ってください

過ちは繰り返しませぬから

平和記念資料館

さらに奥へと歩を進めると、平和記念資料館が見えてきます。 ここで原爆や第二次世界大戦の実情や歴史を学ぶことができます。

はじめに、1945年8月6日8時14分、原子爆弾が投下される1分前の時計が表示され、それまでの爆心地周辺の様子を写真で見ることができます。

決して豊かな時代ではないにしても、人々の生活がある街の様子が広がります。

しかしそこから進むと1分後の写真が。

 

1945年8月6日8時15分

 

そこは1分前とは同じ場所と到底思えない生命の気配がない焼け野原へと変わり果てていました。

爆発そのものは生き延びても、その後にも想像を絶する苦しみが待ち、町中に死者と怪我人が溢れていたことがわかります。

一瞬の爆発がもたらしたおびただしい数の死と苦しみは、写真や解説がフィクションなのではないかと思うほど、私にとって現実離れしたものでした。

ここで見ることができる、写真や遺品、様々な文章、そして被曝体験者の方の証言映像、そのどれもがただの歴史ではなく、「これからあなたはどうするの?」と問いかけてくるようでした。

これからの平和をどう考えるか

私は原爆ドーム、そして平和記念公園その周辺にあるたくさんの慰霊碑やモニュメントが平和の「記念」とされていることが、実はいまいち腑に落ちていませんでした。

戦争の記憶ではあっても平和の記念というのには何か違和感を感じたからです。

しかし、実際に現地に行ってみると、そこでは本当に多くの人が慰霊碑に手を合わせ、資料館でその悲惨さを学んでおられました。

海外の方々、修学旅行で訪れた中学生、カップル、家族。

それぞれの立場、世代で感じ方や思うことは違うでしょう。

その中で、私は改めて、平和の基礎はお釈迦様のこの言葉に集約されていると確信しました。

 

すべての者は暴力におびえる。
すべての(生きもの)にとって命は愛しい。
己が身にひきくらべて殺してはならぬ。
殺さしめてはならぬ。

ー「ダンマパダ」130ー

 

原爆が落とされたという事実は、どれだけ資料を見て想像を膨らませても現実には到底及ばない悲惨さがあります。

そしてもう一つ忘れてはならないのが、原爆を投下した人がいるという悲惨な現実です。

私たちは誰もが暴力を恐れるあまり、自分を守るために暴力を身につけようとしてしまいます。

仏教の立場から言うならば、殺される人も殺す人も、本来いてはならないんです

戦争はそのどちらも生み出し、殺す側に立たなければならないという恐ろしい状況を生み出します。

資料館の証言映像の中で、ある女性が当時の会話をこう振り返っていました。

 

「もう勝てっこないのに、こんなに惨たらしい状況なのになんで続けるんかねえ。」

「しょうがないよねえ、戦争だからねえ。」

 

焼けただれた遺体を運びながら交わされた会話です。

今の私には想像もつかないほどの過酷な状況、壮絶な環境が「しょうがない」で納得できるものになってしまう、それが戦争なのだと、その恐ろしさを改めて感じる言葉でした。

自分が死なない・傷つかないということはもちろん大前提として必要なことです。

同様に、傷つける側になってはいけないということを、もう一度よく考えることが必要なのではないかと、私は思います。

原爆ドームと平和記念公園は、過去の戦争を知るだけ場所ではなく、これからの平和を考える場所でした。

慰霊碑にあった

安らかに眠ってください

過ちは繰り返しませぬから

という言葉を守れるかどうかは、私たちの世代にかかっているのだということを、改めて心に刻んだのでした。

2019年8月6日、自宅にてこの文章を書いています。合掌。

 

ホテル着&市街散策&晩ごはん

16時頃、平和記念公園を後にした私は、そこから歩いて7.8分ほどの場所にある「ドーミーイン広島」にチェックイン。

1日歩いて汗だくだったので、ようやく一息つけました。

部屋についてビショビショのTシャツを脱ぎ、お昼に買った「せんじがら」を試食。

香ばしい香りと共に、噛むほどにホルモンの旨味がしみ出ておいしい!

これはお酒飲む人にはたまらないだろうな〜!

晩ごはん

少し休んだところで、財布とスマホとカメラだけを持って市街を散策。

気になっていたスニーカー屋さんや雑貨屋さんを巡るという、ただのウィンドウショッピングです。笑

広島風お好み焼き

しばらく散策したのち、人気の広島風お好み焼きのお店「八昌」さんへ。

暑い中でもすでに何名か並んでいたので、最後尾について45分ほど待ち、店内へ。

目の前で焼いてくれるお好み焼きはなんとも美味しそう。

コーラ飲みながら20分ほど待つと…。

キタ!!

熱々のところをさっそくいただきます!

…美味しい!

広島風ってお好み焼きプラス焼きそばみたいなイメージだったんですが、薄焼きの生地としんなりしたキャベツ、カリカリの麺が一体化していて、一つの料理になっているんですね!

腹ペコだったのであっという間に完食。

ごちそうさまでした。

広島風お好み焼き

そして、まだお腹に余裕があったので、まさかのご飯ハシゴ(笑)

広島で流行っている汁なし担々麺のお店「くにまつ」さんへ。

温かいちぢれ麺はタレと和えるとよく絡み、ピリ辛な味と山椒の風味がたまりません!

美味しい!

お好み焼きの後とは思えないくらいあっさり完食。

ごちそうさまでした!

こうして1日歩き、広島グルメも堪能した私は、ホテルの大浴場で疲れを癒し、いつの間にか眠りに落ちるのでした。

 

つづく

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