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昨日、2020年7月5日㈰は東京都知事選の投票日でした。
新型コロナウイルスへの対応や、東京オリンピックなどが争点とされる中、
現職の小池百合子氏が圧倒的得票数で再選を果たしました。
新型コロナウイルスの影響が未だに残る中、
いかにして混乱をおさめ、都民が安心して生活を送れるような対策を打ち出すことができるか、
都知事の手腕に期待を寄せたいところです。
※この記事に特定の政党や政治的主張を支持し、あるいは批判する意図はございません。
Contents
過去最多の候補者が出馬=・・・?
さて、現職の小池都知事の圧勝という結果に終わった今回の都知事選。
本記事にて注目したいポイントは、小池氏の政策ではなく、
今回の選挙に過去最多となる22人の候補者が立候補したということです。
報道で目にする「主要5候補」という言葉の示す通り、彼らの多くは当選の見込みがまったくないにもかかわらず選挙に出馬した、
いわゆる「泡沫候補」です。
そもそも選挙の目的は政治の代表者を選ぶということ。
「泡沫候補」の多くは支持基盤も資金も知名度も、「主要」とされる候補者に比べて微々たるものしか持ち合わせていません。
言わずもがな、仮に彼らが当選したとしても、代表者として政治を担っていくことは極めて難しいでしょう。
そう考えると、「泡沫候補」はまじめに政治をする気もないのに、遊び半分で選挙に出ている「けしからん」人たちという見方もできるかもしれません。
また時に泡沫候補に対して「売名行為」、という批判が寄せられることもあります。
特に現代はSNSや動画配信サービスの普及によって知名度がおカネにつながりやすい構造も出来つつあり、
実際に売名目的で選挙に出馬していると見られるケースも多くあります。
しかし、返還される見込みのない供託金を用立て、メリット以上のリスクも抱えながら選挙に出馬する決意をした「泡沫候補」たちは「自分の主張を公共の場で堂々と発信する」ことに強い使命感を抱いている場合がほとんどです。
多くの場合、「泡沫候補」の主張は選挙報道の中に埋もれて、それこそ「泡沫」のように薄れて消えていきます。
しかし私は、訴えるべき主張を持ち、並々ならぬ覚悟を持って選挙に立候補した彼らを「泡沫」として切り捨てるのはあまりに忍びないと思うのです。
はじめに、今回の都知事選には過去最多となる22人の候補者が立候補した、と書きました。
言いかえれば、今回の都知事選には、過去最多の「泡沫候補」が立候補したということです。
今回は選挙に出馬しながらも「泡沫」のように扱われてしまう「候補者」の声を、私たちがいかに受け止めるべきかというテーマで記事を書きます。
泡沫候補の主張を泡沫に帰してしまって良いのか。
私が「泡沫」とされる候補者に興味を持つに至ったのは、10年以上前に視聴した、とある候補者の政見放送がきっかけでした。
「諸君!この国は最悪だ!こんな国はもう滅ぼせ!」
と、公共の電波で嘘とも真ともつかない主張を繰り広げる候補者を見て、
「一体、この候補者の真意はどこにあるのだろう?」
と興味を抱きました。
それからというもの、インターネットの動画投稿サイトにて過去の様々な「泡沫候補」の政見放送を視聴してきました。
あからさまなウケ狙いや、売名目的、他の候補者の妨害目的で選挙に出てきていると思われる候補者ももちろん存在します。
しかし、数多の政見放送を視聴する中で私が目にしたのは、
性的マイノリティに対する差別解消、外交問題、言論の自由、人権問題など、重要なテーマを真摯に訴えかける候補者の姿でした。
特に印象深かったのは、また別の候補者の、
「選挙に出なきゃ何も言えないんだ。モノも言えないんだから。」
という言葉です。
彼らが訴えかけたいことは、社会にとっては「小さな」問題なのかもしれません、
けれどもわが国に確かに存在する課題について「泡沫候補」は選挙の舞台を通じて意見を発信しています。
もちろん彼らの意見を鵜呑みにする必要は全くありません。
しかしその声を聴き、ひとつの問題について考えるきっかけとしていくことが必要なのではないかと私は考えています。
また、かつて「取るに足らない」と考えられていたテーマが、時代を経て、社会全体で考えるべき重要な課題へと変わっていくことは多々あります。
先ほど挙げた、性的マイノリティに対する差別解消、権利の保障などはその最たる例でしょう。
今は「小さく」見過ごされがちである、けれども重要なテーマが隠されている可能性が「泡沫候補」の主張の中に存在すると私は考えます。(もちろんそうでないケースも多いですが)
都知事選=社会の縮図?
過去最多の「泡沫候補」が立候補した今回の都知事選は、
多様化する社会そのままの縮図なのかもしれません。
様々な価値観が入り乱れ、社会が激変する背後で、
不当な扱いを受ける人や、様々な格差などが生まれている……。
これらは社会全体にとっては、ともすれば「小さな」問題かもしれません。
しかし、「泡沫候補」となりながらもその声を公に響かせようと決意した人がこれだけ存在するということは、
社会における「小さな」ひずみやゆがみが、無視できないレベルまで広がっていることの証明であると考えることはできないでしょうか。
極論を述べる候補者が存在するのも、社会のゆがみの中で極論を求める声が高まってしまっているからとも考えられます。
先ほど泡沫候補の主張の例として挙げた、性的マイノリティに対する差別解消、外交問題、言論の自由、人権問題など……
これらは確かに、多くの選挙で争点とされる福祉政策や経済対策などに比べれば「取るに足らない」テーマなのかもしれません。
しかし、これらは本当に「取るに足らない」問題でしょうか。
泡沫とされる彼らの声を「取るに足らない」と無視するのではなく、重要な問題提起として受け止める必要もあるのではないでしょうか。
まとめ
今回の都知事選において、
「若者に選挙に興味を持ってほしい」
というモチベーションで出馬したとする候補者が、私の確認するだけで2人存在しました。
「政治の担い手を選ぶ」という、選挙本来の目的からは逸脱するのかもしれませんが、
選挙を通じて社会に対する問題意識を持ってもらうという目的には、共感できる部分があります。
選挙で目にする様々な主張を通じて、自らの問題意識を養えるということも、選挙の大きな意義でしょう。
そう考えると「泡沫候補」の主張にも耳を傾ける意味があります。
この記事にリンクを貼ることはいたしませんが、もしご興味をお持ちの方がいたら、動画サイトで「泡沫候補」の政見放送をご覧いただければ幸いです。
※過激な内容のものも存在しますので、視聴の際はご注意ください