ラジオから学んだこと

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ラジオが好きだ。

私の人生は、テレビよりもラジオを聴いてきた時間の方が長いかもしれない。

少なくとも、中学生以降は確実にテレビを見るよりラジオを聴いてきた。

今回は、私の大好きなラジオの魅力と、そこから学んだことについてお話ししたいと思います。

Contents

ラジオとの出会い

私のラジオとの出会いは中学生の頃。

当然、ラジオそのものは車で耳にすることもありました。

ただ、「この番組を聞こう!」と思って周波数を合わせ、MDコンポに張り付いたのは、中学の定期テストの勉強中が初めてでした。

テスト期間中、居間にしかテレビがなかった我が家では、親の目を避けてテレビを見ることは叶いませんでした。

そこで、携帯電話も持っていなかった当時、自分の部屋で触れることのできる唯一のメディアが、ラジオだったのです。

きっかけは、北関東を中心にネットするFM79.5MHz、NACK5で月〜金曜の21:00~23:00に放送していた「The Nutty Radio Show鬼玉」という番組でした。

パーソナリティーのバカボン鬼塚さんや玉川美沙さんと、ゲストやリスナーの掛け合いが面白く、コーナーのお便りをまとめた本まで出版された、長寿番組でした。

その後、受験などで「鬼玉」も終わった深夜まで起きているようになると、ここで次なる出会いがありました。

それはAM954MHz TBSラジオの「JUNK」でした。

月〜土曜日深夜1:00~3:00、各曜日を異なる芸人さんが担当するTBSラジオの超人気番組です。

私がこの時出会ったのが「月曜JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力」でした。

伊集院光さんといえば、当時の私には「クイズ番組でニコニコした大柄な男性タレント」という程度の認識でした。

しかし、JUNK聴いた伊集院さんは毒を吐き、下ネタを飛ばし、脱線しまくるしゃべりのモンスター。

タイトルコールをするまで、伊集院さんだとは気づかないほどのギャップがあったのです。

テレビでは聴けないような刺激的な話と、自分しか聴いていないような秘密基地感。

テレビが観られないから代わりに何か面白いラジオ番組ないか、という感じでチューニングしたが最後、見事にハマってしまったのです。

ラジオの魅力

そんなラジオとの出会いから早十余年。

iPhoneやパソコンから常にラジオ番組を流し続けています。

今聴いている番組は

・月曜JUNK伊集院光深夜の馬鹿力
・アルコ&ピース D.C.GARAGE
・CreepyNutsのオールナイトニッポン0
・オードリーのオールナイトニッポン

などが中心ですが、私のラジオの好みには傾向があることに、最近気付きました。

それは、パーソナリティーがシンプルな話を遠回りして話すということ

ある時、伊集院光さんはパンダの赤ちゃんが可愛かったというお話しを1時間近くされていました。

あるいは、オードリーの春日さんは旅行に行く話の1/3が出発前の家での話だったりします。

テレビやYouTubeでは、エピソードはなるべく最短ルートで、ポイントのみを抑えて話すことが求められているように私は感じます。

一方ラジオでは、映像がない分いかに聞き手が鮮明にその様子を想像し、感情移入するかということが求められるため、蛇足のような話すら、そのエピソードの重要な要素になっているのです。

実際に、私はその遠回りの部分に声を殺して笑ったり、イヤホンをしながら一人でニヤニヤしていました。

この、あえて遠回りしたエピソードを聴けることこそが、ラジオの魅力の一つだと、私は思います。

法話に求められる「ラジオ感」

私は、この遠回りは法話にも求められる要素であると感じています。

映像がメインとなった現代では、私たちは情景や人や物を思い浮かべながら話を聴く機会がずいぶん減ったと思います。

これはメディアに限らず、近しい人との会話でも、スマホさえあれば簡単に人の顔も景色も見せることができ、想像しながら話を聴くことも、想像させる話し方もあまりしなくなってしまっています。

ところが、法話は基本的に身一つですることが多く、あったとしてもホワイトボードくらいのものです。

ただ、私はこの形が法話の大切な要素であるような気がします。

法話は、聴いた方がその内容をご自身の人生と重ねていただくことの大きな意味があります

そこで、例えば私が自分の祖父母の話をする時、顔の写真を見せながら話をした場合、それは聞き手にとって「西田稔光の祖父母の話」になります。

ところが写真などがないことで、聞き手は自然とご自身の祖父母像を重ねて想像するようになるはずです。

そうすることで、私が仏教の教えを体感した話が、聞き手の人生と重なって、より仏教の教えが心に染みるものになるのではないか、と私は思います。

もちろん、それは下ネタや毒を吐くような形で、芸人さんと同じ遠回りの仕方をすればいいというわけでありません。

その時の情景や自分の心の動きを細かく思い浮かべ、より鮮明にイメージしていただけるような遠回りをすることです。

そんな、ある種のラジオ感が、今だからこそ法話には求められるのではないでしょうか。

まとめ

インターネットが発達した今、私たち一般人にとってラジオは聴くだけでなく、放送することもできるものになりました。

見えないからこそ繰り広げられるその世界に、私は「話す」ということの奥深さを日々感じています。

スライドや映像を駆使するのもわかりやすくていいですが、法話ではそんなラジオらしさも大切にしていきたいですね!

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