【僧侶的よろずレビュー#8】グリーン・ブック(映画)

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僧侶の視点で触れて学びや気づきのあったものをご紹介する【僧侶的よろずレビュー】

前回は特別編として、映画「典座-TENZO」について書きました。

本編は9月9日の「ハイパーハードボイルドグルメリポート」ぶりの更新です。

今回ご紹介するのは今年4月の上映された映画「グリーンブック」

実は映画館で観てから何度も反芻していた作品です。

ただ黒人差別を描いただけではなく、差別という社会から向けられる刃に対する人の心の模様を描いた作品です。

すでに観た方もまだ観ていない方も、よろしければお付き合いください。

Contents

あらすじ

時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。
ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。
彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。
二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。

この物語は1962年、未だ黒人差別が色濃く残るアメリカでの実話を元にしています。

主人公のトニーはイタリア系移民で、それを揶揄されれば腕力で黙らせる一方、自分自身は黒人を差別していました

公式HPより

しかしそんな彼は、自分より遥かに裕福な暮らしをする黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーに雇われます。

公式HPより

ドクターは黒人でありながら文化的教養が高く、トニーからすれば面白くない雇い主にあたるわけです。

そんなドクターがツアー先に選んだのは、アメリカ南部

アメリカ南部は奴隷制度が生まれ、未だに白人至上主義者によるヘイトクライムが続くエリアです。

トニーは、ドクターと南部を周りながら、そのピアノの腕前に惚れ込むと共に、北部では経験することのなかった差別に直面します。

そして黒人としては異例とも言える成功をしているように見えるドクターが、実は心の奥で大きな傷を負っていることが、物語の中で描かれていきます。

食べ物とアイデンティティ

ご覧になった方は印象に残っておられるであろう、フライドチキンのシーン

アレサ・フランクリンスピナーズなど、黒人歌手の曲が流れる車中で、ドクターはトニーにその曲を知らないと言います。

「黒人なのに聞かないのか?」と驚くトニーは、頬張っていたフライドチキンを一つ、ドクターにも食べるかと訪ねます。

するとドクターは食べたことがなく、手づかみで食べることにも難色を示しますが、トニーに押し付けられてしまいます。

しかし次のカットでは夢中でフライドチキンを頬張るドクターの姿が

私ははじめ、このシーンは裕福な人がファストフードに出会った様子だと思ってしまいました。

しかし、実はこのフライドチキンという食べ物は、農園で働かされていた黒人奴隷の人々が領主がムネやモモなどの肉を取った鶏の残り、手羽先や首の部分を食べるために編み出したものだったのです。

フライドチキンが、黒人にとってのソウルフードと呼ばれる理由はここにあります。

そしてドクターがソウルフードであるフライドチキンを知らなかったというこの描写に、実は彼が、自分のアイデンティティーを見失っているという苦しみの一端が描かれているのです。

参考図書:フライドチキンや日本の油かすなど、被差別地域で生まれた食について書かれた本です。 

消費される黒人

そして、物語が進むにつれ、ドクターが受ける差別は激しくなっていきます。

バーでお酒を飲もうとしただけで殴られ、夜中に車で移動していれば外出時間外だとして警察に止められます。

さらには、コンサート会場のレストランであるにも関わらず、食事をすることが許されないことまでありました。

アメリカでは、黒人は労働力か娯楽、いわゆる見せ物として扱われた歴史があります。

黒人でテレビに出ることできたのは、歌手かコメディアンだけでした。

また、そこから白人が顔を黒く塗って見せ物となる「ミンストレル・ショー」という文化も存在しました。

日本人の芸能人が顔を黒く塗ってメディアに出た時に批判を受けるのはこのためです。

そんなアメリカで、ドクターは「自分の演奏を聴きにくる富裕層の白人は、演奏を聴きたいのではなくクラシックを楽しむ自分の教養の高さを自慢したいだけだ」と自分もまた見せ物でしかないことを嘆きます。

どんなに表面上は歓迎されようとも、所詮は見せ物として消費される黒人として自分

そんな思いが彼を苦しめていたのです。

公式トレイラーより

自分は何者なのか

ドクター・シャーリーは、幼い頃にピアノの才を見出され、英才教育を受けて有名なピアニストとなります。

その生活は黒人どころか、アメリカ人として恵まれたものだったといえるでしょう。

しかし、だからといって彼は白人と同じ立場で社会に受け入れられるわけでもないのです。

彼はそんな黒人でも白人でもない自分の立場に苦しんでいたのでした

黒人でありながら「黒人らしさ」を身に付けずに育ち、かと言って白人として扱われることもない、そんな自分は一体何者なのか、それが彼が抱える大きな傷だったのです。

公式トレイラーより

差別をどのように見つめるか

私たちは、自分が被ることのない差別では、そこで傷ついている人の心境をワンパターンにまとめてしまうことがあります。

黒人差別=白人から不当な扱いを受けた、というだけの視点では、実はドクターのような人の心情までは見えてきません。

人の心というのは、一つの差別に対しても関わり方によってその傷つき方は実に様々なのです。

曹洞宗では人権学習として、様々な差別問題を学びます。

しかし、その内容の多くは「こういうことがあったので、こういうことは言っていけません」という事例と対策であるような気がします。

それだけでは差別問題が無くなることはないでしょう。

何に対して、どのように傷つくかわからない、そんな複雑な人間の心を見つめてきた仏教なのだから、人の心に対する想像力を養う学び方がきっとできるはずです。

そしてそんな他に対する深い想像力や洞察力こそが仏教に「慈悲」なのではないでしょうか。

「グリーンブック」は黒人差別を描いたものとしてはかなりライトな部類に入ると思いますが、差別と人の心について大きな気付きを与えてくれる作品でした。

公式HPより

そして、生涯続いたと言われる二人の有情が結ばれていく様子や、ちょっとしたジョークも見所。

オススメです。

☆こんな人にオススメ☆

・アメリカの人権問題について学んでみたい人。

・ドキュメンタリーほど堅いのは苦手な人

 

 

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