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前回の記事、
が、一部にそこそこ好評だったので、今回もゲームの話。
古いゲームを懐かしみつつ振り返り、そこから仏教的要素を見つけ出していこうというのが記事の趣旨です。
そして、前回に引き続き、今回のゲームも桃太郎シリーズ。
「桃太郎伝説外伝」の貧乏神伝説にスポットを当てます。
Contents
桃太郎伝説というゲーム
前回取り扱った桃太郎電鉄には、元となるゲームがあります。
それが桃太郎伝説。
桃鉄がボードゲームであるのに対し、こちらは、昔話桃太郎をモチーフに鬼退治の旅を描いた作品。
悪い鬼たちを懲らしめるロールプレイングゲームです。
敵がとにかく強い、敵との遭遇率があまりにも高い、中盤以降は敵がとにかく不意打ちしてくるなど……
レトロゲームゆえ、バランスはかなり厳しく、今プレイするのは正直言って苦痛な部分もあります(笑)
しかし桃太郎だけでなく、金太郎や浦島太郎、はなさかじいさん、おむすびころりんなど、
よく知られた昔話のキャラクターが登場し、物語の中でかかわりあっていく様は、ほのぼのとしていて、どこか癒されます。
また随所にギャグやパロディが散りばめられていたり、
工夫の凝らされた独特のシステムには今でも思わず感心してしまいます。
桃太郎伝説外伝は、桃太郎伝説、桃太郎伝説Ⅱに続くシリーズ第3作目。
物語の主人公は桃太郎ではなく、貧乏神、浦島太郎、夜叉姫の3人で、それぞれ独立した物語を遊ぶことのできる短編集のような作品。
各ストーリーを紹介したいのはやまやまですが、今回は貧乏神伝説を取り上げます。
ストーリー:貧乏神伝説
前回の「キングボンビーを仏教的に深読みしてみた」でも紹介した、ご存じ貧乏神。
桃太郎シリーズの名物キャラクターと言っても過言ではありません。
桃鉄では、プレイヤーの社長さんに悪事を働くいわゆるお邪魔キャラですが、
貧乏神が悪事を働く理由が、実はここで明らかにされます!
物語は桃太郎と貧乏神が話をするところから始まります……
そう、さみしがり屋の貧乏神は、皆に相手にしてほしい一心で盗みを働いていたのです。
普通にしていては相手にしてもらえない、嫌われものの貧乏神。
貧乏神にしてみれば、盗むということだけが人とかかわりあえる唯一の方法だったのでしょう。
そんな貧乏神を桃太郎は励まします。
久保田はこのセリフを見た時点で、涙腺が軽く緩んでしまいます。
盗む、という迷惑をかけてしまうやり方でしか人とかかわれない貧乏神にとって、この一言がどれだけ救いになるでしょうか。
こうして桃太郎さんの言葉に勇気をもらった貧乏神は、
村人に重税を課し、高い農具を売りつけて私腹を肥やす「ぜに王」を正義の盗みで懲らしめる決意をします。
お金の支配する世界……っ!
貧乏神が旅する「ぜに王」の支配する地域は、まさに金の亡者の世界です。
村に入り、橋を渡ろうとすれば、
「この橋を渡りたくば、100両よこせ!」
遊覧船に乗れば、
「まずは乗車賃30両!」
「椅子に座りたきゃ30両!」
「右に見えますのが、かの有名な……教えてほしくば30両!」
「左に見えますのが、かの有名な……教えてほしくば30両!」
「最後に俺へのサービス料300両!」
と、ことあるごとにお金を要求されます!
極めつけは、ボスである「ぜに王」に立ち向かおうとしたとき、
「ファイトマネーとして10,000両を支払ってください!」
なんと、ボスと戦うのにファイトマネーが必要という前代未聞のシステム。
さらに道中では、金に目がくらんだ「ぜに王の手下」たちが次々に襲い掛かってきます。
お金を盗まれて改心してしまう?
ロールプレイングゲームと言えば、襲い来る敵に「こうげき」して「倒す」ことで、お金や経験値を得るというのがお約束です。
しかし、貧乏神は敵を一切傷つけません。
できるのは「盗み」のみ。
お金への欲望に囚われた「ぜに王」の手下から、お金を奪い取り「懲らしめて」いきます。
実は、久保田が子どもの頃にこのゲームをプレイしたときには、
「お金を取られても戦えなくなるわけじゃないし、
むしろもっと怒って襲い掛かってくるんじゃないの?」
と不思議に思いました。
なぜ、貧乏神にお金を取られた「ぜに王の手下」たちは改心してしまうのでしょうか。
心によって、心が改められる
桃太郎伝説シリーズの魅力の一つに、戦闘時の「ボスキャラの描き方」があります。
多くのロールプレイングゲームでは、ボスはひたすらにプレイヤーたちを攻撃してきます。
しかし桃太郎シリーズでは、戦闘の最中、ボスキャラはこれでもかというほどに「しゃべり続け」ます。
それはこの貧乏神伝説でも例外ではありません。
このどこかで見たことがあるような風貌をした「ぜに王」が……
(画像引用元:GameFAQs)
「必ず最後にゼニは勝つ!」
「ゼニのあるやつは俺んとこへ来い!」
「ゼニのためなら女房も捨てる!」
と、どこかで聞いたことがあるようなセリフを発しながら襲い掛かってきます。
そしていよいよ戦いも終盤となるころには、
「おお!おお!不思議だ!お前は金がすべてではないのか!」
「おお!おお!不思議だ!金ももらわず人のために働くなんて!不思議だ!」
と、口にするセリフが変わってきます。
貧乏神の姿に心打たれ、自らの過ちに気付き始める「ぜに王」。
考えてみれば、貧乏神がお金を盗むのは、決して「自分がお金を得て裕福になりたいから」ではありません。
手段が「盗み」であるとはいえ、
相手と「仲良くなりたい」「目を覚ましてほしい」という
貧乏神の心に触れた「ぜに王」や「ぜに王の手下」たちは、
自らの過ちに気付き改心してしまうのだと納得するようになりました。
貧乏大菩薩?
仏教には実に多くのユニークな菩薩さまが存在します。
お地蔵様、観音様、弥勒菩薩……
それぞれの仏さまにできるやり方で救いの手を差し伸べようとしてくださいます。
盗むという行為自体を肯定するわけではありませんが、
「悪い人の悪い心を盗む」ことによって人の目を覚まさせる桃太郎シリーズの貧乏神は、
「欲深さを戒める」一人の菩薩さまと考えていいのではないかと思うのです。
私たち一人一人は必ず、何らかの個性を持っています。
貧乏神が自分の個性である「盗む」という行為で「ぜに王」を救ったように……
たとえそれがどのような個性であろうとも、
正しい願いをもって人と触れ、真心によって接することで、人を変える力を持ちうるのではないか。
貧乏神伝説を振り返りながら、そんなことを思いました。