僧侶はアンチコメントとどう向き合うべきか

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食事作法や坐禅会をはじめ、ワークショップなどの開催がメインだった私たち禅活。

それが今年の3月以降は一切開催できなくなってしまいました。

そこで活動の主戦場をインターネット上に移し、インスタライブでの坐禅会と、YouTubeチャンネル「禅活ちゃんねる」での配信を本格スタートしました。

それから半年、ありがたいことにチャンネル登録者さんが1000人を超え、ユーチューバーとしての第一のハードルをクリアすることができました。

そこで気にし始めなくてはならない問題が、アンチコメントや誹謗中傷です。

今回は、今後のチャンネル運営と共にアンチコメントとの向き合い方について考えてみたいと思います。

Contents

アンチ色々

さて、細々とやってきた「禅活ちゃんねる」が、登録者1000人に至った大きな要因としては、格闘家の矢地祐介選手とのコラボが大きかったことは言うまでもありません。

当時こちらのチャンネルは登録者500人、対する「ヤッチくんチャンネル」さんは20万人超えです。

元々格闘技が好きで、矢地選手の所属ジム近くに住んでいたこともあり、ダメ元でお声かけさせていただいたところ、「ぜひ坐禅をしてみたい」とのお返事をいただき、実現しました。


はじめは、単純に応援している格闘家の方に僧侶として関われることが嬉しく、動画の公開が楽しみだったのですが、ある日何となく先方のチャンネルのコメント欄を覗いてみると、いわゆるアンチコメントが目に飛び込んできました。

もちろん割合としては応援のコメントの方が多いのですが、アンチコメントとそれに対する反論で犬も食わない言い争いが繰り広げられていたのです。

アンチとは、簡単にいえばファンの逆で、個人や団体や作品などを嫌い、反発するもののことです。

しかし、このアンチコメントも、見ていくと2つのタイプがあることがわかってきました。

以下、矢地選手のチャンネルに限らず、私がyoutube上で見かけた2つのタイプのアンチコメントです。

好かれるもの許さない!人気者叩きタイプ

これはアンチとしては非常にメジャーというか、よくあるタイプで、ある意味わかりやすいですね。

どのような心理が働いているのかはわかりませんが、とにかく人気ものや評判のものにはNoを突き付けたいタイプです。

このタイプはとにかく嫌いと言いたいだけの場合が多く、理屈や理論ではなく、言葉も選ばないので他のファンにも危害がおよぶ場合があります。

あなたの為に言ってるの!親切風押しつけアドバイスタイプ

これは、競技者の方の元に多く現れるタイプで、矢地選手のチャンネルではこのタイプの方には私も色々言われていました。

特に成績に悩んでいる選手に対して、こうすれば良くなる、ここが弱いから強化した方がいい、○○さんの指導を受けた方がいい、などアドバイスをするタイプです。

ただのアンチと違って、応援という形式なだけのかなり扱いが難しそうです。

このタイプの方々を見ていて、ずっと何かと似ていると思っていたのですが、最近その正体がわかりました。

それは、テレビの前でスポーツ観戦している家族です。

「いけ!」「そこだ!」「あ〜なにやってんだよ〜」と、テレビの前で言っていた家族が、インターネットという技術を使って、本人に直接言いに行ってしまっているのだと、私は気付きました。

お酒を飲みながら選手についていた悪態を、本人に直接言いに行ける時代になってしまったのです。

縮まった距離と、低くなったモラル

以前、ネットの匿名性が持つ危険性については一度記事にしたことがあります。

そしてそこでは、アンチの方の為にもブロックは必要であることを書いています。

この時はまだ、直接、あるいは近くでアンチコメントに触れる機会はありませんでした。

しかし今回、20万人以上の登録者をもつ方とコラボをさせていただき、他人事ではなくなりました。

坐禅そのものは、動画公開前は怪しんでいた方も、「印象が変わった」「やってみたくなった」といったご好評をいただけたように感じます。

ところが、自分がコメントでしたアドバイスを実践しないことに業を煮やした人が、「今すべきことは坐禅じゃないだろ」と憤慨していました。

実はこうした一方的なコメントをする方には、傾向があります。

それは、匿名性が高い方ほど攻撃的で、身元がわかる方ほど物腰が柔らかいということ。

Twitterなどである程度普段から人との付き合いを持って使用しているアカウントや、自身も配信をしているYouTubeアカウントの方は、基本的にコメントや発言が丁寧で、批判するにしてもある程度のモラルがある場合が多い印象です。

ところが、自分を特定されることも、批判されるような発信もない方ほど、アンチとしての攻撃性が増していくのです。

責任を負うことなく、限りなく近距離で発言できるという匿名性のデメリットが、モラルの低下につながっているのではないでしょうか。

僧侶はアンチとどう向き合うか

私は、アンチコメントをする人は、実生活で悩み苦しみを抱え、如何ともし難いその感情を吐き出していると思っています。

その為本心では、そうした方でも簡単にブロックしてしまうのは僧侶としてどうなのか、という葛藤があります。

しかし、YouTubeチャンネルの運営は禅活という団体の発信であり、視聴者の皆様との場作りでもあります。

そこで、攻撃が私たちだけではなく、他の視聴者様に向いてしまうのであれば、やはりそれは防ぐ責任があるでしょう。

本来であれば、そうした人すら改心するような言葉をかけることができれば理想的です。

しかし、匿名性は攻撃するには距離が近い反面、本当の対話をするには非常に距離が遠いのです。

さらにここに、それがただのアンチなのか、それとも正当な批判なのか、という判断も必要になります

これは今後、インターネットで発信する僧侶は誰もが直面する課題といえるのではないでしょうか。

全ての皆様に感謝しつつ

ここまでアンチコメントとの付き合い方について色々書いてきましたが、現在の活動においてはそれはほんの一部の方々で、いただいているコメントほとんどは温かい励ましの言葉で溢れています

登録者・視聴者・フォロワーの方々は、お寺に置き換えれば檀信徒さんであり、チャンネルや活動はそんな皆様があってこそのものです。

お釈迦様は、正面から論破しにきた方々を軒並みお弟子さんにしてしまった一方、悪口に対してはそれを受け取らないという態度をとられました。

一般的なセオリーももちろん大切ではありますが、「僧侶」として発信していく姿勢の模索は、この先もずっと続くことでしょう。

まずは、禅活を支えてくださっている全ての皆様に厚く御礼申し上げます。

そして、現時点で禅活を好きになれないという方は、素晴らしい和尚さんは宗派を沢山いらっしゃいますので、どこかでそうした方とのご縁があることを願っております。

いろんなご意見をいただきながら精進して参りますので、今後とも禅活をよろしくお願いいたします!


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