ぼくはお金のことを考えるのが苦手らしい

最近、何かとお金のことを考えなければならない場面に出くわします。

禅活では会計・広報・渉外的なことをほぼ全部しているので、
イベントや依頼の参加費や謝礼の金額について考えたり、
お寺ではお檀家さんともお金に関係するお話をする場面があります。

正直なところ…

やりたくない!!!

嫌い!数字扱うのも収支とか考えるのも嫌い!だーいきらい!

今回はそんな私の苦手分野である、お金を扱うことについてのお話。

「料金」と「布施」

私は個人で依頼を受ける時、基本的にお金の話はしません。

交通費がかかるならそれがまかなえたらラッキーだな、
くらいに考えています。

交通費は実際にかかるお金なので言いやすいのですが、
自分のする話やお伝えすることに対する金額を問われると、
なんとも返答に困ってしまいます。

それは、僧侶としての活動である以上、
人とのやりとりは全て布施でなければいけないと思っているからです。

度々申し上げている通り、布施というのは僧侶やお寺に払うお金のことではなく、
行動の性質のことです。

道元禅師が「その布施といふは不貪なり」と説かれたように、
布施というのは執着せず見返りを求めない行為のことをいい、
仏道というのはあらゆる行為を布施にしていく道であるといっても過言ではないかもしれません。

そのため、理想としては、私は私で精一杯のお勤めをし、
それを受けたお相手からも誠意あるお気持ちがあれば、
お互いが布施をしたことになります。

そうして法話や坐禅会の依頼が、単なる経済活動の一環やサービスではなく、
企画した方も参加者も含めた仏行になれば、これは理想的です。

しかし、そうした「お気持ち」では済まないのが社会です。

企画された方にとってはお金のやりとりは明確なものでなければなりません。

そのため、どうしても「布施」ではなく対価である「料金」の話になりやすいのです。

私はこれがもどかしいやら申し訳ないやらで、金額のやりとりが本当に苦手なんです。

甘いこと言ってる?

個人での話なら、お金の話は苦手だから先方にお任せしよう、
というのも通用するかもしれませんが、禅活というグループの話となると別です。

自分一人のことではない以上、色々と考慮して交渉をしなければなりません。

さらに、仏教に興味を持ち、禅活を見つけてくれた以上、
お金が理由で実現できないということになって欲しくない一方で、
「コスパがいいから」というようなこちらを軽んじた依頼を受けるのも良いことではありません。

そんな、色んな狭間で悩んでいく中で、最近気づいたことがあります。

それは、お寺から給料をもらうということの意味です。

私は現在お寺から給料をもらって、生活をしています。

金額としては独身だからなんとかなるという程度のものです。

しかし、このお寺からの給料がなかったら、
お金に対して今のように無頓着でいられたでしょうか。

いくら独身でも、経費や税金のことに頭を悩ませながら、
法話や坐禅会が命綱になっていたかもしれません。

つまり、「全て布施ありたい」なんていうことは、
お寺から給料をもらっているから言える綺麗事だったかもしれないのです。

この先家族が増えるようなことがあれば、今の自分に
「甘いこと言ってんじゃないよ!」と言いたくなる未来が待っているかもしれません。

ようするに今の私は、お寺から給料をもらうことで、
法話や坐禅会に対して対価を求めずに済んでいる、非常に恵まれた環境にいる人間だったのです。

法輪転ずれば食輪転ず

そんな恵まれた環境にいる人間がいくら「料金ではなく布施でありたい」と言っても、
説得力はないかもしれません。

しかしそれでも、私には一つ信じている言葉があるのです。

学生時代、自分には師匠のように布教教化で生きていく能力はないと思い、
大学で教員免許をとって、副業をしながらいきていくしかない、と考えていた時期がありました。

ところがそんなモチベーションで修了できるほど、教職課程は甘くありませんでした。

私は色んな手続きを誤り、4年間で教員免許を取ることは不可能な状況になってしまいました。

留年は許さないと言われて入った大学です。

私は少し早めに路頭に迷った気分でした。

そこで初めてそのことを師匠に相談すると、
実は師匠も昔は教員などをしながら食べていくことを考えていたそうです。

ところが修行中に、ご老師から

「真面目にやっていればお前一人くらい仏様が食べさせてくれるわ!」

と言われ、腹を括って今の道に入ったとのことでした。

私は師匠の過去が意外だったのと同時に、初めて本気で僧侶になることを意識しました。

『大應録』には「法輪転ずれば食輪転ず」という言葉があります。

それは、「正しい教えが説かれればおのずと生活は成り立つ」といった意味です。

私にとっては、これが仏教を信仰することとほとんどイコールになるくらい大切な教えです。

こんな時代だからこそ、宗教者くらいは理想で行動してもいいのでないかとも思っています。

それはきっと簡単なことではないし、
ひょっとしたら10年後には必死に資産運用をしている私がいるかもしれません。

そうだとしても、「真面目にやっていれば仏様が食べさせてくれる」という言葉と、
その言葉を信じて私と兄をここまで養ってくれた師匠の言葉を信じてやってみようと思います。

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