「バトル文化」から多様性について考える

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フリースタイルダンジョン以降、お茶の間にも浸透したラップバトル。

2024年のパリ五輪ではオリンピック競技になるダンスバトル。

私の好きなHIP-HOPというカルチャーには「バトル文化」があります。

日本でも親しまれるようになったこのバトル文化ですが、
スポーツ競技と同じように捉えられることで、ちょっとした物議を醸すケースが増えているように感じます。

今回は、そんなHIP-HOPのバトル文化には
多様な個性を理解しあうヒントが隠されているかも、というお話です。

バトル文化について

さて、まずはじめにHIP-HOPのバトル文化について簡単にお話ししておきましょう。

HIP-HOPは
・DJ(ディージェイ)
・MC(ラップ)
・Breaking(ブレイクダンス)
・Graffiti(グラフィティ)

という、いわゆる4大要素の総称です。

それぞれの要素に発展の経緯がありますが、
全てに共通してバトル、
あるいはそれに似た要素が含まれます。

ラップやダンスはもちろん、DJにも大会がありますし、
グラフィティは壁に描かれている作品にそれを上回るも上書きをするという、
何かしらの「競う」という構図が存在します。

ただし、どれも明確に点数化されたりするわけではなく、
多くの場合で判定はジャッジかオーディエンスの感性に一任されます

ここがすごく重要です。

はっきりと勝ち負けがつくのではなく、
その日のその場では「良い」と思われたということ。

そして観る人間は自分の価値感に従って「良い」と思っていいということ。

スポーツのようにはっきりとした勝敗はないけれど、
芸術よりも競い合いがはっきりしている。

これが私の思うバトル文化の特徴です。

BC ONE 2021で起こったこと

さて、そんなバトル文化の中から今回お話ししたいのは、
2021年11月6日にポーランドで開催された
1on1ブレイクダンスバトルの世界大会
Red Bull BC ONE2021」での出来事です。

この大会は世界最高峰の1対1のバトルイベントです。

本当に同じ人間とは思えない超人技が次々と繰り出される大会で、
毎年新たなヒーローが生まれています。

例年、年齢が若く身体能力の高いB-BOY(ブレイクダンサーのこと)が活躍するのですが、
今年はそこにある人物が出場していました。

その人物の名前はFlea Rock(フリーロック)。

Profile portrait of Flea Rock, aka Nike Messiah.

https://www.redbull.com/jp-ja/events/red-bull-bc-one-world-final-gdansk

1993年、11歳の時にブレイクダンスを始め、キャリア29年を誇るアメリカのレジェンドB-BOYです。

音に対する感性とダンスが染み付いているからこその仕草のとても格好よく、私も大好きです。

そんなレジェンドであり大ベテランであるFlea Rockは2回戦で、
ユースオリンピックを制し、さらに最年少でBC ONEを制した日本のB-BOY、Shigekixさんと激突します。

優勝候補であり世界で最も勢いのある若手との一戦は、
久しくダンスをやっていない私も胸が熱くなりました。

まずはぜひ実際の動画をご覧ください。

この一戦を制したのはFlea Rock

私も一つ一つのシルエットの格好よさ、ストーリー性、
何よりそのフレイバーに胸を打たれていました。
しかし、このバトルの勝敗について、コメント欄では論争が起きます。

Shigekixの勝ちだと思った方々が、
ジャッジの誤審やFlea Rockへの忖度があったのでは?と訴えたのです。

競争と不寛容

もちろん、大会である以上結果というものは非常に重要です。

ましてやダンスのように職業にするのが難しい文化において、
BC ONEで結果は人生を変えうるものです。

当人が結果を出すために熱くなるのは当然ですし、
仮に結果に納得ができなかったら怒るのもわかります。

実際にブレイクダンスのバトルには、ジャッジに納得がいかないと
抗議としてバトルを仕掛ける文化もあります。

確かにこのバトルは、全くスタイルの異なる二人のスタイルウォーズで、
Shigekixさんが勝ったという意見があっても不思議じゃない激闘でした。

しかし今回に限らず、コメント欄ではどちらが勝ったかという言い争いが、頻繁に起こっています。

これはダンスバトルに限ったことではなく、ラップバトルでもそうです。

当人たちは出た結果に納得して握手をしているのに、
コメント欄だけが荒れているという状況をよく目にします。

つまり、自分と対立する価値観に対しての不寛容さ目立っているのです。

これは多様な個性を受け入れてきた
HIP-HOPというカルチャーの可能性を狭めていることになるのではないでしょうか。

それぞれの人生で積み重ねた経験や価値観が形になったものが、
ダンスやラップなはずです。

それを競って出る勝ち負けは「その日はより好まれた」というだけで、
根本的な優劣ではないと私は思っています。

そのため、本来は「そっちが好きな人もいるんだな」で済んでいいことのはずなのに、
それで済まなくなってしまうのは、現代人に「競争癖」がついているからかもしれません。

自分だって「多様」の一つ

人間というのは、自分が学んだこと、身につけたものが正しい、
優れていると思いたくなる生き物です。

自分が美味しいと思った飲食店が繁盛すれば自分の味覚を、
好きな曲が後から流行れば自分の音楽の感性を肯定された気分になります。

本来、それは誰からも褒められる必要のない、一人一人の個性です。

ましてや比べて優劣をつけるものではないのに、
それをしないと安心できない社会になっているように思えてなりません。

「多様性」という言葉がよく口にされるようになったにしては、逆行してしまっています。

それはこの多様性という言葉が、
マイノリティや立場の弱くなりやすい人を強調してしまっているからではないでしょうか。

実は人間は一人一人が全く異なる縁が集まってできた「衆縁和合しゅえんわごう」の存在です。

HIP-HOPが好きでも、どう好きかが異なるのは当然で、
それぞれの好みがあるからこそ、様々な技やメロディや作品が生まれ、文化として発展してきました。

そこでは一人一人が多様な中の一人であり、異なる価値観を尊重し合ってきた歴史ともいえるでしょう。

価値観が認められなくて悔しい!という時は、他人の価値観を認められなくなっている時なのかもしれません。

「PEACE、UNITY、LOVE & HAVING FUN 」を重んじるHIP-HOPというカルチャーにまた一つ教えられました。

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