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[adesense]
※今回はレビューする作品の内容上、不快な思いをされる場合があります。下品な表現等を許容できる方のみご覧ください。
僧侶の視点からなんでもレビューする【僧侶的よろずレビュー】。
前回は私の連載「肉を食べるということ」とも関連した書籍「わたし、解体はじめました ─狩猟女子の暮らしづくり─」をレビューしました。
そして実は今回も、同連載に関連した、肉食や不殺生について考えさせられるアニメーション作品です。
ただしこの作品、そのメッセージ性とは裏腹に、かなり下品なR-15指定の問題作なんです。
作品の名前は「ソーセージ・パーティー」といいます。
肝心なメッセージ性の部分を引き出せるようにレビューしますので、ぜひお付き合いください。
Contents
あらすじ
舞台はとあるスーパー。
棚に並ぶ商品たちは、神様(=客)に選ばれ、自動ドアの向こうにあると言われる楽園へいく日を夢見ています。
主人公であるソーセージ、フランクもその一人で、恋人でパンのブレンダと楽園に行き、ホットドッグとなる日を待ち望んでいました。
(本編より)
しかしある日、ハニーマスタードがドアの向こうから帰ってきた(=返品)ことにより、事態は急変します。
楽園にいたはずのマスタードは、自動ドアの向こうで、食品である自分たちを待ち受ける現実を知ってしまいったのです。
実は「楽園」という話は、長く棚に残っていた保存食品たちが作った、商品たちの恐怖を取り除くための嘘でした。
そんな自分たちの運命を変えるべく、スーパーの商品たちはついに人間へと立ち向かうのでした。
この映画のすごいところ
まずはじめにこの作品、どうしても万人にオススメはできません。
そもそもR-15指定が付いているのですが、なかなかハードな下ネタが満載です。
これを書くことで私の趣味を疑われてしまう気がして、レビューを躊躇ったくらいです。
さて、そんな下品さを差し引いてもこの作品をレビューしたい理由は、その着眼点と表現方法がすごいと思ったからです。
以下、私が思ったこの映画のすごいところをご紹介します。
すごいところ①あらゆるものに命がある
さて、現代のアニメーション作品では、食品や動物を擬人化するということ自体はあまり珍しいことではありません。
ただし、多くの場合で、食品なら食品、動物なら動物と、擬人化する範囲は絞られているものです。
ディズニー作品でいうなら、「トイ・ストーリー」の世界ではおもちゃに生命があって喋りますが、車や虫は喋りません。
しかし一方で、「カーズ」や「バグズ・ライフ」のように、車や虫がキャラクターとなっている作品もあります。
つまり作品ごとに、生命を持たせる範囲を在る程度限定することで、物語の世界観を守っているのです。
一方で「ソーセージ・パーティー」では、トマトやじゃがいもなどの野菜、ソーセージやパンのような加工食品、さらにはトイレットペーパーなどの衛生用品にも人格があります。
さすがに、人間が着ている衣服やショッピングカートなど、一部人格の無い物もありますが、かなり広範囲に生命を認めた作品と言えるのではないでしょうか。
ここに、「肉を食べるということ」でも触れた、動植物も加工物もありとあらゆるものを仏の命として捉える曹洞宗の考え方に近い要素があるのです。
すごいところ②生きるということの本質を突いた皮肉
物語の中盤、薬物中毒の男性が登場します。
散らかった部屋には食べかけのピザや飲みかけのお酒、お菓子などが散乱しており、生活が荒れていることがわかります。
そして彼はいつものように薬物を摂取し、気分が高揚するのですが、そこにはいつもと異なる光景がありました。
なんと、目の前をソーセージが歩いているではありませんか。
そう、彼は薬物を摂取したことで、今まで見えていなかった食品や商品の声や姿が見えるようになってしまったのです。
歩き、喋るソーセージに驚愕していると、食べかけのピザや使いかけのトイレットペーパーが立ち上がり、いかに辛い経験だったかを彼に問いかけはじめます。
ピザは切られて食べられた痛みを、トイレットペーパーは受けた辱めの苦しみを、と口々に問い詰められ、彼はついにこんな言葉を口にします。
「わかった今後はもう何も食べない!泥を食って枝でケツを拭く!」
私はこれがとてつもない皮肉に感じました。
果たしてそんなことが可能でしょうか?
人間というのは結局、食べ物や道具を使わずには生きていけないのです。
あらゆる物を命として捉えて生きていくには、この視点を欠かすことができません。
私たちはどんな方法を取ったとしても、命をいただかなければ死んでしまうのです。
ここではそれが皮肉によって表現されているように感じました。
(本編より)
すごいところ③最後の大どんでん返し
物語はその後、スーパーにて人間への報復へと展開し、なんと食品たちは人スーパーにいた人間を全て殺してしまいます。
そのまま商品たちに平和が訪れて終わり、となるのかと思いきや、ここで大どんでん返しが待っていました。
なんと、自分たちが人間が作ったアニメの世界のキャラクターであることを突き止めてしまうのです。
創作の世界には「第四の壁」という、作品の登場人物と読者や視聴者を隔てる壁があるとされます。
そして、視聴者や読者に登場人物が話しかけることを「第四の壁の破壊」と言います。
しかし、この作品は私たちに話しかけるのではなく、ワープ装置を作ってこちらの世界を変えようとするのです。
そしてフランクたちがそのワープ装置に足を踏み入れ、作品はエンドロールとなります。
つまり、これはアニメじゃないぞ、お前たちのところにいくぞ、と言って物語を終えているのです。
私がこれまで観た映画の中にはない、斬新な第四の壁の飛び越え方に驚愕したと共に、視聴者から当事者へと変わる瞬間でした。
(本編より)
まとめ
この作品は、何度も申し上げている通り、万人にオススメができない下品さやショッキングな表現があります。
ところが、食べることや使うことを綺麗事で済ませてしまいがちな現代人に、強く刺さるメッセージ性を持っています。
スーパーの食品売り場では野菜や魚、牛や豚のキャラクターが、客に自分を食べることを勧めています。
しかし、この作品では目(芽)を抉られて泣き叫ぶじゃがいもや、ベビーキャロットが食べられるのを見て「まだ子供だぞ!」と非難を浴びせるソーセージが登場します。
これは自分の中でいつの間にか命に対して都合のいいように線引きをしていないか、食べるとはどういうことかを改めて考える機会になるかもしれません。
食べなければ死んでしまうから食べる。
ただし、食べるからには無駄にしない生き方をする。
これが曹洞宗の食の根底にある精神です。
自分の価値観を刺激するショック療法として、ご覧になってみてはいかがでしょうか?
こんな人にオススメ
・下ネタを笑って許せる人
・スプラッター的な表現に免疫がある人
・食について考えたい人
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